常陸国の山に現れる晴れを司るもの。てるてる坊主はこの霊を祀るという。

鳥山石燕 「今昔画図続百鬼 日和坊」 1779年 / パブリックドメイン 出典
日和坊とはどんな妖怪か
日和坊は、晴れを司る妖怪です。常陸国(現・茨城県)の山に現れるとされます。
雨のときには姿を見せません。
晴れの日にしか出ない妖怪です。 これだけで、他の妖怪とはずいぶん違います。
鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』(1779年)の解説文には、こうあります。
てるてる坊主を吊るして晴れを祈るのは、この妖怪の霊を祀るものである。
絵では、雲の切れ間に見える岩山の上に、小さな人影が座っています。
画面の大半は、雲と山です。 日和坊そのものは、ごく小さく描かれています。
遠くにいるものとして描かれています。
日和坊の漢字表記と読み方
読みは「ひよりぼう」です。
日和とは、天気、とくに晴れた天気のことをいいます。「日和がいい」といえば晴れです。
名前が、この妖怪の役目をそのまま言っています。
「坊」は僧のことです。
そして、この「ひよりぼう」という音は、てるてる坊主の呼び名としても各地に残っています。
『笠附類題集』では「日和坊(ひよりぼん)」。
『大坂繁昌詩』では「祈晴僧(ひよりぼうず)」。
長崎県長崎市では「日和坊(ひよりぼん)さん」。
妖怪の名と、人形の名が、同じ音を持っています。
日和坊(ひよりぼう)
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』での表記。
日和坊(ひよりぼん)
『笠附類題集』では、てるてる坊主をこう呼ぶ。
祈晴僧(ひよりぼうず)
『大坂繁昌詩』での、てるてる坊主の呼び名。
日和坊主(ひよりぼうず)
西日本でのてるてる坊主の呼び名(宮田登)。
日和坊の姿と特徴
石燕の描く日和坊は、次のような姿です。
大きさ … ごく小さい。画面の隅にいる。
姿勢 … 岩の上に座り、膝を抱えている。
顔 … 老人のよう。目と口が描かれている。
衣 … 白い。体を包んでいる。
周囲 … 雲。岩山。松。
画面のほとんどは、雲と山です。
日和坊は、そのなかにぽつんと座っています。 大きさで見せる妖怪とは違います。
遠くにいるということが、この絵の要です。
晴れを司るものが、山の高いところにいて、こちらを見ている。
手を伸ばせる相手ではないのです。
てるてる坊主を吊るして祈るのは、そのためかもしれません。
日和坊の伝承物語
雨の日は出てこない
てるてる坊主を吊るす
石燕の解説文は、日和坊とてるてる坊主を結びつけます。
てるてる坊主を吊るして晴れを祈るのは、この妖怪の霊を祀るものである。
つまり、てるてる坊主は日和坊の依り代だということになります。
てるてる坊主は、紙や布でつくった人形です。軒に吊るして翌日の晴れを願います。
いまも行われている習わしです。
その由来が、山の妖怪にあると石燕は書きました。
しかし、これは石燕以外に報告例のない説明です。
実際にてるてる坊主の起源になったかどうかは、疑わしいとされています。
石燕が、既にあった習わしに後から妖怪を結びつけた。そう見るほうが自然です。
名前のほうが先だった
魃と、日知りの聖
日和坊には、二つの重ねられ方があります。
一つは、民俗学者藤沢衛彦の説です。日和坊を、中国の魃(ひでりがみ)と同一のものとしました。
魃は、日照りをもたらす神です。石燕も『今昔画図続百鬼』に魃を描いています。
もう一つは、民俗学者宮田登の考えです。
てるてる坊主を坊主頭にするのは、旅の僧や修験者が天気祭の司祭だったことを伺わせる、というものです。
かつて「聖=日知り(ひじり)」には、天気を予知し、好天を保つ役割があったと推測されます。
宮田は、茨城県と福島県で雨乞いに作る坊主頭の人形「ころり道心」にも触れ、「日和見」と呼ばれる天気を司る職能との関わりを述べています。
天気を読む者が、僧の姿をしていた。 そこが出発点かもしれません。
日和坊の伝承地域
日和坊が現れるとされるのは、常陸国、現在の茨城県の山です。
ただし、具体的な山の名は石燕も書いていません。
石燕の文献以外にこの妖怪の報告例が無いため、茨城県内に日和坊を伝える土地は確かめられていません。
碑も祠も、この名では見つかっていません。
なお、茨城県と福島県には、雨乞いの際に作る坊主頭の人形「ころり道心」が伝わります。宮田登は、これを天気を司る職能と結びつけて論じています。ただし、これは雨乞いの人形の話であって、日和坊そのものの伝承とは別です。
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日和坊の正体と考えられているもの
日和坊の正体については、次のように整理できます。
一つめは、てるてる坊主の呼び名です。「ひよりぼう」は各地でてるてる坊主を指す語でした。石燕がその語を取り、常陸の山の妖怪に仕立てたという見方です。もっとも有力とされます。
二つめは、魃です。藤沢衛彦は、日和坊を中国の日照り神である魃と同一としました。石燕自身も、同じ本に魃を描いています。
三つめは、日知りの聖です。宮田登は、てるてる坊主が坊主頭であることから、旅の僧や修験者が天気祭の司祭だったことを推測しています。「聖=日知り」には天気を読む役割がありました。
四つめは、晴れを願う心です。日和坊は害をなしません。祈る相手として置かれた妖怪です。
日和坊が何であったかは、わかっていません。 ただ、明日晴れてほしいという願いだけは、いまも軒先に吊るされています。
日和坊をめぐる妖怪のつながり
日和坊が登場する作品
日和坊は、石燕の一枚が原典です。
石燕の文献以外に報告例がありません。 そのため、資料は石燕の絵と、てるてる坊主をめぐる語彙の記録に分かれます。
てるてる坊主の呼び名としての「ひよりぼう」は、複数の書物に残っています。
日和坊が登場する古典
笠附類題集
てるてる坊主を「日和坊(ひよりぼん)」と呼ぶ例があります。
大坂繁昌詩
てるてる坊主を「祈晴僧(ひよりぼうず)」と呼ぶ例があります。
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日和坊についてよくある質問
日和坊はなぜ雨の日に出ないのですか。
晴れを司る妖怪だからです。 雨天のときには姿を見せないとされます。多くの妖怪が雨の夜に現れるのに対し、日和坊はその逆をいきます。
てるてる坊主の起源ですか。
石燕は、てるてる坊主を吊るして晴れを祈るのは日和坊の霊を祀るものと書きました。ただし石燕の文献以外に報告例が無く、実際に起源となったかどうかは疑わしいとされています。
なぜ「ひよりぼう」という名なのですか。
「ひよりぼう」は、各地でてるてる坊主そのものを指す語でした。『笠附類題集』は「日和坊(ひよりぼん)」、『大坂繁昌詩』は「祈晴僧(ひよりぼうず)」と記します。語のほうが先にあったという見方があります。
魃と同じものですか。
藤沢衛彦がそう説明しました。 魃は中国の日照り神です。石燕自身も『今昔画図続百鬼』に魃を描いていますが、両者を同じものとする根拠は石燕の書には見当たりません。
日和坊と併せて覚えたい言葉・用語
日和(ひより)
天気、とくに晴れた天気のこと。
魃(ひでりがみ)
中国の日照り神。石燕も『今昔画図続百鬼』に描いている。
ころり道心(ころりどうしん)
茨城県と福島県で雨乞いの際に作る坊主頭の人形。