鏡を引きずり音を立てて現れる老婆。石燕は白粉の神に仕える侍女と記した。

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 白粉婆」 1781年 / パブリックドメイン 出典
白粉婆とはどんな妖怪か
白粉婆は、奈良県十津川流域に伝わる老婆の妖怪です。
鏡を引きずって、ジャラジャラと音を立てながら現れるとされます。
鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』(1781年)にも、この名の絵があります。石燕の描く白粉婆は、ひどく腰の曲がった老婆です。
大きな破れ傘を頭にかぶり、右手に杖をつき、左手に酒徳利を持っています。
石燕はこう書きました。
紅おしろいの神を脂粉仙娘と云 おしろいばばは此神の 侍女なるべし
紅と白粉の神を脂粉仙娘という。白粉婆は、この神の侍女であろう。
ただし、この石燕の白粉婆と、奈良の伝承の白粉婆が同じものかはわかっていません。
白粉婆の漢字表記と読み方
読みは「おしろいばばあ」です。「おしろいばば」とも読みます。
「白粉」は、顔に塗る白い化粧品です。米の粉や鉛を用いました。
化粧の名がついた妖怪は、めずらしいものです。
石燕が記す「脂粉仙娘(しふんせんじょう)」は、紅と白粉の神です。「脂」は紅、「粉」は白粉を指します。
婆は老女のことです。若い娘の神に、老いた侍女が仕えている。その取り合わせが、この妖怪の形をつくっています。
奈良県の十津川流域では、鏡を引きずる音でその名が呼ばれました。ジャラジャラという音です。
白粉婆(おしろいばばあ)
もっとも一般的な表記。
白粉婆(おしろいばば)
語尾を伸ばさない読み方。
白粉婆さん(おしろいばあさん)
「さん」をつけた呼び方。
脂粉仙娘(しふんせんじょう)
石燕が記す、白粉婆が仕えるという紅白粉の神の名。
白粉婆の姿と特徴
石燕の描く白粉婆は、次のような姿です。
腰 … ひどく曲がっている。
頭 … 大きな破れ傘をかぶる。
右手 … 杖をついている。
左手 … 酒徳利を提げている。
足元 … 雪。空には鳥が三羽。
顔は皺に埋もれ、笑っているように見えます。
傘・杖・徳利。持ち物が三つとも揃っている絵は、石燕の中でもめずらしいものです。
奈良の伝承では、姿よりも音が語られます。鏡を引きずるジャラジャラという音です。
姿を見る前に、音が来る。それが、この妖怪の現れ方です。
石燕の絵に鏡は描かれていません。絵と伝承は、別のところを見ています。
白粉婆の伝承物語
鏡を引きずる音
奈良県吉野郡十津川流域に伝わる白粉婆は、姿より先に音で知られます。
鏡を引きずって、ジャラジャラと音を立てながら現れる。
十津川は、奈良県の南端にある日本一面積の広い村です。深い谷が続き、集落は山肌に点在します。
そうした土地で、夜に金属の擦れる音が近づいてくる。 想像するだけで十分です。
なぜ鏡なのか。伝えははっきりしません。
鏡は、化粧に使うものです。 白粉と鏡は、同じ道具立てのなかにあります。
老いた女が、鏡を引きずって歩く。その姿を思い浮かべたとき、この妖怪はもっとも効きます。
脂粉仙娘の侍女
石燕は、白粉婆に短い解説をつけました。
紅と白粉の神を、脂粉仙娘という。白粉婆は、この神の侍女であろう。
「なるべし」と書いています。石燕自身が、断定していません。
脂粉仙娘は、中国の書物に見える紅白粉の神とされます。石燕は、和漢の書物から名を引いてくることを繰り返しました。
神がいて、その侍女がいる。
この形をとると、白粉婆はただの化物ではなくなります。役目のある者になります。
ただし、石燕がこの神を持ち出した理由はわかりません。
奈良の白粉婆と、石燕の白粉婆。同じ名でありながら、結びつく手がかりがありません。
雪女と同じという説
白粉をねだる山の女
白粉婆を、山姥や山女の系統に置く見方があります。
根拠は、山中の女の妖怪をめぐる話の型です。
旅人に白粉をねだる。
山の麓に現れて酒を買う。
こうした話が各地に伝わっています。白粉と酒。石燕の絵にある道具立てと、そのまま重なります。
山に住む女が、里のものを欲しがる。白粉も酒も、山では手に入らないものです。
そして、どちらも人を美しく、あるいは陽気にするものです。
山の女は、それを人からもらうことでしか手に入れられません。
白粉婆は、その系統の末に置かれた名かもしれません。
長谷寺の白粉婆
