山を背負い湖を掘ったと語られる巨人。各地の窪地がその足跡とされた。

作者不明 「怪談百鬼図会 大入道」 江戸時代 / パブリックドメイン 出典
ダイダラボッチとはどんな妖怪か
ダイダラボッチはひとことで言えば足跡だけが残った巨人です。
姿を見た話はありません。残っているのは、地面のくぼみのほうです。
関東ではダイラボッチ、デエラ坊。甲州信州ではデエラボッチャといいます。
柳田国男は、東京の代田にある足跡の面積を約三町歩と書き留めています。およそ三ヘクタールの窪地が、一つの足跡でした。
足跡は中国地方に最も多く、四国と紀州がこれに次ぎ、地名になって各国に数十から百を数えます。
ダイダラボッチの漢字表記と読み方
読みは「だいだらぼっち」です。土地によってダイラボッチ、デエラ坊、デエラボッチャと変わります。
古い記録では、この巨人は大人と呼ばれました。九州南部では大人弥五郎、大人隼人といいます。
ダイダラボッチ(だいだらぼっち)
広く使われる呼び方。
大太法師(だいだらぼっし)
柳田国男が記した漢字表記。
大人弥五郎(おおひとやごろう)
九州南部での呼び方。祭で人形を曳く。
ダイダラボッチの姿と特徴
姿の描写はほとんど残っていません。
分かるのは大きさだけです。『常陸国風土記』の大櫛岡の条には、丘の上に腰かけて海の貝を採って食べた大人がいて、その足跡の長さ四十余歩、広さ二十余歩と記されています。
残ったのは体ではなく、体が地面に付けた跡でした。
ダイダラボッチの伝承と変遷
奈良朝の風土記に、すでに足跡がある
大人の足跡という言い伝えは、奈良時代にさかのぼります。
『常陸国風土記』の大櫛岡の条について、柳田国男はこう記します。
丘壟の上に腰かけて大海の蜃を採って食ったといい、足跡の長さ四十余歩、広さは二十余歩とある
丘に腰かけたまま、手が海に届いています。
『播磨国風土記』の多可郡の条には、巨人が南海から北海まで歩いたと伝え、その越えた跡がいくつもの沼になったと書かれています。
巨人の話は、妖怪として語られる前から地誌に載っていました。
石の上の跡と、三町歩の窪地
柳田国男は、全国の足跡を二種類に分けました。
一つは岩の上に付いた跡です。硬い石を踏み窪めたところが不思議なので、形はさほど大きくありません。弁慶や曾我五郎の足跡とされるものも、この型です。石はたいてい崇拝されています。
もう一つは、いくらでも大きくなる型です。こちらは鬼や巨霊にしか帰せられません。
京王電車の代田駅のあたりには、大太法師が架けたという橋があり、その南東の足跡は面積約三町歩、内部はもと杉林でした。踵にあたるところには地下水が湧いています。
簣の目からこぼれた土が、山になる
ダイダラボッチは、ただ歩くだけではありません。
富士山を背負ってどこかへ運ぼうとする。一夜で大きな湖を埋めようとして、簣で土を運ぶ。
その簣の目からこぼれた一塊が、あの塚だ、この山だという話は、どこにでもあります。
柳田国男はここに注目しました。話がことごとく水と土の工事に結びついているのです。
ところによっては山を蹴開き湖水を流し、耕地を作ってくれたなどと伝え、すこぶる天地剖析の神話の面影を忍ばしむるものがある
田を開いてくれた恩人として語る土地がありました。
三足で加賀を歩き、いまも祭で曳かれる
足跡は道筋をなします。加賀国では、東の越中境栗殻山の打越に一つ、次に河北郡木越の光林寺の址という田の中、次に能美郡波佐谷の山の斜面。
三足でこの国を歩いたことになります。
九州南部では、この巨人を大人弥五郎と呼びました。八幡神社の眷属ともいい、逆に昔この大神に討たれた兇賊とも伝えて定まりません。
そしていまも祭のときには、人形に作って曳いて歩きます。
隼人は、この地方では征服された先住民の総称でもありました。山を作った巨人と、討たれた者と、祭で曳かれる人形が、一つの名前の下に重なっています。
上総の鶴枝村で柳田が見た足跡は、四方を樹林に囲まれた中でそこだけが土地台帳で別筆になり、麦か何かが播いてありました。
ダイダラボッチの伝承地域
柳田国男が挙げた足跡は、東京の代田・駒沢、上総の鶴枝村、甲州・信州、加賀の栗殻山・木越・波佐谷などです。古い記録は『常陸国風土記』大櫛岡、『播磨国風土記』多可郡にあります。大人弥五郎の祭は九州南部に伝わります。
大串貝塚ふれあい公園(おおくしかいづかふれあいこうえん)
『常陸国風土記』の大櫛岡にあたる史跡
大串貝塚ふれあい公園の所在地:茨城県水戸市塩崎町1064-1
縄文時代前期(およそ5500年以上前)に形づくられた大串貝塚は、国の史跡です。
奈良時代の『常陸国風土記』に記された、文献に残る世界最古の貝塚とされます。
高さ15.25メートルのダイダラボウ像が立っています。
ダイダラボッチの正体と考えられているもの
ダイダラボッチは、地形の由来を語るための巨人です。
窪地があり、沼があり、塚がある。それを説明するために、山を背負い湖を埋める体が呼び出されました。
だから足跡は湧き水のあるところに多く、話は水と土の工事に集まります。天地を分けた神話の面影が、田んぼの窪みに残っています。
ダイダラボッチをめぐる妖怪のつながり
ダイダラボッチが登場する作品
ダイダラボッチは、地形そのものを説明する妖怪です。
山を運び、足跡が池になり、腰を下ろした跡が窪地になる。 柳田国男は『妖怪談義』所収の「ダイダラ坊の足跡」で、こうした地名伝説を各地から集めました。
創作では、名がそのまま使われています。 『もののけ姫』のディダラボッチは、夜になると巨大化して森を歩く神として描かれました。 巨人が土地を作るという発想が、現代の物語へ受け継がれています。
ダイダラボッチが登場する民俗学
ダイダラボッチが登場する映画
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ダイダラボッチについてよくある質問
ダイダラボッチとは何ですか。
山を背負い湖を埋めたと語られる巨人です。各地の窪地や沼がその足跡とされ、関東ではダイラボッチ、デエラ坊とも呼ばれました。
ダイダラボッチの足跡はどこにありますか。
柳田国男は、東京の代田と駒沢、上総の鶴枝村、加賀の栗殻山・木越・波佐谷などを挙げています。代田のものは面積約三町歩とされます。
いつから伝わる話ですか。
奈良時代の『常陸国風土記』大櫛岡の条に、足跡の長さ四十余歩という大人の記事があります。『播磨国風土記』多可郡の条にも巨人の記事があります。
大人弥五郎とは何ですか。
九州南部でのダイダラボッチの呼び名です。八幡神社の眷属とも、その神に討たれた兇賊とも伝えられ、祭では人形に作って曳いて歩きます。
ダイダラボッチと併せて覚えたい言葉・用語
簣(あじか)
竹や藤で編んだ運搬用のかご。ダイダラボッチはこれで土を運び、こぼれた土が山や塚になったと語られる。
三町歩(さんちょうぶ)
およそ三万平方メートル。代田の足跡の面積として柳田国男が記した広さ。
大人(おおひと)
風土記などに見える巨人の呼び名。ダイダラボッチの古い形にあたる。
ダイダラボッチの参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。