安達ヶ原に住み、旅人を食ったとされる鬼婆。またその鬼婆を葬った塚の名。

鳥山石燕 「画図百鬼夜行 黒塚」 1776年 / パブリックドメイン 出典
黒塚とはどんな妖怪か
黒塚は、安達ヶ原の鬼婆が葬られた塚です。
福島県二本松市。旅人を泊めては食っていた老婆の墓と伝わり、いまは鬼婆そのものを指す名にもなりました。
黒塚の名は、正確にはこの鬼婆を葬った塚の名を指しますが、現在では鬼婆自身をも指すようになりました。
観世寺の発行する『奥州安達ヶ原黒塚縁起』などによれば、伝説はこう伝わります。安達ヶ原の岩屋に住んだ鬼婆は、宿を求めた旅人を食っていました。ある夜、祐慶という僧が宿を借ります。鬼婆は薪を取りに出るとき、奥の間を見てはならないと言い置いて出ました。
祐慶が覗くと、そこには積み上げられた人の骨がありました。逃げる祐慶を鬼婆が追います。祐慶が背負っていた観音像に祈ると、像は光を放って鬼婆を射抜いたと伝わります。
能の『黒塚』、歌舞伎舞踊の『安達ヶ原』は、いずれもこの伝説にもとづきます。
元禄二年(1689年)、松尾芭蕉もここへ寄っています。『おくのほそ道』の記述は、そっけないほど短いものです。
二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福嶋に宿る。
岩屋を一目見て、そのまま福島へ泊まりに行った。 芭蕉はこの土地で句を残していません。鬼婆の岩屋は、そのころすでに「寄って見るもの」でした。
黒塚の漢字表記と読み方
読みは「くろづか」です。
安達ヶ原は「あだちがはら」と読みます。福島県二本松市にある地名で、阿武隈川の東岸を指します。
地名の由来は素直なものです。「安達(または安達郡)にある野原」という程度の意味と推定されています。延喜六年(906年)に安積郡から二郷を割いて安達郡が立てられました。
なお、鬼婆伝説をともなう「安達ヶ原」という地名は、青森県五戸町や埼玉県さいたま市大宮区にもあります(後者は「足立ヶ原」という説もあります)。
鬼婆の名として語られる「岩手」は、戯曲『岩手』で創作された名前です。実在した名ではありません。
黒塚(くろづか)
正確には鬼婆を葬った塚の名。現在は鬼婆自身をも指す。
安達ヶ原の鬼婆(あだちがはらのおにばば)
もっとも通りのよい呼び方。
岩手(いわて)
鬼婆になる前の名として語られる。ただし戯曲で作られた名。
安達原(あだちがはら)
歌舞伎舞踊・浄瑠璃での題名。
黒塚の姿と特徴
黒塚の鬼婆の姿は、二段構えで語られます。
宿を貸すときの姿 … ふつうの老婆。一人で岩屋に住み、旅人に宿を貸します。糸を紡ぐ姿で描かれることが多く、能でもこの場面から始まります。
正体を現した姿 … 鬼女。髪を振り乱し、口が裂け、出刃包丁を持って追いかけます。
能『黒塚』では、この二つを面の掛け替えで見せます。前半は曲見などの女面、後半は般若です。演出によっては真蛇や顰を使うこともあります。
奥の間の描写がとりわけ強烈です。積み上げられた人の骨、腐りかけた死体。 見てはならないと言われた部屋を覗くという構図が、この話の恐ろしさを支えています。
見るなの禁を破るという型は、日本の物語に繰り返し現れます。鶴の恩返し、イザナギとイザナミ。黒塚もこの系統に属します。
黒塚の伝承物語
見るなの禁 ─ 奥の間の骨
黒塚の物語は、見てはならないものを見るという一点で成り立っています。
安達ヶ原の岩屋に一人で住む老婆が、宿を求めた僧祐慶の一行に宿を貸します。夜、老婆は薪を取りに出かけるとき、こう言い置きました。
奥の間を、決して見てはならない
祐慶(あるいは供の者)が覗くと、そこには人の骨が山と積まれ、腐りかけた死体がありました。
