陸奥に伝わる蝦夷の賊首。坂上田村麻呂に討たれた鬼として語られる。

Nerotaso 「達谷窟毘沙門堂(岩手県平泉町)」 2012年 / CC BY-SA 3.0 出典
悪路王とはどんな妖怪か
悪路王は、東北の鬼の王です。
陸奥国に伝わり、悪来王・阿黒王とも記されます。鎌倉時代以降、鹿島神宮や鎌倉幕府の文献に名が現れました。
『鹿島神宮文書』(1233年)では「悪来王」が藤原頼経に討たれたとあります。『吾妻鏡』では「悪路王」は蝦夷の賊首で、赤頭とともに坂上田村麻呂と藤原利仁に征伐されたとあります。
この東国の伝承が都へ持ち込まれ、室町の御伽草子『鈴鹿の物語』など田村語りの世界へ引き継がれました。
討たれた側が、鬼の名で記録に残っている。 悪路王は、その代表です。
悪路王の漢字表記と読み方
読みは「あくろおう」です。悪来王は「あくらおう」とも読みます。
悪という字が付いていますが、必ずしも悪人という意味とは限りません。中世の日本では、「悪」は「強い」「猛々しい」という意味でも使われました。 悪源太義平(源義平)、悪七兵衛景清などがその例です。
ただし悪路王の場合は、討たれる側として書かれているため、悪人の意味も重なっています。
高丸という人物と混同・融合された形跡があり、「悪事の高丸」として同一視されることもあります。高丸は諏訪大社の文献に、悪路王と同じ時代に登場した人物です。
田村語りは、坂上田村麻呂とその子孫を主人公とする語り物の総称です。
悪路王(あくろおう)
もっとも一般的な表記。
悪来王(あくらおう)
『鹿島神宮文書』での表記。
阿黒王(あくろおう)
文献による別表記。
高丸(たかまる)
諏訪大社の文献に登場する人物。悪路王と混交・融合された。
悪事の高丸(あくじのたかまる)
悪路王と高丸を同一視するときの呼び方。
悪路王の姿と特徴
悪路王の姿については、具体的な描写が乏しいものです。
『吾妻鏡』では蝦夷の賊首と記されるだけで、姿の記述はありません。赤頭という別の人物と並べて挙げられます。
御伽草子の系統に入ると、鬼として描かれるようになります。角があり、大きく、恐ろしい姿です。
特筆すべきものがあります。悪路王の首像です。
茨城県の高久鹿島神社が、悪路王の首像を所蔵しています。また、岩手県平泉町の達谷窟毘沙門堂にも悪路王の首像が伝わり、鹿島神宮に奉納されたものが知られています。
これらの首像は、木彫りの恐ろしい形相の面です。討たれた鬼の首を模したものとされます。
姿の記録は乏しいのに、首の像は残っている。 悪路王の伝説の性格が、ここによく出ています。
悪路王の伝承物語
鎌倉の記録に現れる ─ 東国の伝承
悪路王の名が現れるのは、鎌倉時代の東国の文献です。
『鹿島神宮文書』(1233年) … 茨城県鹿嶋市の鹿島神宮の「白馬祭の由来記」に、悪来王の名が登場します。ここで悪来王を退治したのは、初代の摂関家将軍となった藤原頼経とされます。頼経による悪来王退治を引いて、摂家将軍の武威を喧伝しました。
この由来記を書いたという藤原実久は、鎌倉時代初期の有力御家人那珂実久ではないかとされます。根拠は複数あります。名前が一致すること、那珂氏と摂家将軍頼経が親密な関係にあったこと、那珂氏の拠点である那珂西郡に悪路王の首像を所蔵する高久鹿島神社があること、那珂西郡が中世において鹿島信仰とタケミカヅチ伝説の濃密な地域だったことです。
『吾妻鏡』 … 悪路王は蝦夷の賊首で、赤頭とともに坂上田村麻呂と藤原利仁によって征伐されたとあります。
討った人物が、文献によって違います。
田村語りへ ─ 御伽草子の鬼になる
東国の伝承が平安京に持ち込まれると、室町物語(御伽草子)の成立に大きな影響を与えました。
とくに『吾妻鏡』の記述は、室町時代に成立した『鈴鹿の物語』など田村語りの世界へ引き継がれます。ここで悪路王は、御伽草子の登場人物である藤原俊仁に討たれる鬼として描かれました。
田村語りは、坂上田村麻呂とその子孫を主人公とする語り物です。鈴鹿山の大嶽丸を討つ物語も、同じ系統に属します。
