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大阪府

寺つつき(てらつつき)とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品

寺つつき  / テラツツキ

鳥の妖怪 軍記・物語鳥山石燕の絵

四天王寺や法隆寺に現れ、嘴で寺を突き壊そうとする啄木鳥のような怪鳥。

寺つつきの姿を描いた図

鳥山石燕 「今昔画図続百鬼 寺つつき」 1779年 / パブリックドメイン 出典

寺つつきとはどんな妖怪か

寺つつきは、寺を突き壊そうとする怪鳥です。鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』(1779年)にあります。

四天王寺法隆寺に現れ、嘴で寺中を突いて破壊しようとしているとされます。

その正体には、名前があります。

物部守屋です。古来の神々を信仰し、仏教の受け入れに反対しました。

そして、聖徳太子蘇我馬子に討伐されます。

その後、守屋は寺つつきという怨霊になったといいます。仏法に障りを成すため、太子の建てた寺を壊そうとしているのです。

石燕の絵では、啄木鳥が飛び、その下に守屋らしき人物が座っています。

鳥と人が、一枚に描かれています。

寺つつきの漢字表記と読み方

読みは「てらつつき」です。

寺を啄(つつ)くもの名前が、行いをそのまま表しています。

啄木鳥(きつつき)は、木を突く鳥です。木つつきが語源です。

木を寺に替えれば、寺つつきになります。

正体とされる物部守屋は、飛鳥時代の豪族です。大連(おおむらじ)の位にありました。

古来の神々を信仰し、仏教の受け入れに反対しました。

そして、丁未の乱(587年)で蘇我馬子・聖徳太子の軍に敗れ、討たれます。

寺つつきの名は、その後の話です。

寺つつき(てらつつき)

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』での表記。

寺啄(てらつつき)

漢字を当てた書き方。

テラツツキ(てらつつき)

