岡山県倉敷市の瑜伽山を根城にしたと伝わる鬼の大将。討たれた後、七十五匹の白狐になった。

Reggaeman 「由加神社本宮(岡山県倉敷市児島)」 2008年 / パブリックドメイン 出典
阿久良王とはどんな妖怪か
阿久良王は、瑜伽山を根城にした鬼の大将です。
岡山県倉敷市児島由加の瑜伽山に伝わります。文献によっては「阿久羅王」「阿黒羅王」とも記されます。
東郷太郎、加茂二郎、稗田三郎という三人の家来を率い、村に出ては田畑を荒らし、物を盗み、女をさらうなどして人々を苦しめたと伝えられます。
これを聞いた朝廷は、都で一番強いといわれた坂上田村麻呂を鬼退治に遣わしました。
七日七夜にわたる激しい戦いの末、阿久良王は敗れます。
そして死の間際に、それまでの悪事を悔い、罪滅ぼしとして人々を助けたいと改心しました。
首を斬られた阿久良王は金色の光を放って飛び散り、七十五匹の白狐になったと伝えられます。
阿久良王の漢字表記と読み方
読みは「あくらおう」です。
「阿久良」「阿久羅」「阿黒羅」と、当てる字が定まっていません。音を写した名であって、字に意味を求めるべきものではないとみられます。
「王」は、鬼の集団の首領であることを表しています。
なお、東北に伝わる悪路王とは別のものです。名の響きは似ていますが、伝わる土地も話の筋も異なります。混同しないよう注意が要ります。
根城とされた山の名は「瑜伽山」で、「ゆがさん」と読みます。文献では「喩伽山」とも書かれます。
阿久良王(あくらおう)
もっとも一般的な書き方。
阿久羅王(あくらおう)
文献に見える別の書き方。
阿黒羅王(あくらおう)
同じく文献に見える書き方。
阿久良王の姿と特徴
阿久良王の姿は、伝説のなかでほとんど描かれません。
立場 … 妖鬼の大将。三人の家来を率いる。
家来 … 東郷太郎、加茂二郎、稗田三郎。
行い … 田畑を荒らし、物を盗み、女をさらう。
最期 … 首を斬られると金色の光を放って飛び散り、七十五匹の白狐になった。
角の数や体の色といった、鬼の姿を語るときによく出てくる特徴が、この伝説には出てきません。
かわりに詳しいのは、組織の形です。大将がいて、名の付いた家来が三人いる。降参した稗田三郎は、もとは人間であったとされます。
女の鬼も登場します。鬼の棲み家では女の鬼が酒を飲んでおり、霊酒を飲まされて退治されました。
つまりこの鬼たちは、集団として描かれています。
姿の異形さよりも、村を襲う勢力としての恐ろしさが語りの中心にあります。
阿久良王の伝承物語
白ひげの老人が渡した霊酒
坂上田村麻呂は、船で通生の浦へやってきました。
そして神宮寺八幡院で、七日七夜にわたって鬼退治の祈願をします。
わずかな家来とともに瑜伽山へ進むと、断崖に阻まれました。
祈願すると、白ひげの老人が現れて綱を降ろしてくれます。食料が尽きたときにも、再び現れて食べ物を出しました。
いよいよ鬼退治となったとき、老人はこう言って霊酒を差し出し、姿を消しました。
人が飲めば薬となり、鬼が飲むと毒となる。これで鬼退治をしてくれ
加護と受け止めて鬼の棲み家へ
田村麻呂の一行は、これを加護と受け止めて祈りを捧げ、鬼の棲み家へ進みました。
一匹の鬼が現れて斬り合いになりますが、勝負がつきません。瑜伽大権現に祈ると、鬼は降参しました。
降参した鬼は稗田三郎といい、もとは人間であったといいます。
三郎の案内で鬼の棲み家に着くと、女の鬼が酒を飲んでいました。霊酒を飲ませて退治します。
酒で鬼を倒すという形は、大江山の酒呑童子の話とも共通します。
改心して白狐になる
仲間を討たれたことを知った阿久良王は、東郷太郎、加茂二郎とともに田村麻呂へ攻め込みました。