奈良県の長谷寺には、まったく別の白粉婆の伝説があります。
天文6年(1537年)。座主・弘深上人の発案で、本堂いっぱいの大きさの紙に観音菩薩を描くことになり、全国から画僧が集まりました。
ところが足利将軍家の軍勢が寺に押し入り、穀物を根こそぎ徴発してしまいます。
食事が出ないのではと画僧たちが案じていると、小僧が井戸端へ案内しました。そこでは一人の娘が米を研いでいます。
桶に残った一粒を水につけると、米は桶いっぱいに膨れ上がりました。
画僧の一人が、観音の化身なら顔を見たいと小石を投げます。娘が顔を上げると、その顔は白粉を塗ってはいるものの、苦労で皺だらけの老婆のようでした。
いまも長谷寺の境内には、白粉婆の堂があります。
白粉婆の伝承地域
白粉婆の伝承地としては、奈良県吉野郡十津川村の流域が挙げられます。ここが、鏡を引きずる老婆の話が伝わる土地です。
また、奈良県桜井市の長谷寺の境内には、別系統の伝説にもとづく白粉婆の堂があり、その老婆が祀られています。明治のころまでは、毎年正月の修正会でこの像に白粉を塗る行事が行われていたといいます。
ただし、長谷寺の白粉婆と、十津川の白粉婆が同じものかはわかっていません。
十津川村の側には、白粉婆の名を刻んだ碑や祠は見つかっていません。
確かめられていない場所を、伝承地として挙げることはしません。 この欄は空のままにしてあります。
白粉婆の正体と考えられているもの
白粉婆の正体については、次のように整理できます。
一つめは、十津川の老婆の妖怪です。奈良県吉野郡十津川流域に伝わり、鏡を引きずってジャラジャラと音を立てて現れるとされます。これがもっとも古い形です。
二つめは、脂粉仙娘の侍女です。石燕は、紅白粉の神である脂粉仙娘に仕える侍女であろうと書きました。「なるべし」と、石燕自身が言い切っていません。
三つめは、山姥・山女の類です。旅人に白粉をねだり、麓で酒を買う山の女の話が各地にあります。石燕の絵の酒徳利と、よく合います。
四つめは、雪女と同じものです。藤沢衛彦の説ですが、根拠とされた能登の伝承は確かめられておらず、石燕の絵からの連想と指摘されています。
五つめは、長谷寺の観音の化身です。天文6年の伝説にある白粉を塗った老婆で、いまも境内に堂があります。十津川の白粉婆との関わりはわかっていません。
白粉婆が何であったかは、わかっていません。 ただ、化粧道具の音が近づいてくるという一点は、いまも不気味です。
白粉婆をめぐる妖怪のつながり
白粉婆が登場する作品
白粉婆は、伝承と絵の両方に名があるめずらしい例です。
奈良県十津川流域の言い伝えと、石燕の絵。両者が同じものを指しているのかは、いまも確かめられていません。
そのため、資料は伝承側と絵側に分かれます。
白粉婆が登場する古典
白粉婆が登場する研究
図説民俗学全集
藤沢衛彦。白粉婆を雪女と同一とする説を載せますが、根拠は確かめられていません。
白粉婆が登場する漫画・アニメ
妖怪をまとめて扱う作品
山の老婆の妖怪として、山姥と並べて取り上げられます。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
白粉婆についてよくある質問
白粉婆はどこに伝わる妖怪ですか。
奈良県吉野郡十津川流域です。鏡を引きずってジャラジャラと音を立てながら現れる老婆とされます。石燕の『今昔百鬼拾遺』にも同じ名の絵がありますが、両者が同じものかはわかっていません。
脂粉仙娘とは何ですか。
石燕が記す紅と白粉の神です。「脂」は紅、「粉」は白粉を指します。石燕は白粉婆をこの神の侍女であろうと書きました。「なるべし」と、断定してはいません。
雪女と同じ妖怪ですか。
藤沢衛彦がそう説明しました。 石川県能登地方で雪の夜に酒を求めて現れるとしています。ただし能登にその伝承は確かめられておらず、石燕の絵からの連想と指摘されています。
長谷寺の白粉婆とは別のものですか。
関わりはわかっていません。 長谷寺には天文6年の伝説にもとづく白粉婆の堂があり、老婆が祀られています。明治のころまでは、正月の修正会でこの像に白粉を塗る行事がありました。
白粉婆と併せて覚えたい言葉・用語
白粉(おしろい)
顔に塗る白い化粧品。米の粉や鉛でつくられた。
脂粉仙娘(しふんせんじょう)
石燕が記す紅白粉の神。白粉婆はこの神の侍女とされる。
十津川(とつかわ)
奈良県吉野郡の村。日本一面積が広い村で、白粉婆の伝承地。