夕暮れのかくれんぼを続ける子どもを隠すとされた怪。土地ごとに名前が変わる。

竜斎閑人正澄 「狂歌百物語 神隠し」 1853年 / パブリックドメイン 出典
隠し神とはどんな妖怪か
隠し神はひとことで言えば子どもを帰らせるための怪です。
暗くなってから隠れんぼをすると、隠し神さんに隠される。京都の福知山あたりでは、そう言って子どもを戒めました。
同じ役目を、ほかの土地では狸狐が担い、隠し婆さんが担いました。名前は違っても、言うことは一つです。暗くなる前に帰れ。
そして柳田国男は、この戒めの奥に実在した子取りの記録があることも書き留めています。京都の町には、小児を盗んで殺すことを職業にした者が本当にいました。夕暮れの禁忌は、怪の話であると同時に、実際に子どもが消えた時代の記憶でもあります。
隠し神の漢字表記と読み方
読みは「かくしがみ」です。
隠すのが仕事で、返すことは語られません。同じものを、土地によって隠し婆さん、狸狐、秩父では隠れ座頭、武州では夜道怪と呼びました。
一つの姿に定まらないのは、これが「暗くなる前に帰れ」という一つの用事のために呼ばれた名前だからです。
隠し神(かくしがみ)
福知山あたりでの呼び方。
隠し婆(かくしばば)
多くの地方で使われた呼び方。
子取尼(ことりあま)
中世に実際にいた、小児をさらう者の呼び名。
隠し神の姿と特徴
決まった姿はありません。
婆の形を取ることもあれば、狸や狐のこともあり、座頭のこともあります。共通しているのは姿を見た者がいないことです。
見えるのは、帰ってこない子どものほうでした。
隠し神の伝承と変遷
- 夜のかくれんぼをするな ─ 子どもはまだ理由を知っている
- 福知山では隠し神、よその土地では狸狐
- 子取尼は実在した ─ 『園太暦』文和二年の記事
- 血取・油取という噂 ─ 迷子の青い顔
- 夜道怪の正体は、宿を借りて回る法師だった
夜のかくれんぼをするな ─ 子どもはまだ理由を知っている
東京のような町なかでも、夜だけは隠れんぼをしないことになっていました。
夜に隠れんぼをすると鬼に連れて行かれる。隠し婆さんに連れて行かれる。そう言って戒める親が、柳田国男の時代にもまだ多くいました。
村を歩いていると、夏の夕方に子を呼ぶ女の金切り声が聞こえます。夕飯に呼び戻すためだけではありません。日が落ちきる前に、家の中へ入れてしまいたいのです。
柳田国男は、この禁忌が子どもの側にまだ生きていることを確かめています。小学校で尋ねてみればわかる、と。
薄暮に外におりまたは隠れんぼをすることが何故に好くないか、小児はまだその理由を知っている
福知山では隠し神、よその土地では狸狐
同じ戒めが、土地ごとに違う名前で語られました。
福知山附近では晩に暗くなってからかくれんぼをすると、隠し神さんに隠されるというそうだが、それを他の多くの地方では狸狐といい、または隠し婆さんなどともいうのである
秩父では、子どもが行方不明になることを隠れ座頭に連れて行かれたといいました。
隠れ座頭は奥羽から関東まで広く、巌窟の奥に住む妖怪と信じられ、相模の津久井では踏唐臼の下に隠れているとも言われます。
子取尼は実在した ─ 『園太暦』文和二年の記事
ここで話が、怪異から離れます。
隠し婆は、古くは子取尼とも呼ばれました。柳田国男は、それが京都の町に実際にいたことを記録から示します。
実際京都の町にもあったことが、『園太暦』の文和二年三月二十六日の条に出ている
取り上げ婆の子取りとは違います。小児を盗んで殺すことを職業にしていた者たちでした。
何のためだったのかは、記録に書かれていません。
文和二年は西暦一三五三年です。かくれんぼの戒めが語り継がれるずっと前から、この不安には実体がありました。夕暮れの戒めの奥に、本当に子どもが消えた時代がありました。
血取・油取という噂 ─ 迷子の青い顔