七日七夜にわたる激しい戦いの末、阿久良王は敗れます。
そして、死の間際にそれまでの悪事を悔いました。
罪滅ぼしとして瑜伽大権現の使いとなり、人々を助けたいと改心したのです。
息を引き取った阿久良王は、田村麻呂に首を斬られました。
すると首は金色の光を放って飛び散り、七十五匹の白狐になって、瑜伽大権現の使いとして人々を助けるようになったと伝えられます。
改心の結末がこの話を分ける
この結末が、阿久良王の伝説をほかの鬼退治の話から分けています。
多くの鬼は討たれて終わります。しかしこの鬼は、討たれたあとに役目を得ます。
七十五という数は、憑きものの話などにも見られる数です。トウビョウが七十五匹の群れをなすといわれるのも、同じ数にあたります。
恐れられたものを、土地を守るものに変える。 そうした語り直しが、この結末には表れています。
早良親王だったという言い伝え
阿久良王の正体について、変わった言い伝えがあります。
『備陽国史』の通生山神宮寺の項によれば、阿久良王は桓武天皇の皇太弟早良親王であるとされています。
早良親王は、藤原種継暗殺事件によって淡路国へ流される途中で憤死したとされる人物です。
しかしこの言い伝えでは、実は児島へ来て名を隠し、阿久良王と名乗ったというのです。
あくまで言い伝えであり、史実とは異なります。
なぜこうした話が生まれたのでしょうか。
早良親王の霊と結び付く
早良親王は、死後に祟りをなしたと恐れられた人物として知られます。中央で恐れられた霊と、土地で恐れられた鬼とが結び付けられたと読むことができます。
もっとも、これは一つの読み方にすぎません。
また、瑜伽山の鬼退治に向かう際、田村麻呂は神の峰の麓にあった円通寺の竜王に戦勝を祈願したとも伝えられます。
鬼退治の後、その礼として身に着けていた金の甲を山頂付近に埋めたといい、これが金甲山の名の由来とされます。
伝説が地名の由来として残っている例です。
阿久良王の伝承地域
阿久良王の伝承地は、岡山県倉敷市児島由加の瑜伽山です。
ここを根城にしていたとされ、討たれた後は瑜伽大権現の使いである七十五匹の白狐になったと伝えられます。
もう一つ、岡山市の金甲山があります。田村麻呂が金の甲を埋めたことが山名の由来とされる土地です。
鬼が退治された場所を、いま歩いて確かめることはできません。棲み家とされた場所を特定する記述は確かめられませんでした。
阿久良王そのものを祀る祠は確かめられませんでした。白狐となって使いに変わった、という形で語り継がれています。
瑜伽山(ゆがさん)
阿久良王が根城にしたとされる山
瑜伽山の所在地:岡山県倉敷市児島由加
阿久良王が根城にしていたと伝えられる山です。文献では「喩伽山」とも書かれます。
断崖に阻まれた田村麻呂が、白ひげの老人に助けられて登ったとされる山でもあります。
討たれた阿久良王は、瑜伽大権現の使いである七十五匹の白狐になったと伝えられます。
現在も由加神社本宮や蓮台寺があり、参詣の地として知られます。
鬼の棲み家とされた場所を特定する記述は確かめられませんでした。
金甲山(きんこうざん)
金の甲を埋めたと伝わる山
金甲山の所在地:岡山県岡山市
鬼退治の際、田村麻呂が円通寺の竜王に戦勝を祈願したと伝えられます。
鬼退治の後、その礼として身に着けていた金の甲を山頂付近に埋めたといい、これが山の名の由来とされます。
甲は兜ではなく鎧のことです。
伝説が地名の由来として残っている例にあたります。
埋めたとされる場所を示すものは確かめられませんでした。
阿久良王の正体と考えられているもの
阿久良王の正体については、次のように考えられています。