江戸時代の東北地方では、『田村の草子』を底本とした『田村三代記』が、奥浄瑠璃を語る目盲法師の代表的な演目として各地で流布しました。
これによって伝説は巷に広がり、伊達藩を中心に岩手県・宮城県、奥羽山脈を越えた秋田県にまで定着します。上演された社寺の縁起にも取り込まれました。
多くは坂上田村麻呂伝説として、伝説上の人物である坂上田村丸によって討伐されたとするもので、人首丸伝説などの後日譚まで生まれました。
アテルイと同じか ─ 分かれる見解
悪路王をめぐって、大きく見解が分かれる論点があります。歴史上のアテルイと同一視できるか。
アテルイ(阿弖流為)は、平安初期に朝廷軍と戦った蝦夷の指導者です。坂上田村麻呂に降伏し、都へ送られて処刑されました。実在が確かな人物です。
蝦夷の首領であること、坂上田村麻呂に討たれること。共通点は二つあります。民俗学の側からは、悪路王をアテルイと同一視する論説や、アテルイをもとに悪路王伝説が生まれたとする論説が出されてきました。
一方、歴史学の側は後世に創出された伝説であり史料とは認められないとします。悪路王の名が現れるのは鎌倉時代の文献で、アテルイの時代から四百年以上あとです。
赤い大人が来る ─ 討たれた側の記憶
柳田国男は、東北の赤い大男の話が広く信じられていたことを書いています。
近世の蝦夷地に、いわゆるフレシャム(赤人)の警を伝えた時、多くの東北人にはそれが意外とも響かなかったのは、古来の悪路王や大竹丸の同類に、赤頭太郎などと称して赤い大人が、たくさんにきたという話を信じていたからである。
(フレシャム=アイヌ語で赤い人。警=知らせ)
討たれた側の記憶が、赤い大男という形で東国に残りました。 見解は分かれたままです。
高野では道案内 ─ 同じ姿で役が変わる
同じ一節で、柳田は高野山の逸話も並べています。
弘仁七年の六月に弘法大師が、始めて高野の霊地を発見した時にも、嚮導をしたという山中の異人は、面赤くして長八尺ばかり、青き色の小袖を着たりと、『今昔物語』には記している
(嚮導=道案内。八尺はおよそ2メートル40センチ)
高野では道案内、陸奥では討たれる賊首。 顔が赤く背の高い山の異人は、どちらの役でも語られました。
悪路王の伝承地域
悪路王の伝承地は、討たれた地である東北と、その首が納められた東国の社に分かれます。
岩手県平泉町の達谷窟毘沙門堂は、悪路王が砦を構えたとされる場所です。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮には、悪路王の首像が奉納されて伝わります。
このほか、茨城県の高久鹿島神社(那珂西郡)も悪路王の首像を所蔵します。那珂氏の拠点であり、『鹿島神宮文書』を書いた人物との関わりが指摘されている場所です。 ただし現在の正確な所在と拝観の可否を確かめられなかったため、ここには挙げていません。
『田村三代記』が流布した岩手県・宮城県・秋田県には、悪路王にちなむ地名や社寺の縁起が各地に残ります。すべてを挙げることはできません。
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)
悪路王の砦とされた岩窟
達谷窟毘沙門堂の所在地:岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢
断崖の岩窟に建てられた毘沙門堂です。悪路王が砦を構えた場所と伝えられます。
坂上田村麻呂が悪路王を討った後、その戦勝を感謝して毘沙門天を祀ったのが始まりとされます。
境内には悪路王の首像が伝わります。討たれた側の首の像が、討った側の建てた堂に残されているという形です。
岩肌に刻まれた大きな磨崖仏(岩面大仏)も知られます。
平泉の中尊寺・毛越寺から少し離れた場所にある。
鹿島神宮(かしまじんぐう)
悪路王の首像が奉納された社
鹿島神宮の所在地:茨城県鹿嶋市宮中
常陸国一宮で、武の神タケミカヅチを祀ります。
『鹿島神宮文書』(1233年)の「白馬祭の由来記」に、悪来王を藤原頼経が討ったという記述があります。
