芭蕉の霊が人の姿をとって人を化かすというもの。謡曲『芭蕉』のもと。

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 芭蕉精」 1781年 / パブリックドメイン 出典
芭蕉精とはどんな妖怪か
芭蕉精は、芭蕉の霊が人の姿をとるという怪異です。鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』(1781年)にあります。
絵では、大きく裂けた芭蕉の葉のあいだから、老人のような顔が覗いています。葉脈がそのまま髭のように流れています。
石燕の解説文は、由来を書いています。
芭蕉の精が人に化ける物語が唐土(中国)にあり、謡曲『芭蕉』はこれによって作られた。
その通りです。 中国の『湖海新聞夷堅続志』(元代)などに、芭蕉の精が人に化ける話があります。
日本の謡曲『芭蕉』は、読経中の僧のもとに芭蕉の精が女の姿で現れ、「非情の草木も成仏できるか」と尋ねるものです。
問いを持って現れる妖怪です。
芭蕉精の漢字表記と読み方
読みは「ばしょうのせい」です。
芭蕉は、バショウ科の大型の草です。バナナに似た大きな葉を広げます。実は食べられません。
日本では庭木として植えられ、沖縄では繊維をとるために大規模に栽培されました。芭蕉布の材料です。
「精」は、ものに宿る霊のことです。木の精、水の精と同じ使い方です。
謡曲『芭蕉』が問うのは、この一点です。
非情の草木も成仏できるか。
「非情」とは、心を持たないものという意味です。人や獣は「有情」、草木は「非情」とされました。
その非情の側から、僧に問いかけてきます。
芭蕉精(ばしょうのせい)
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』での表記。
芭蕉の精(ばしょうのせい)
「の」を入れた書き方。
芭蕉の怪(ばしょうのかい)
佐藤成裕『中陵漫録』巻3での題。
芭蕉精の姿と特徴
石燕の描く芭蕉精は、次のような姿です。
葉 … 大きく、裂けている。画面を覆う。
顔 … 葉のあいだから覗く老人のよう。
髭 … 葉脈がそのまま流れて髭に見える。
花 … 芭蕉の花が下に垂れる。
姿 … 半ば葉に埋もれ、輪郭がはっきりしない。
人の形をとりきっていません。
葉であり、同時に顔である。 その途中の状態が描かれています。
謡曲『芭蕉』では、芭蕉の精は女の姿で現れます。中国の説話でも人に化けます。
石燕は、化けきる前を描きました。
葉が破れやすいのは、芭蕉という草の特徴です。風ですぐに裂けます。その裂け目が、顔をつくっています。
芭蕉精の伝承物語
非情の草木も成仏できるか
謡曲『芭蕉』は、一つの問いでできています。
読経中の僧のもとに、芭蕉の精が女の姿で現れます。
そして、こう尋ねます。
非情の草木も成仏できるか。
「非情」とは、心を持たないものです。仏教では、人や獣を「有情」、草木を「非情」と分けました。
心が無いものは、悟りを開けるのか。 これは、当時の仏教で真剣に論じられた問いです。
日本では「草木国土悉皆成仏」という考え方が広まりました。草も木も国土も、すべて仏になれるという立場です。
謡曲『芭蕉』は、その考え方を舞台に載せたものです。
芭蕉の精は、脅かしに来たのではありません。 答えを聞きに来ました。
唐土から来た話
石燕は、この怪異の出どころをはっきり書いています。
芭蕉の精が人に化ける物語が唐土にあり、謡曲『芭蕉』はこれによって作られた。
そして、その通りでした。
中国の『湖海新聞夷堅続志』(元代)などの説話に、芭蕉の精が人の姿に化ける怪異譚があります。
謡曲『芭蕉』は、その『湖海新聞』を題材につくられたものです。
石燕の解説が、そのまま出典の説明になっている例です。
『今昔百鬼拾遺』には、こうした絵がいくつもあります。白沢も返魂香も、中国の書物から来ています。
石燕は、和漢の書物を読んで妖怪を選びました。 芭蕉精はその一つです。
琉球の蕉園
佐藤成裕の随筆『中陵漫録』巻3に、「芭蕉の怪」という一段があります。
琉球には「蕉園」といって、芭蕉から繊維をとるために、芭蕉が数里も渡って植えられている場所があります。
そこを夜更けに通ると、必ず異形の者に遭うといいます。
ただし、遭っても驚くだけで、直接の害は受けません。
そして、刀を手にしていればこの怪異を避けられるとも伝えられます。
佐藤成裕は、理由をこう推し量りました。
芭蕉は大きな葉を持つことから、草木の中でも一際大いなる者である。だからその精霊が人を脅すのだろう。
大きい草には、大きい精が宿る。 素朴で、筋の通った考え方です。
午後六時からの戒め
『中陵漫録』には、琉球のもう一つの言い伝えが記されています。
女性は、午後六時過ぎに芭蕉の茂る中を歩くことを戒められていました。
もしこの戒めを破ると、美しい男性、またはさまざまな怪物に遭うといいます。