逃げ出す一行を、鬼女と化した老婆が追います。祐慶が背負っていた観音像に必死に祈ると、像が光を放ち、鬼婆を射抜いたと伝わります。
結末は一つに定まっていません。 雷に打たれて絶命したとも、改心して仏門に入り高僧になったとも、祐慶がただ夜明けまで逃げ切ったとも語られます。
恋衣地蔵 ─ 鬼になった理由
観世寺の近くには恋衣地蔵という地蔵があります。鬼婆に殺された恋衣という女性を祀ったものとされます。
この地蔵の由来として、鬼婆が人間から鬼婆に変じた物語が伝わっています。
語られるところによれば、京の公家に仕えていた岩手という乳母がいました。姫の病を治すには妊婦の生き胆が要ると言われ、それを求めて旅に出ます。安達ヶ原の岩屋に住みつき、機を待ちました。
やがて若い夫婦が宿を求めます。妻は身重でした。岩手は妻を殺して生き胆を取ります。ところが、その女が持っていたお守りから、それが生き別れた自分の娘であることを知ってしまいます。
狂った岩手は、以後、旅人を襲う鬼婆となりました。
ただし、この由来話には時代の食い違いがあります。 「公家」は武家の世になってからの言葉で、祐慶が鬼婆に出遭った神亀年間はまだ平安遷都の前です。岩手という名も、後の戯曲で付けられたものです。
祐慶は実在した ─ 伝説と史実のあいだ
この伝説には、史実と食い違う点がいくつもあります。
まず年代です。伝説では奈良時代前期(神亀年間)の出来事とされます。ところが、僧祐慶は平安時代後期に実在した人物です。『江戸名所図会』などに「東光坊阿闍梨宥慶」の名で記載され、長寛元年(1163年)に亡くなったとされます。
四百年以上ずれています。
それでも、伝説は具体的な形で土地に残りました。鬼婆の頭部があったという東光寺は後に廃寺となり、祐慶の子孫とされる安達家に頭蓋骨が伝えられているといいます。安達家の名も安達ヶ原に由来し、尾山には他に安達を名乗る家がありません。
胴体を埋めた跡に植えた桜は大木に育ち、毎年花をつけているといいます。
年代が合わないことと、話が土地に根づいていることは、別々に成り立ちます。
黒塚の伝承地域
黒塚の伝承地は、福島県二本松市の安達ヶ原にまとまっています。塚、寺、岩屋、地蔵が歩いて回れる範囲にあります。
この一帯は、昭和二十三年(1948年)に福島県が指定した霞ヶ城県立自然公園の一部にあたります。
注意したい点があります。鬼婆伝説をともなう「安達ヶ原」という地名は、青森県五戸町や埼玉県さいたま市大宮区にもあります。 後者は「足立ヶ原」という説もあります。青森県には、これとは別の鬼婆の由来を説く伝説が伝わります。
福島県の安達ヶ原だけが唯一の伝承地ではありません。 ただし、塚と寺と岩屋が揃い、今も訪ねられる形になっているのは二本松市です。
黒塚(くろづか)
鬼婆を葬ったとされる塚
黒塚の所在地:福島県二本松市安達ケ原
阿武隈川の東岸、安達ヶ原にある鬼婆の墓とされる塚です。
松尾芭蕉や正岡子規も、この黒塚を訪れています。当時は奥州街道が阿武隈川の西側を通っていたため、渡し船でこちら側へ渡ってきました。
塚のまわりは公園として整備されています。鬼婆の名がそのまま地名として残り、今も訪ねられるという点で、日本の妖怪のなかでも珍しい場所です。
安達ヶ原ふるさと村など、周辺は公園として整備されている。
観世寺(かんぜじ)
鬼婆伝説を伝える寺
観世寺の所在地:福島県二本松市安達ケ原
黒塚の近くにある寺で、『奥州安達ヶ原黒塚縁起』を発行しています。鬼婆伝説を今日まで伝えてきた寺です。
境内には、鬼婆が住んだとされる岩屋(笠石)があります。巨石が重なった自然の岩陰で、ここに鬼婆が潜んでいたと伝わります。
