雨のそぼ降る夜、大峰・葛城の山中に現れて斎料を乞う僧。

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 小雨坊」 1781年 / パブリックドメイン 出典
小雨坊とはどんな妖怪か
小雨坊は、雨の夜に山中で布施を乞う僧の姿の妖怪です。鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』(1781年)にあります。
石燕は、こう書きました。
小雨坊は 雨そぼふる夜、大みねかつらぎの山中に徘徊して 斎料をこふとなん
小雨坊は、雨のそぼ降る夜、大峰・葛城の山中を徘徊して斎料を乞うという。
「斎料(ときりょう)」とは、僧に対する布施のことです。
大峰山と葛城山は、どちらも修験道の霊山です。奈良県南部にあります。
絵では、雨の降るなか、石塔にすがるように立つ僧が描かれています。手には何かを握り、身をかがめています。
石燕の記した情報は、これで全部です。
小雨坊の漢字表記と読み方
読みは「こさめぼう」です。
小雨は、細かく降る雨のことです。現れる天気が、そのまま名前になっています。
「坊」は僧のことです。坊主の坊と同じです。
石燕の文にある「雨そぼふる」とは、雨が静かに降りしきることをいいます。
「斎料(ときりょう)」の「斎」は、僧の食事のことです。斎料は、その食事のための布施を指します。
大峰山と葛城山は、修験道の霊山です。山伏が修行のために入る山でした。
雨のなか、山道で僧に呼び止められる。 石燕が書いたのは、その場面です。
小雨坊(こさめぼう)
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』での表記。
小雨坊主(こさめぼうず)
「坊」を「坊主」と書き下した呼び方。
コサメボウ(こさめぼう)
カタカナで書くこともある。
小雨坊の姿と特徴
石燕の描く小雨坊は、次のような姿です。
姿勢 … 身をかがめ、石塔に寄りかかっている。
衣 … 僧衣。裾が乱れている。
手 … 何かを握っている。
顔 … 上を向き、口を開けている。
背後 … 石塔。竹。杉の木。
天候 … 雨。線が斜めに降っている。
顔は老いています。 頬がこけ、皺が寄っています。
疲れきった者の顔です。 恐ろしい形相には描かれていません。
石塔に寄りかかる姿が、この絵の要です。立っているのがやっとという様子に描かれています。
雨は、画面全体に細い線で描かれています。小雨です。
乞う者の絵であって、襲う者の絵ではありません。
小雨坊の伝承物語
斎料を乞うということ
石燕が書いた小雨坊の行いは、ただ一つです。
斎料を乞う。
斎料とは、僧に対する布施です。食事のための施しをいいます。
妖怪でありながら、していることは托鉢です。
僧が食を乞うのは、本来ふつうの行いです。修行の一部です。
しかし、それが雨の夜、山の中で行われれば話は変わります。
大峰山と葛城山は、修験道の霊山です。山伏が命がけで修行に入る山でした。
そこで、雨に濡れた僧が近づいてきて、食べ物を求める。
断ればどうなるのか。石燕は書いていません。
書かなかったことが、この絵を怖くしています。
大峰と葛城
石燕は、現れる場所を名指ししています。大峰と葛城です。
大峰山は奈良県南部、吉野から熊野へ続く山脈です。修験道の根本道場とされます。
葛城山は奈良県と大阪府の境にある山です。役行者が修行したと伝えられます。
どちらも、修験道にとって最も重い山です。
石燕が場所を書いた妖怪は、そう多くありません。火前坊の鳥部山と並ぶ、数少ない例です。
そして、この二つの山には共通点があります。
厳しい修行の場であり、行き倒れる者が出た場所です。
山に入って戻らなかった僧。その姿を、小雨坊に見ることはできます。
粟をねだる別の小雨坊
昭和・平成の妖怪の本には、別の小雨坊が出てきます。
旅人から粟、あるいは少量の食物や小銭をねだる。
この説明の出どころは、山田野理夫の『東北怪談の旅』です。
同書には、寛文11年(1671年)、雨の降る津軽街道の山中で、小雨坊なる者が旅人に粟をねだったという話が紹介されています。
