雨の夜、蓑にほたるのような火が点々と灯る怪火。近江彦根に伝わる。

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 蓑火」 1781年 / パブリックドメイン 出典
蓑火とはどんな妖怪か
蓑火は、蓑に灯る火です。近江国(現・滋賀県)彦根に伝わります。
旧暦五月、梅雨の夜。琵琶湖を舟で渡っていると、着ている蓑に点々と火の玉が現れます。
ほたるの光のようだといいます。
熱くはありません。
消し方は決まっています。蓑をすみやかに脱ぎ捨てれば、蓑火も消えます。
やってはいけないのは、手で払うことです。
うかつに払いのけようとすると、火はどんどん数を増し、星のまたたきのようにきらきらと光ります。
鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にも「蓑火」の絵があります。石燕は、これを狐火の一種として記しています。
蓑火の漢字表記と読み方
読みは「みのび」です。
蓑は、藁や菅で編んだ雨具です。肩から羽織って雨をしのぎます。
舟に乗る者、田で働く者にとって、蓑は日々の道具でした。
その蓑に火が点く。しかも熱くない。
各地では「蓑虫」と呼ばれます。虫の名ですが、ここでは蓑につくものという意味です。
ミノボシ、ミーボシ、ミームシ。新潟から秋田にかけて、呼び方が細かく分かれます。
信濃川の流域にとくに多い怪異です。
千葉県印旛沼では「川蛍」と呼ばれました。
蓑火(みのび)
滋賀県彦根での呼び名。もっとも一般的な表記。
蓑虫(みのむし)
秋田県仙北郡、新潟県、福井県坂井郡などでの呼び名。
蓑虫火(みのむしび)
新潟県などでの呼び名。
ミノボシ(みのぼし)
新潟県での呼び名。
川蛍(かわぼたる)
千葉県印旛沼の同種の怪火。『利根川図志』にある。
蓑火の姿と特徴
蓑火は、次のように現れます。
時期 … 旧暦五月。梅雨の夜。
場所 … 琵琶湖の舟の上、雨の夜道。
つく先 … 蓑、傘、衣服。
見え方 … ほたるの光のような火の玉が点々と。
熱 … 無い。
払うと増えます。 これがこの怪火の性質です。
一つを消そうとすると、星のまたたきのように数が増える。
そして、もう一つの特徴があります。大勢でいるときでも、一人にしか見えないことがあります。
同行者には見えない。この状態を「蓑虫に憑かれた」と呼びました。
逆に、居合わせた全員に憑くこともあります。
マッチなどで火を灯すか、しばらく待てば消え去るといいます。
蓑火の伝承物語
払ってはいけない
蓑火には、はっきりした作法があります。
蓑をすみやかに脱ぎ捨てれば、火は消えます。
手で払うと、増えます。
うかつに払いのけようとすれば、どんどん数を増し、星のまたたきのようにきらきらと光る。
熱くはありません。ですから、火傷することもありません。
それでも、増える。
この「払うと増える」という性質は、蓑火のもっとも印象的なところです。
消そうとする動作が、逆に呼び込む。触れないことが正解という怪異は、ほかにもあります。
新潟や坂井郡では、マッチで火を灯すか、しばらく待てば消え去るといいます。
こちらから何もしなければ、やがて終わります。
一人にしか見えない
蓑虫の名で呼ばれる地方には、もう一つの特徴が伝わります。
大勢でいるときでも、一人にしか見えないことがある。
同行者には見えません。自分の蓑だけが光っていて、隣の者には何も見えない。
この状態を「蓑虫に憑かれた」と呼びました。
憑かれる、という言い方が重要です。
現象ではなく、その人に起きたこととして扱われています。
逆に、居合わせた人々全員に憑くこともあるといいます。
新潟県中蒲原郡大秋村では、秋にもっとも多く出ると伝えられました。
正体は、新潟県ではイタチ、三条市では狐、福井県坂井郡では狸の仕業とされます。
水死した者の火
彦根に伝わる蓑火には、正体をめぐる説があります。
琵琶湖で水死した人間の怨霊が、姿を変えたもの。
琵琶湖は日本最大の湖です。舟が沈めば、助かりません。
梅雨の夜、その湖を渡っているときに火が灯る。 説明としては、よくできています。
一方、明治の哲学者井上円了は別の見方を示しました。
一種のガスによる現象である。
井上は妖怪の合理的な説明を数多く残した人です。沼や湖から立つガスは、実際に発光することがあります。
どちらの説も、湖という場所から出発しています。
水が深く、夜が暗く、雨が降っている。そこで光るものがあれば、人は必ず意味をつけます。
傘の水滴が目をくらます
北陸の奇談集『北越奇談』などには、福井県坂井郡の「蓑虫」の記述があります。