鬼婆が使ったとされる出刃包丁や鉄鍋なども伝えられています。近くには恋衣地蔵があります。
黒塚のすぐそばにある。岩屋は境内の奥にある。
黒塚の正体と考えられているもの
黒塚の鬼婆の正体については、次の見方があります。
一つめは、山姥の一種とする見方です。奥山に住み、宿を貸し、旅人を食う。この筋立ては、山姥の話とまったく同じです。 謡曲『安達原』の黒塚は、山姥の一種として扱われることがあります。
二つめは、旅の危険です。安達ヶ原は阿武隈川の東岸の台地で、街道から外れた場所でした。街道を外れた土地で宿を借りることの危うさが、この物語に込められています。
三つめは、産の穢れです。恋衣地蔵の由来話では、鬼婆は妊婦の生き胆を求めて人を殺します。そして殺した相手が自分の娘だったと知って狂う。産と血にまつわる話が、この伝説の核にあります。
四つめは、後から作られた方便とする見方です。岩手という名は戯曲で創作されたもので、奉公先とされる京の都は伝説の年代にはまだ存在しません。由来話は後から加えられたものと見られています。
五つめは、能による整形です。能『黒塚』が作られたことで、話の形が定まりました。見るなの禁、般若の面、山伏の祈り。現在知られている黒塚の姿は、能の形に大きく寄っています。
鬼婆が実在の誰かを指すのかは、わかっていません。 年代も人名も史実と合いません。それでも塚と岩屋は残り、人が訪ねています。
黒塚をめぐる妖怪のつながり
黒塚が登場する作品
黒塚は、能によって形の定まった妖怪です。能『黒塚』は現在も繰り返し上演され、般若の面を用いる三鬼女のひとつとして重んじられています。
土地の側でも、塚と寺と岩屋が揃って残されており、伝説と場所の結びつきが強いという点で日本の妖怪のなかでも際立っています。
黒塚が登場する能・古典芸能
安達ヶ原(長唄・歌舞伎舞踊)
同じ伝説を主題とした舞踊です。
黒塚が登場する文学
奥州安達ヶ原黒塚縁起
観世寺が発行する縁起です。伝説の内容を伝えます。
松尾芭蕉・正岡子規の紀行
どちらも黒塚を訪れています。
黒塚が登場する漫画・アニメ・ゲーム
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黒塚についてよくある質問
黒塚とは何ですか。
福島県二本松市にある鬼婆の墓、およびその鬼婆にまつわる伝説です。安達ヶ原の鬼婆として広く知られます。
鬼婆はなぜ鬼になったのですか。
妊婦の生き胆を求めて人を殺し、それが自分の娘だったと知って狂ったという由来話が伝わります。ただしこの話には年代の矛盾があり、後から作られた方便と見られています。
祐慶は実在の人物ですか。
実在します。ただし平安時代後期の人物で、伝説の年代とされる奈良時代前期とは四百年以上ずれています。
山姥とは同じですか。
重なります。奥山に住み、宿を貸し、旅人を食うという筋立ては山姥の話と同じで、黒塚の鬼婆は山姥の一種とされることがあります。
黒塚に会える場所はありますか。
福島県二本松市の安達ヶ原に黒塚があり、近くの観世寺には鬼婆が住んだとされる岩屋が残ります。
黒塚と併せて覚えたい言葉・用語
安達ヶ原(あだちがはら)
福島県二本松市の地名。阿武隈川の東岸にあたる。
見るなの禁(みるなのきん)
見てはならないと言われたものを見てしまうという物語の型。
恋衣地蔵(こいごろもじぞう)
鬼婆に殺された恋衣という女性を祀った地蔵。
観世寺(かんぜじ)
黒塚の近くにある寺。鬼婆が住んだ岩屋が境内にある。
黒塚の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。