しかし、これは津軽地方のものとして紹介された話です。
石燕の描いた小雨坊は、大峰・葛城の山にいます。奈良と津軽では、離れすぎています。
そのため、この津軽の小雨坊と石燕の小雨坊とは無関係と考えられています。
粟をねだるという行動は、別の話から来ています。
書かれなかったことのほう
小雨坊について、石燕が書いたのは一行だけです。
雨の夜、大峰・葛城の山中を徘徊して斎料を乞う。
書かれていないことのほうが、はるかに多くあります。
姿を変えるのか。
人に害をなすのか。
布施を与えればどうなるのか。
断ればどうなるのか。
いずれも書かれていません。
そのため、後の書き手はそこを埋めました。粟をねだる、小銭をねだる。
しかし、埋められた部分は石燕のものではありません。
小雨坊についてわかっているのは、雨の夜、山で僧が食を乞うという一場面だけです。
それだけで、この妖怪は成立しています。
小雨坊の伝承地域
小雨坊が現れるとされるのは、大峰山と葛城山です。
大峰山は奈良県南部、吉野から熊野へ続く山脈で、修験道の根本道場とされます。葛城山は奈良県と大阪府の境にあり、役行者が修行したと伝えられます。
どちらも実在の霊山ですが、小雨坊を祀った碑や祠は見つかっていません。
山田野理夫が伝える津軽街道の小雨坊は、青森県の話です。ただし、石燕の小雨坊とは無関係と考えられています。
石燕が場所を名指しした数少ない妖怪ですが、訪ねて見るべき目印はありません。
無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。
小雨坊の正体と考えられているもの
小雨坊の正体については、次のように整理できます。
一つめは、行き倒れた修行僧です。大峰・葛城は修験道の霊山であり、厳しい修行の途中で命を落とす者もいました。 その霊が、雨の夜に食を乞うという読みです。
二つめは、托鉢の僧そのものです。斎料を乞うのは、僧の本来の行いです。雨の夜、山の中という場所だけが、それを怪異にしています。
三つめは、山伏です。大峰・葛城には山伏が入りました。里の人にとって、山から下りてくる僧形の者は、半ば異界の存在でした。
四つめは、津軽の小雨坊です。粟をねだるという説明の出どころですが、石燕の小雨坊とは無関係と考えられています。
小雨坊が何であったかは、わかっていません。 ただ、雨の山道で、僧に食を乞われるという一場面だけは、石燕がはっきり書き残しました。
石燕は、修行の場に現れるものとして滝霊王も描いています。諸国の滝壺から現れ、一切の鬼魅諸障を伏せるとされます。
小雨坊をめぐる妖怪のつながり
小雨坊が登場する作品
小雨坊は、石燕の一枚が原典です。
ただし、解説文に場所と行いがはっきり書かれているため、他の絵より手がかりがあります。 大峰・葛城という地名と、斎料を乞うという行為です。
昭和以降に加わった「粟をねだる」という説明は、別の話から来ています。
小雨坊が登場する古典
小雨坊が登場する研究
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小雨坊についてよくある質問
斎料とは何ですか。
僧に対する布施のことです。「斎」は僧の食事を指し、斎料はその食事のための施しをいいます。小雨坊は、これを乞うとされます。
どこに現れるのですか。
石燕は大峰と葛城と書いています。大峰山は奈良県南部の修験道の根本道場、葛城山は奈良県と大阪府の境にある山で、役行者が修行したと伝えられます。
粟をねだるというのは本当ですか。
石燕は書いていません。 山田野理夫の『東北怪談の旅』にある、寛文11年の津軽街道の話から来ています。石燕の小雨坊とは無関係と考えられています。
布施を断るとどうなりますか。
石燕は書いていません。 害をなすとも、祟るとも記されていません。書かれているのは、雨の夜、山中を徘徊して斎料を乞うという一行だけです。
小雨坊と併せて覚えたい言葉・用語
斎料(ときりょう)
僧に対する布施。食事のための施し。
大峰山(おおみねさん)
奈良県南部の山脈。修験道の根本道場とされる。
葛城山(かつらぎさん)
奈良県と大阪府の境にある山。役行者が修行したと伝えられる。