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全国に伝わるもの

松明丸(たいまつまる)とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品

松明丸  / タイマツマル

火の妖怪 鳥山石燕の絵

火を携えた猛禽のような鳥。天狗礫の放つ光とされ、仏道修行を妨げる。

松明丸の姿を描いた図

鳥山石燕 「百器徒然袋 松明丸」 1784年 / パブリックドメイン 出典

松明丸とはどんな妖怪か

松明丸は、火を携えた鳥の妖怪です。鳥山石燕の『百器徒然袋』(1784年)にあります。

絵では、猛禽のような大きな鳥が、枯木の茂る山中で燃える松明を足でつかんでいます。羽は細かく描き込まれ、目は鋭く光っています。

石燕の解説によれば、これは天狗礫が発する光です。深い山の森の中に現れるとされます。

そして、この火は道を照らしません。

石燕は、松明丸を仏道修行を妨げるものとして置いています。暗闇を照らす灯りではないのです。

天狗礫とは、石が空から突然降ってくるという現象です。どこから飛んできたのかわからない。そこから、天狗の仕業といわれました。

松明丸の漢字表記と読み方

読みは「たいまつまる」です。

松明は、松の脂を含んだ木を束ねた灯りです。手に持って夜道を照らします。

「丸」は、幼名や刀剣などにつける呼び方です。牛若丸、鬼童丸火に「丸」をつけたところが、この名の面白さです。

物として扱われていたはずの松明が、名前を持った者になります。

天狗礫の「礫」は、投げる小石のことです。「つぶて」と読みます。

飛礫を人の仕業ではないものと考える見方は、白河天皇のころ(十一世紀)にはすでにありました。僧兵の強訴では、神意をあらわすものとして飛礫が飛んだとされます。

松明丸(たいまつまる)

鳥山石燕『百器徒然袋』での表記。

天狗礫(てんぐつぶて)

石が空から降ってくる現象。石燕は松明丸をその光とした。

タイマツマル(たいまつまる)

カタカナで書くこともある。

松明丸の姿と特徴

石燕の描く松明丸は、次のような姿です。

姿 … 猛禽のような大きな鳥。
… 細かく描き込まれ、幾重にも重なる。
… 二本。片足で燃える松明をつかむ。
… 鋭く曲がる。
… 見開いている。
背景 … 枯木の茂る山。

火は、足の先にあります。

鳥そのものが燃えているのではなく、火を運んでいます。

石燕の火の妖怪には、火そのものが体になっているものが多くあります。ふらり火姥ヶ火もそうです。

松明丸は違います。 火を持つ者として描かれています。

だからこそ、道を照らすようでいて照らさないという石燕の言葉が効きます。

松明丸の伝承物語

  1. 照らさない火
  2. 石が降ってくる
  3. 金沢と麹町
  4. 降り止むまで

照らさない火

石燕は、松明丸についてはっきりと書いています。

照らすためではなく、修行を妨げるための火である。

火を持っているのに、道の役に立たない。 ここが要です。

深い山の森の中で修行する者にとって、灯りは命綱です。それが目の前に現れる。

しかし、その火に近づいてはいけません。

『百器徒然袋』は、器物の妖怪を集めた本です。そのなかで松明丸は、道具でありながら人の役に立たないものとして置かれています。

石燕は同じ本で、天井嘗が「冬寒く燈暗し」を起こしていると書きました。

灯りをめぐる悪さを、石燕は繰り返し描いています。

石が降ってくる

松明丸の背景にあるのは、天狗礫という現象です。

石が空から突然降ってくる。

まるでどこかから投げられたようでいて、どこから飛んできたのかわからない。そこから、天狗が投げた石つぶてではないかといわれました。

天狗が人々に素行の悪さを悔い改めさせようとしているとも、狐狸の仕業ともいわれます。

そして、伝えには害も含まれます。

この石に当たった者は病気になる。
この怪異に遭うと不猟になる。

石川県加賀市の怪談集『聖城怪談録』には、大聖寺神社の神主が体験した天狗礫の話があります。

空から石が降ってくる。しかし足元を見ると、地面に落ちたはずの石がありません

金沢と麹町

天狗礫の記録は、江戸時代に数多く残されています。

郷土史家・森田平次の『金沢古蹟志』によれば、宝暦5年(1755年)3月、金沢の尾張町・今町で、昼夜を問わず礫が打たれたといいます。止まないため、天狗の仕業といわれました。