また、悪路王の首像が奉納されて伝わります。東北で討たれた鬼の首が、常陸の社に納められているという形です。鹿島は東国の武の中心であり、蝦夷征討の拠点でもありました。
広い社叢を持つ。奥宮や要石も知られる。
悪路王の正体と考えられているもの
悪路王の正体については、大きく二つの立場があります。
一つめは、アテルイとする見方です。民俗学の側から示されてきた論説で、アテルイと悪路王を同一視するもの、あるいはアテルイがもとになって悪路王伝説が生まれたとするものがあります。蝦夷の首領であること、坂上田村麻呂に討たれることが共通します。
二つめは、後世の創作とする見方です。歴史学の側からは、後世に創出された伝説であるため史料とは認められず俗説にすぎないとされます。悪路王の名が現れるのは鎌倉時代の文献であり、アテルイの時代から四百年以上あとにあたります。
見解は分かれたままです。
そのうえで、いくつか押さえておくべき点があります。
討った人物が文献によって違います。 『鹿島神宮文書』では藤原頼経、『吾妻鏡』では坂上田村麻呂と藤原利仁。どちらも、その武威を語るために悪路王が必要でした。
高丸との混同もあります。諏訪大社の文献に登場する高丸と混交・融合され、「悪事の高丸」として同一視されることもあります。
まつろわぬ者を鬼として書くという中央の記録の型は、両面宿儺や土蜘蛛にも共通します。悪路王も同じ型にあたります。
悪路王が誰であったかは、わかっていません。
悪路王をめぐる妖怪のつながり
悪路王が登場する作品
悪路王は、東北の語り物のなかで育った存在です。江戸時代の奥浄瑠璃『田村三代記』が、目盲法師によって各地で語られ、伊達藩を中心に定着しました。
近年はアテルイへの関心の高まりとともに、討たれた側の視点から語られることが増えています。中央の記録が鬼と書いた相手を、土地の側からどう見るか。両面宿儺や温羅と同じ問いが、ここにもあります。
悪路王が登場する古典
鹿島神宮文書
1233年。「白馬祭の由来記」に悪来王が藤原頼経に討たれたとあります。
田村三代記
『田村の草子』を底本とした奥浄瑠璃の演目です。東北一帯に流布しました。
悪路王が登場する芸能
奥浄瑠璃
目盲法師によって語られた東北の語り物です。『田村三代記』が代表的な演目でした。
田村語り
坂上田村麻呂とその子孫を主人公とする語り物の総称です。
悪路王が登場する小説・漫画
アテルイを扱う作品
蝦夷と朝廷の戦いを描く作品では、悪路王の名も併せて語られることがあります。
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悪路王についてよくある質問
悪路王とは何ですか。
鎌倉時代の東国の文献に登場する、陸奥国の伝説上の人物です。蝦夷の賊首とされ、坂上田村麻呂に討たれた鬼として語られます。
悪路王はアテルイですか。
見解が分かれています。民俗学からは同一視する説がある一方、歴史学からは後世に創出された伝説であり俗説にすぎないとする説もあります。
誰が討ったのですか。
文献によって違います。『吾妻鏡』では坂上田村麻呂と藤原利仁、『鹿島神宮文書』では藤原頼経とされます。
高丸とは同じですか。
混交・融合された形跡があります。「悪事の高丸」として同一視されることもあります。
悪路王に会える場所はありますか。
岩手県平泉町の達谷窟毘沙門堂が砦の跡と伝わり、悪路王の首像があります。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮にも首像が奉納されています。
悪路王と併せて覚えたい言葉・用語
アテルイ(あてるい)
平安初期に朝廷軍と戦った蝦夷の指導者。実在の人物。
田村語り(たむらがたり)
坂上田村麻呂とその子孫を主人公とする語り物の総称。
奥浄瑠璃(おくじょうるり)
東北で語られた浄瑠璃。『田村三代記』が代表的な演目。
達谷窟(たっこくのいわや)
岩手県平泉町の岩窟。悪路王の砦と伝わる。
悪路王の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。