朝廷に従わなかった土地の勢力とする見方があります。田畑を荒らし物を盗む集団を朝廷が討つ、という筋書きは、各地の鬼退治の伝説に共通します。降参した稗田三郎が「もとは人間であった」とされることも、この読みを支えます。
早良親王とする言い伝えもあります。『備陽国史』は、淡路へ流される途中で憤死したはずの早良親王が、実は児島へ来て名を隠したと記します。ただしあくまで言い伝えであり、史実とは異なります。
土地の信仰に組み込まれたものとする見方も重要です。討たれた鬼が瑜伽大権現の使いである七十五匹の白狐になるという結末は、恐れられたものを守るものへ変える語り直しにあたります。
坂上田村麻呂の伝説の一つとする見方も欠かせません。田村麻呂が鬼を討つ話は各地にあり、実際の事績とは別に、後から結び付けられた例が多いことが知られています。
どれが本当かは分かっていません。 ただ、この鬼が「討たれて終わらなかった」ことは、他の鬼と大きく違う点です。
阿久良王をめぐる妖怪のつながり
阿久良王が登場する作品
阿久良王は、土地の記録によって伝えられてきた鬼です。
江戸時代の絵師が描いた例は確かめられませんでした。かわりに、地誌や土地の伝説集に話が残されています。
名が知られているのは、房総の一帯ですが、討たれた後に白狐となって役目を得るという結末は、鬼の話としてきわめて珍しいものです。
瑜伽山は現在も参詣の地であり、伝説はその土地の由来として語り継がれています。
阿久良王が登場する書物
備陽国史
通生山神宮寺の項で、阿久良王を早良親王とする言い伝えを載せます。
おかやま伝説紀行
立石憲利の著書。岡山県各地の伝説を集めています。
祭祀から見た古代吉備
薬師寺慎一の著書。吉備の信仰の背景を扱っています。
阿久良王が登場する伝え
金甲山の由来
田村麻呂が金の甲を山頂付近に埋めたことが山名の由来とされます。
阿久良王が登場するそのほか
鬼退治を扱う各種の作品
坂上田村麻呂が討つ鬼の一人として名が挙がることがあります。
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阿久良王についてよくある質問
阿久良王とは何ですか。
岡山県倉敷市児島由加の瑜伽山を根城にしていたと伝わる鬼の大将です。三人の家来を率いて村を荒らし、坂上田村麻呂に討たれたとされます。文献によっては阿久羅王、阿黒羅王とも記されます。
どのように討たれたのですか。
白ひげの老人から「人が飲めば薬となり、鬼が飲むと毒となる」という霊酒を授かった田村麻呂が、七日七夜の戦いの末に討ち取ったとされます。
討たれた後どうなりましたか。
死の間際に悪事を悔い、罪滅ぼしとして人々を助けたいと改心しました。首を斬られると金色の光を放って飛び散り、七十五匹の白狐になって瑜伽大権現の使いとなったと伝えられます。
早良親王だという説は本当ですか。
『備陽国史』にそうした言い伝えが載りますが、あくまで言い伝えであり、史実とは異なります。早良親王は藤原種継暗殺事件によって淡路国へ流される途中で憤死したとされる人物です。
悪路王と同じものですか。
違います。名の響きは似ていますが、悪路王は東北に伝わるもので、伝承地も話の筋も異なります。
阿久良王と併せて覚えたい言葉・用語
瑜伽山(ゆがさん)
岡山県倉敷市児島由加の山。阿久良王の根城とされた。
稗田三郎(ひえだのさぶろう)
阿久良王の家来の一人。降参し、もとは人間であったとされる。
金甲山(きんこうざん)
田村麻呂が金の甲を埋めたことが名の由来とされる山。
早良親王(さわらしんのう)
桓武天皇の皇太弟。阿久良王の正体とする言い伝えがある。後の世の付会。