カタカナで書くこともある。

寺つつきの姿と特徴

石燕の描く寺つつきは、次のような姿です。

… 啄木鳥。翼を広げて飛ぶ。
… 大きな顔の男。牙が見える。目を見開いている。
… 花模様の広い袖。
背景 … 建物の柱と欄干。
そば … 灯明。花瓶。

鳥と人が、同じ画面にいます。

人は物部守屋とされます。 顔は大きく、鬼のようです。

鳥は小さく描かれ、上へ向かって飛んでいます。寺を突きに行くところです。

石燕は、怨霊とその化けた姿を、同時に描きました。

守屋は座ったまま、動きません。飛んでいるのは鳥だけです。

同じものの、二つの姿が並んでいます。

寺つつきの伝承物語

  1. 物部守屋という人
  2. 四天王寺と法隆寺
  3. 太子は鷹になった
  4. 正体はアカゲラ

物部守屋という人

寺つつきの正体とされるのは、物部守屋です。

飛鳥時代の豪族で、大連(おおむらじ)の位にありました。

物部氏は、代々古来の神々を祀る役目を担ってきた一族です。

そこへ、仏教が入ってきました。

蘇我氏は受け入れを進め、物部氏は反対します。国の神を祀ってきた者にとって、外来の仏を拝むことは筋が通らなかったのです。

争いは武力になりました。丁未の乱(587年)です。

守屋は、蘇我馬子と聖徳太子の軍に敗れ、討たれます。

そして、寺が建ちました。

四天王寺も法隆寺も、聖徳太子の建立と伝えられます。

負けた側が、その寺を突きに来る。 それが寺つつきの話です。

四天王寺と法隆寺

寺つつきが現れるとされるのは、四天王寺法隆寺です。

四天王寺は大阪市天王寺区にあります。聖徳太子が、丁未の乱の戦勝を祈願して建てたと伝えられます。

戦の相手は、物部守屋でした。

法隆寺は奈良県斑鳩町にあります。こちらも聖徳太子ゆかりの寺です。

どちらも、太子の寺です。

守屋の怨霊が突くのは、自分を討った者が建てた寺ということになります。

四天王寺には、守屋を祀る守屋祠があります。討った側が、討たれた側を祀っています。

怨霊を鎮めるという考え方は、日本の寺社に広く見られます。

寺つつきの話も、その延長にあります。

太子は鷹になった

鎌倉時代の軍記物語『源平盛衰記』に、続きがあります。

寺つつきが寺を突き荒らすのを止めるため、聖徳太子が動きました。

聖徳太子は、鷹になったといいます。

鷹は、啄木鳥を捕らえる鳥です。

そして、寺つつきは二度と現れなくなったと伝えられます。

この決着のつけ方が見事です。

守屋は鳥になった。ならば、太子はそれを獲る鳥になる。

生前の戦いが、鳥の姿で繰り返されています。そして、結果も同じです。

四天王寺には、鷹の像が置かれています。太子が化けたとされる鷹です。

正体はアカゲラ

寺つつきの正体は、アカゲラだといわれます。

キツツキ科の鳥です。日本各地の森にいます。

木の幹を嘴で叩き、なかの虫を捕らえます。

叩く音は、遠くまで響きます。乾いた木を、規則正しく連打する音です。

寺の木造建築は、キツツキにとって大木と変わりません。

古い柱や板壁に穴が開けば、そこには虫がいます。鳥は、それを狙います。

実際に、寺の建物はキツツキに突かれます。

音がする。穴が開く。しかし、姿は見えないことが多い。

そこに守屋の名が結びつけられました。

寺の管理をめぐる現実的な困りごとが、怨霊の話になっています。

寺つつきの伝承地域

寺つつきが現れるとされるのは、四天王寺法隆寺です。

四天王寺は大阪市天王寺区にあり、聖徳太子が丁未の乱の戦勝を祈願して建てたと伝えられます。境内には、物部守屋を祀る守屋祠があります。

法隆寺は奈良県生駒郡斑鳩町にあり、こちらも聖徳太子ゆかりの寺です。

どちらも実在し、訪ねることができます。

ただし、寺つつきそのものを祀った堂や碑は確かめられていません。守屋祠は、あくまで物部守屋を祀るものです。

確かめられていない場所を、伝承地として挙げることはしません。この欄は空のままにしてあります。

寺つつきの正体と考えられているもの

寺つつきの正体については、次のように整理できます。

一つめは、物部守屋の怨霊です。古来の神々を信仰し、聖徳太子と蘇我馬子に討たれた豪族です。仏法に障りを成すため、太子の建てた寺を壊そうとしているとされます。

二つめは、アカゲラです。キツツキ科の鳥で、木の幹を嘴で叩いて虫を捕らえます。寺の木造建築は、鳥にとって大木と変わりません。

三つめは、敗者を祀る仕組みです。四天王寺には守屋を祀る守屋祠があります。討った側が討たれた側を祀るのは、怨霊を鎮めるためです。 寺つつきの話も、その延長にあります。

四つめは、寺の傷みです。古い木造の寺には、必ず穴が開き、柱が傷みます。その理由を説明する話として、この妖怪は働きます。

寺つつきが何であったかは、わかっていません。 ただ、負けた者が鳥になって戻ってくるという筋は、はっきりと残りました。

敗れた側の執心が形をとる例には、経凛々もあります。空海との法力比べに敗れた守敏の、捨てられた経文が化けたものとされます。

寺つつきをめぐる妖怪のつながり

寺つつきが登場する作品

寺つつきは、歴史上の人物に結びついた妖怪です。

物部守屋、聖徳太子、蘇我馬子。実在の人物が、そのまま話の中に出てきます。 そのため、軍記物語にも記録が残りました。

石燕の絵は、その系統の上に置かれたものです。

寺つつきが登場する古典

今昔画図続百鬼

鳥山石燕、1779年。寺つつきの絵と、物部守屋の怨霊とする解説文があります。

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源平盛衰記

鎌倉時代の軍記物語。聖徳太子が鷹になって寺つつきに対抗したと記します。

寺つつきが登場する研究

妖怪事典

村上健司編著、2000年。物部守屋との結びつきを整理しています。

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寺つつきが登場する漫画・アニメ

ゲゲゲの鬼太郎

寺つつきが登場します。寺を突く怪鳥として描かれます。

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妖怪をまとめて扱う作品

鳥の妖怪として、怨霊にまつわるものと並べて取り上げられます。

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寺つつきについてよくある質問

寺つつきの正体は誰ですか。

物部守屋とされます。古来の神々を信仰し、仏教の受け入れに反対した豪族で、聖徳太子と蘇我馬子に討たれましたその怨霊が寺つつきになったといいます。

なぜ四天王寺と法隆寺なのですか。

どちらも聖徳太子ゆかりの寺だからです。 とくに四天王寺は、太子が丁未の乱の戦勝を祈願して建てたと伝えられます。その戦の相手が、物部守屋でした。

寺つつきはどうなったのですか。

『源平盛衰記』によれば、聖徳太子が鷹になって対抗し、寺つつきは二度と現れなくなったといいます。鷹は啄木鳥を捕らえる鳥です。

本当の鳥の正体は何ですか。

アカゲラだといわれます。キツツキ科の鳥で、木の幹を嘴で叩いて中の虫を捕らえます。古い木造の寺は、鳥にとって大木と変わりません。

寺つつきと併せて覚えたい言葉・用語

物部守屋(もののべのもりや)

飛鳥時代の豪族。仏教の受け入れに反対し、丁未の乱で討たれた。

丁未の乱(ていびのらん)

587年の争い。蘇我馬子・聖徳太子の軍が物部守屋を討った。

アカゲラ(あかげら)

キツツキ科の鳥。木の幹を嘴で叩いて虫を捕らえる。