近世に入ると、子取りは血取とも油取とも呼ばれます。
罪のない子どもの血や油を、何かの用途に使うのだ、と。南京皿の染付に使うという説まで流れました。
迷子が黙って青い顔をして戻ってくると、生血を取られたのだと解して悲しんだ人もいます。
そんな方法がありえないと分かるにつれ、この言い方は少しずつ消えていきました。子どもが青い顔で戻るのは、生血を取られたからではありません。
柳田国男は、この世評の大部分が一種の伝統的不安であり、つまりは話であったと書いています。ただし、全部が根も葉もないと言い切れるところまでは突き止められていない、とも付け加えました。
夜道怪の正体は、宿を借りて回る法師だった
武州では夜道怪が子取りの名人として語られました。
その正体を、柳田国男ははっきり書きます。中世に高野聖の名で諸国を回った法師です。
彼らは行商を兼ね、荷を背負って歩き、夕方には村の辻に立って「ヤドウカ」と大声で呼ばわりました。宿を貸そうという者がいなければ、次の村へ去ります。
やがて村に来なくなると、名前だけが残りました。
単に子供を嚇す想像上の害敵となって永く残りその子供がまた成人して行くうちに、次第に新しい妖怪の一種にこれを算えるに至った
隠し神の伝承地域
柳田国男が挙げた土地は、京都の福知山(隠し神)、秩父(隠れ座頭・ヤドウカイ)、相模の津久井(踏唐臼の下)、武州小川(夜道怪)です。子取尼の記録は京都の『園太暦』にあります。
隠し神の正体と考えられているもの
隠し神は、日暮れの門限が姿を持ったものです。
子どもを暗いうちに帰らせる。その一つの用事のために、婆にも、狸狐にも、座頭にも、旅の法師にもなりました。
その裏には、子取尼という実在した職業と、血取・油取という近世の不安が重なっています。怪の名が土地ごとに違うのは、隠された子どもがどこにでもいたからでした。
隠し神をめぐる妖怪のつながり
隠し神が登場する作品
隠し神は、神隠しを起こす側の名です。
人が突然いなくなる。その理由として、天狗、山男、そして隠し神が置かれてきました。 柳田国男は、こうした失踪の説明を全国から集めています。
鉦や太鼓を鳴らして名を呼びながら探す習わしが各地にありました。怪異の名は、探す作法とひとつづきになっています。
隠し神が登場する民俗学
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隠し神についてよくある質問
隠し神とはどんな怪ですか。
夕暮れを過ぎても外で遊ぶ子ども、とくに隠れんぼを続ける子どもを隠すとされた怪です。京都の福知山あたりの呼び方で、ほかの土地では狸狐や隠し婆さんと呼ばれました。
なぜ夜のかくれんぼが禁じられたのですか。
夜に隠れんぼをすると鬼や隠し婆さんに連れて行かれると戒められたためです。柳田国男は、小学校で尋ねればその理由を子どもがまだ知っていると書いています。
隠し神は実際にいたのですか。
怪としての姿を見た記録はありません。ただし隠し婆の古い呼び名である子取尼は実在し、京都の町にいたことが『園太暦』文和二年三月二十六日の条に記されています。
夜道怪とは何ですか。
武州で子取りの名人と語られた存在です。柳田国男は、その正体を中世に高野聖の名で諸国を回った法師だとしています。夕方に辻で「ヤドウカ」と宿を求めて叫びました。
隠し神と併せて覚えたい言葉・用語
子取尼(ことりあま)
中世の京都にいた、小児を盗んで殺すことを職業にした者。取り上げ婆とは別。
隠れ座頭(かくれざとう)
奥羽から関東で、巌窟の奥や踏唐臼の下に住むと信じられた妖怪。隠れ里の住民という考えから出た名。
高野聖(こうやひじり)
諸国を回った法師。行商を兼ね、辻で宿を求めて叫んだ。武州では夜道怪の正体とされる。
隠し神の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。