ただし、こちらは怪火ではありません。
雨の夜道で、傘の水滴が目の前に垂れ下がる。手で払おうとすると、脇によける。
そして、次第に水玉が大きくなり、数を増して目をくらますといいます。
正体は狸の仕業とされ、石屋や大工には憑かないという特徴も伝わります。
秋田県仙北郡角館町付近では、また別です。蓑虫は寒い晴れの日、蓑や被り物の縁に光が付着して、手で払っても消えないものだといいます。
同じ名で、違うものが呼ばれています。
共通しているのは、払っても消えないという一点だけです。
印旛沼の川蛍
安政年間の書物『利根川図志』に、似た怪火が載っています。「川蛍(かわぼたる)」です。
千葉県印旛沼の話です。
主に雨の日、夜中に、高さ一〜二尺(約30〜60センチメートル)の空中にほたるのような光が漂うといいます。
沼に出した舟の中に入ってくることもあります。
そして、力まかせに叩くと、船一面に砕け散る。
火のように燃えることはありません。しかし、非常に生臭い悪臭と、油のようにぬるぬるとした気味の悪い感触が残ります。
洗ってもなかなか落ちないといいます。
蓑火は熱くありませんでした。川蛍は、叩けば砕けて臭う。
触れた結果まで記録されている、めずらしい例です。
蓑火の伝承地域
蓑火の伝承地は、滋賀県彦根市とその沖の琵琶湖です。
舟で琵琶湖を渡る夜に現れるとされ、特定の建物や祠に結びついた怪異ではありません。
同種の怪火は各地にあります。秋田県仙北郡、新潟県中蒲原郡、新潟市、三条市、福井県坂井郡(現・坂井市)。信濃川の流域にとくに多いものです。
千葉県印旛沼の川蛍も、同じ系統として記録されています。
しかし、どの土地にも蓑火を祀った碑や祠は見つかっていません。
湖と川そのものが、この怪異の場所です。無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。
蓑火の正体と考えられているもの
蓑火の正体については、次のように整理できます。
一つめは、水死者の怨霊です。琵琶湖で水死した人間の怨霊が姿を変えたものという伝えです。湖という場所から、自然に出てくる説明です。
二つめは、ガスです。井上円了の説で、沼や湖から立つガスによる現象とします。実際に、湿地のガスは発光することがあります。
三つめは、狐狸やイタチです。新潟県ではイタチ、三条市では狐、福井県坂井郡では狸の仕業とされました。憑くものを獣に帰すのは、各地に共通する型です。
四つめは、狐火の一種です。石燕は『今昔百鬼拾遺』で、蓑火を狐火の類として記しています。
五つめは、水滴です。福井県坂井郡の「蓑虫」は、雨の夜道で傘の水滴が目の前に垂れ、払うと脇によけるというものでした。光ではなく、水です。
蓑火が何であったかは、わかっていません。 ただ、払うほど増えるという一点が、どの土地の話にも残りました。
蓑火をめぐる妖怪のつながり
蓑火が登場する作品
蓑火は、各地に呼び名の残る怪火です。
彦根の蓑火、新潟の蓑虫、印旛沼の川蛍。同じ現象が、土地ごとに違う名で記録されています。 絵の妖怪と違い、伝承側の資料があります。
石燕の絵は、その系統の上に置かれたものです。
蓑火が登場する古典
北越奇談
福井県坂井郡の「蓑虫」の記述があります。こちらは水滴の怪異です。
利根川図志
安政年間。千葉県印旛沼の「川蛍」を載せています。
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蓑火についてよくある質問
蓑火は熱いのですか。
熱くありません。 蓑に点々と灯りますが、燃え移ることも火傷することもないと伝えられます。千葉県印旛沼の川蛍も、火のように燃えることはないとされます。
どうすれば消えますか。
蓑をすみやかに脱ぎ捨てることです。 手で払うと、逆に数を増します。 新潟や福井では、マッチなどで火を灯すか、しばらく待てば消え去るともいわれます。
なぜ一人にしか見えないのですか。
理由はわかっていません。大勢でいても一人にしか見えないことがあり、この状態を「蓑虫に憑かれた」と呼びました。 逆に、居合わせた全員に憑くこともあるといいます。
正体は何ですか。
琵琶湖で水死した者の怨霊とも、ガスによる現象(井上円了)ともいわれます。地方によってはイタチ・狐・狸の仕業とされます。石燕は狐火の一種として記しました。
蓑火と併せて覚えたい言葉・用語
蓑(みの)
藁や菅で編んだ雨具。肩から羽織って雨をしのぐ。
蓑虫に憑かれる(みのむしにつかれる)
蓑火が自分にだけ見えている状態を指す言い方。
井上円了(いのうええんりょう)
明治の哲学者。妖怪を合理的に説明する研究を数多く残した。