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全国に伝わるもの

赤頭(あかがしら)とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品・伝承地域

赤頭  / アカガシラ

人型の妖怪 軍記・物語

悪路王と並んで討たれた蝦夷の長。鬼ともされる。

赤頭の姿を描いた図

Ty19080914 「箟峯寺本堂(宮城県涌谷町)」 2019年 / CC BY-SA 出典

赤頭とはどんな妖怪か

赤頭は、陸奥国の伝説上の人物です。

文献によっては鬼ともされます

最初の記録は、鎌倉時代です。

吾妻鏡』文治5年(1189年)9月28日の条に名が出ます。

源頼朝が平泉の達谷窟を通ったときの記事です。

そこには、蝦夷の長である悪路王と赤頭が坂上田村麻呂と藤原利仁によって征伐され
田村麻呂が鞍馬寺を模し多聞天像を安置して西光寺を建てたとあります。

ただし、年代が合いません。

田村麿」は田村麻呂の別表記ですが、その100年ほど後の人物である藤原利仁が同輩のように語られており、伝承に混乱が見られます

赤頭の漢字表記と読み方

読みは「あかがしら」です。

福島県桑折町では「あかずと読みます。

名は、色と体の一部でできています。

赤い頭、です。

この形の名は、当時よくある言い方でした。

阿部幹男は、『常陸大掾伝記』『常陸大掾系図』の中で平国香の子孫という平正幹について
赤頭の四郎将軍と号す」とあることを挙げています。

鎌倉時代の『八幡愚童記』では、塵輪という魔者の姿を「色赤く、頭は8有りて」と表しています。

そこから、時代的趣向から蝦夷の長に「赤頭」という名前を使用したものであろうとしています。

赤頭(あかがしら)

もっとも一般的な表記。

赤頭(あかず)

福島県桑折町での読み。

赤頭の四郎将軍(あかがしらのしろうしょうぐん)

『義経記』での呼び名。

赤瀬太郎(あかせたろう)

赤頭太郎の異名。

赤頭の姿と特徴

赤頭の姿は、土地によって違います。

福島県桑折町の赤頭太郎が、もっとも具体的です。

1丈2尺(3.6メートル)の大男
顔に朱をさしたような見た目
大力無双

赤い顔の大男です。

柳田国男は『山の人生』で、この名を悪路王と並べています。

古来の悪路王や大竹丸の同類に、赤頭太郎などと称して赤い大人が、たくさんにきたという話を信じていたからである。

名の「赤」が、髪か顔かも書き分けています。

また赤頭というのは髪の毛の色で、それが特に目についた場合もあろうが、顔の色の赤いというのもそれ以上に多かったのである。

岩手県大船渡市では、個人ではありません。

赤頭」が個人名ではなく集団名とされます。

悪鬼の部族「赤頭」が坂上田村麻呂に抵抗していたといいます。

一族の名です。

赤頭の伝承物語

  1. 鬼越えを跳び越えた
  2. 首を京へ、胴を岡へ
  3. 祟りを恐れて明神に祀った

鬼越えを跳び越えた

岩手県大船渡市には、岩の名として残っています。

猪川町の久名畑には、かつて盛川に面して「鬼越え」という巨岩がありました。

その岩に、名の由来があります。

その昔、この地では悪鬼の部族「赤頭」が坂上田村麻呂に抵抗していました

彼らは半年ほどの戦いの後に敗れて四散し、長である「高丸」も久名畑から日頃市方面に逃れようとしました

そして、跳びました。

2丈(6メートル)もある巨岩の上に追い詰められた高丸は、最後の力を振り絞って川を跳び越え、そのまま逃げ去ったといいます。

伝説の巨岩そのものは現存しませんが、跡地には「鬼越えふれあい広場」という公園が整備されています。

首を京へ、胴を岡へ

宮城県には、寺の由来として残っています。

宮城県遠田郡涌谷町箟岳字神楽岡に所在する箟峯寺です。

そこに、埋めた話があります。

田村麻呂が赤頭高丸と悪路王を討って首を京に送った後、胴を岡の上に埋めるとともに戦死者を葬った塚を築き、その上に観音堂を建てたという伝説が残ります。

首と胴を分けています。

もう一つ、宮城には記録があります。

伊達氏仙台藩4代藩主・伊達綱村の命により佐久間義和が編纂した『奥羽観蹟聞老志』に、
刈田郡斎川村にある古将堂の勧請由来がみえ、その中に赤頭が登場します。

古将堂は佐藤継信・忠信の妻が凱旋装束して老婆を慰めたという故事に因み、甲冑をおびた女体二像が安置されています

祟りを恐れて明神に祀った

福島県伊達郡桑折町には、神として祀った話があります。

赤頭(あかず)の太郎という大男の伝承が残ります。

古い記録があります。

信達二郡村史』附録「伊達郡富沢村古事記録」によると、
791年(延暦10年)に高丸の郎党である赤頭太郎が半田山の麓にて射殺され、祟りを恐れた人々により「赤頭太郎明神」として祀られたといいます。