嘉永7年(1854年)には、江戸麹町の卵商人の家に天狗礫が起きました。

少ないときで二十から三十個、多いときは五十から六十個の小石がどこからか飛んできます。

屋根に登って投げる者を見極めようとすると、石は背後から飛んできます。後ろを振り向くと、今度は反対側から飛んできました。

さらに不可解なことがあります。

石が人に当たっても、当たった感触は確かにあるのに、体には一切傷が残らなかったといいます。

降り止むまで

麹町の家は、次第に不思議な家として見物人が増えました。

そして、町方同心たちが見回りを強化すると、飛んでくる石の数は減っていきます。

ある日を境に、この現象は完全に消え失せたといいます。

明治9年(1876年)の錦絵新聞『東京絵入新聞』には、家の中で天狗礫が起きた例が載っています。

中村繁次郎という男の家で、正午ごろから急に石が降り始め、一時間ほど続きました。

繁次郎は、病床の父を心配させたくないと考え、降ってきた石を神棚に上げ、酒や食べ物を供えて祈りました。

すると神棚の石はいつの間にか消え、さらに激しく石が降り始めます。

刀を振るって見えない敵を威嚇しても、効き目はありませんでした。

松明丸の伝承地域

松明丸には、訪ねられる伝承地がありません。

石燕が『百器徒然袋』に描いた妖怪であり、土地の言い伝えとして採られたものではないためです。

背景にある天狗礫には、記録の残る土地があります。石川県加賀市(『聖城怪談録』)、金沢市の尾張町・今町(『金沢古蹟志』)、江戸の麹町(嘉永7年)。

ただし、いずれも一度きりの出来事として書き留められたものです。 松明丸の名で伝えられた場所ではありません。

無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。

松明丸の正体と考えられているもの

松明丸の正体については、次のように整理できます。

一つめは、天狗礫の光です。石燕自身がそう書いています。石が降ってくるという現象に、光の側面を与えたものです。

二つめは、修行の妨げです。石燕は、松明丸を仏道修行を妨げる妖怪としました。深い山の森に現れ、火を持ちながら道を照らしません。

三つめは、天狗です。飛礫を人の仕業ではないと見る考え方は、白河天皇のころ(十一世紀)にはありました。僧兵の強訴では、神意をあらわすものとして飛礫が飛んだとされます。

四つめは、狐狸です。天狗礫は狐狸の仕業ともいわれました。『遠野物語』には、二本の尾を持った大狐が夜ごと石を降らせた話があります。その狐は捕えられました。

五つめは、人の仕業です。麹町の例では、町方同心の見回りが強まると石は減り、やがて止みました。

松明丸が何であったかは、わかっていません。 ただ、役に立たない灯りという一点は、石燕がはっきり書き残しました。

松明丸をめぐる妖怪のつながり

松明丸が登場する作品

松明丸は、石燕の一枚が原典です。

ただし、背景にある天狗礫には江戸から明治にかけての記録が数多くあります。 金沢、江戸麹町、東京。新聞にまで載りました。

そのため、資料は石燕の絵と、天狗礫をめぐる記録に分かれます。

松明丸が登場する古典

百器徒然袋

鳥山石燕、1784年。松明丸の絵と、天狗礫の光とする解説文があります。

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聖城怪談録

石川県加賀市の怪談集。大聖寺神社の神主が体験した天狗礫の話があります。

金沢古蹟志

森田平次。宝暦5年、金沢の尾張町・今町での天狗礫を記します。

遠野物語

柳田國男。二本の尾を持った大狐が夜ごと石を降らせた話があります。

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松明丸が登場する研究

妖怪事典

村上健司編著、2000年。天狗礫の事例を整理しています。

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松明丸が登場する漫画・アニメ

妖怪をまとめて扱う作品

火の妖怪として、天狗にまつわるものと並べて取り上げられます。

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松明丸についてよくある質問

松明丸の火は道を照らしますか。

照らしません。 石燕は、暗闇を照らす火ではなく、仏道修行を妨げる妖怪としています。深い山の森の中に現れるとされます。

天狗礫とは何ですか。

石が空から突然降ってくる現象です。どこから飛んできたのかわからないところから、天狗が投げたものではないかといわれました。狐狸の仕業ともされます。

石は人に当たりますか。

当たります。ただし江戸麹町の例では、当たった感触は確かにあるのに、体には一切傷が残らなかったと記録されています。

天狗礫は止むのですか。

麹町の例では、町方同心の見回りが強化されると石の数が減り、ある日を境に完全に消え失せたといいます。明治の東京の例では、警察が届けを受けて巡査が訪れ、巡査の目の前でも石が降ったと記されています。

松明丸と併せて覚えたい言葉・用語

天狗礫(てんぐつぶて)

石が空から突然降ってくる現象。天狗の仕業とされた。

松明(たいまつ)

松の脂を含んだ木を束ねた灯り。手に持って夜道を照らす。

百器徒然袋(ひゃっきつれづれぶくろ)

鳥山石燕の妖怪画集。1784年。器物の妖怪を集める。