討った側が、祀りました。

霊山軍記』上巻には、醍醐天皇の治世に赤頭太郎が威を振るっていたため、追討に差し向けられた藤原利仁により、半田麓で討たれたとあります。

桑折町北半田熊野に所在する益子神社は、大竹丸の弟である赤頭太郎が明神として祀られたのを始まりとしています。

赤頭の伝承地域

赤頭の伝えは、東北の三県にまたがります。

岩手県大船渡市猪川町久名畑かつて「鬼越え」という巨岩があり、跡地は「鬼越えふれあい広場」という公園になっています。
宮城県遠田郡涌谷町箟岳字神楽岡箟峯寺胴を埋めた塚の上に観音堂を建てたと伝わります。
宮城県白石市(旧・刈田郡斎川村) … 古将堂。『奥羽観蹟聞老志』にその由来がみえます。
福島県伊達郡桑折町北半田熊野益子神社赤頭太郎が明神として祀られたのを始まりとします。
福島県伊達郡桑折町北半田道上異名「赤瀬太郎」を顕彰した碑があります。

訪ねる際は、現地の案内をご確認ください。

無夷山 箟峯寺(むいさん こんぽうじ)

赤頭の討伐に結びつけられる山上の寺

地図で開く

無夷山 箟峯寺の所在地:宮城県遠田郡涌谷町箟岳神楽岡1

箟岳山の山頂にあります。

奥州三観音の一つ、奥州三十三観音第九番札所です。

嘉祥2年(849年)に円仁が中興し、以後天台宗に属します。

本尊の十一面観音像は秘仏で、33年に一度の開帳です。

赤頭の正体と考えられているもの

赤頭については、次のように整理できます。

一つめは、『吾妻鏡』です。蝦夷の長である悪路王と赤頭が坂上田村麻呂と藤原利仁によって征伐されたとあります。ただし藤原利仁は田村麻呂の100年ほど後の人物で、伝承に混乱が見られます

二つめは、『義経記』です。『元亨釈書』に登場する高丸が混交したことで、悪路王の名は「悪事の高丸」なる人物に置き換えられ利仁は赤頭の四郎将軍を討ち取って名を挙げたとあります。

三つめは、集団の名です。岩手県大船渡市では「赤頭」が個人名ではなく集団名とされ、悪鬼の部族として語られます。

四つめは、出典の少なさです。喜田貞吉は、『吾妻鏡』以外に確かな出典をほとんど知らないと述べています。

五つめは、悪路王と同一だという見方です。伊能嘉矩は、アカカシラを、アカシラ、アカラと略していけばアクロに通じるので、元は1人の名前を2通りの表記で示したものが、いつしか別々の人物と解釈されるようになったのだろうとしています。

この名は、討たれる側として作られました。 その土地では、祀られる側になっています。

赤頭をめぐる妖怪のつながり

赤頭が登場する作品

赤頭は、討たれる側の名です。

『吾妻鏡』に一度だけ出て、以後の軍記や地方の伝えが枝分かれしました。

資料は鎌倉の記録と、東北各地の由緒に分かれます。

赤頭が登場する古典

吾妻鏡

鎌倉幕府の記録。文治5年の条に悪路王と赤頭の名が出ます。

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義経記

南北朝から室町初期の軍記物語。赤頭の四郎将軍を討った話を載せます。

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赤頭が登場する研究

喜田貞吉「蝦夷の馴服と奥羽の拓殖」

1916年。『吾妻鏡』以外に確かな出典をほとんど知らないと述べています。

伊能嘉矩『悪路王とは何ものぞ』

1922年。赤頭と悪路王を同一人とみる説を出しています。

阿部幹男『東北の田村語り』

2004年。悪路王伝説が形成される過程を論じています。

赤頭が登場する漫画・アニメ

鬼を扱う作品

悪路王と並ぶ蝦夷の長として取り上げられます。

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赤頭についてよくある質問

赤頭とは何ですか。

陸奥国の伝説上の人物で、文献によっては鬼ともされます。『吾妻鏡』に悪路王と並んで坂上田村麻呂と藤原利仁に征伐されたとあります。

年代が合わないと聞きました。

田村麿」は田村麻呂の別表記ですが、その100年ほど後の人物である藤原利仁が同輩のように語られており、伝承に混乱が見られます

悪路王とは別人ですか。

伊能嘉矩は、アカカシラを、アカシラ、アカラと略していけばアクロに通じるので、元は1人の名前を2通りの表記で示したものだろうとしています。

祀られているのですか。

福島県桑折町では、祟りを恐れた人々により「赤頭太郎明神」として祀られたといい、益子神社の始まりとされます。

赤頭と併せて覚えたい言葉・用語

達谷窟(たっこくのいわや)

岩手県平泉町の岩窟。悪路王の拠点とされた。

蝦夷(えみし)

古代の東北に住んだ人々を、都の側から呼んだ言葉。

吾妻鏡(あづまかがみ)

鎌倉幕府の事績を記した歴史書。