そして、それらを目にすると必ず妊娠させられてしまうというのです。
身ごもった子は十か月後に産まれます。それは牙を生やした鬼のような恐ろしい子でした。
しかも、その後も毎年、同じような子を産み続けてしまうといいます。
この子が生まれた際には、熊笹を粉末にしたものを飲ませて殺さなくてはならず、そのために家々では常に熊笹を取り置いていたと記されます。
繰り返しを断つための備えが、家に常備されていた。 そこが、この伝えの重いところです。
切り倒された芭蕉
『中陵漫録』の「芭蕉の怪」には、琉球以外の話もあります。信州(現・長野県)の一件です。
僧侶が寺で夜通し読書をしていました。
そこへ、どこからか美女が現れて僧を誘惑します。
僧は怒って、短刀で斬りつけました。 女は血を流して逃げ去ります。
翌朝、僧が血痕を辿りました。跡は庭まで続いています。
そして、庭に植えた芭蕉が切り倒されていました。
人々は、芭蕉が女に化けたのだろうと話したといいます。
血の跡を辿ると草にたどり着く。 この型の話は、狐狸のものとして各地にあります。
芭蕉精は、その型に草木で入っています。
芭蕉精の伝承地域
芭蕉精には、訪ねられる伝承地がありません。
中国の説話と謡曲を出どころとする怪異であり、一つの土地に結びついたものではないためです。
『中陵漫録』には、琉球(現・沖縄県)の「蕉園」と、信州(現・長野県)の寺の話が記されています。
しかし、いずれも場所の名は挙げられていません。 芭蕉が植えられている場所、寺、という条件が書かれているだけです。
沖縄では、いまも芭蕉布のために芭蕉が栽培されています。ただし、そこが芭蕉精の伝承地として記録されているわけではありません。
無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。
芭蕉精の正体と考えられているもの
芭蕉精の正体については、次のように整理できます。
一つめは、中国の説話です。石燕自身が、芭蕉の精が人に化ける物語が唐土にあると書いています。『湖海新聞夷堅続志』(元代)などに、その怪異譚があります。
二つめは、謡曲『芭蕉』です。読経中の僧のもとに女の姿で現れ、非情の草木も成仏できるかと尋ねます。中国の説話を題材につくられました。
三つめは、大きな葉です。佐藤成裕は、芭蕉は草木の中でも一際大いなる者だから、その精霊が人を脅すのだろうと推し量りました。
四つめは、夜の畑です。琉球の蕉園は数里に渡る規模でした。大きな葉が一面に茂る場所を、夜更けに通る。 それだけで十分に不気味です。
五つめは、破れやすさです。芭蕉の葉は風ですぐ裂けます。裂け目のできた葉は、顔に見えます。
芭蕉精が何であったかは、わかっていません。 ただ、草木のほうから問いかけてくるという一点は、他の妖怪にないものです。
芭蕉精をめぐる妖怪のつながり
芭蕉精が登場する作品
芭蕉精は、中国から日本へ渡ってきた怪異です。
元代の説話が謡曲になり、その謡曲を石燕が絵にしました。 出どころがはっきり辿れる、めずらしい例です。
そのうえ、江戸時代の随筆には琉球と信州の話も残りました。
芭蕉精が登場する古典
芭蕉
謡曲。芭蕉の精が僧に「非情の草木も成仏できるか」と尋ねます。
湖海新聞夷堅続志
元代の中国の書。芭蕉の精が人の姿に化ける怪異譚があります。
中陵漫録
佐藤成裕。巻3「芭蕉の怪」に琉球と信州の話を載せています。
芭蕉精が登場する研究
芭蕉精が登場する漫画・アニメ
妖怪をまとめて扱う作品
草木の妖怪として、木の精にまつわるものと並べて取り上げられます。
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芭蕉精についてよくある質問
芭蕉精はどんな姿で現れますか。
謡曲『芭蕉』では女の姿で現れます。中国の説話でも人に化けます。石燕の絵では、芭蕉の葉のあいだから老人のような顔が覗く、化けきる前の姿で描かれています。
「非情の草木も成仏できるか」とはどういう意味ですか。
「非情」とは心を持たないもののことです。仏教では人や獣を「有情」、草木を「非情」と分けました。心の無いものが悟りを開けるのかという問いで、当時の仏教で真剣に論じられました。
琉球の芭蕉の怪とは何ですか。
『中陵漫録』によれば、芭蕉から繊維をとるために数里も渡って植えられた「蕉園」を夜更けに通ると、必ず異形の者に遭うといいます。驚くだけで直接の害は受けず、刀を手にしていれば避けられるとされました。
信州の話とはどんなものですか。
寺で夜通し読書をしていた僧のもとに美女が現れ、誘惑しました。僧が短刀で斬りつけると女は血を流して逃げます。翌朝、血痕を辿ると庭に植えた芭蕉が切り倒されていたといいます。
芭蕉精と併せて覚えたい言葉・用語
芭蕉(ばしょう)
バショウ科の大型の草。バナナに似た大きな葉を広げる。繊維は芭蕉布になる。
非情(ひじょう)
仏教で、心を持たないもの。草木や国土を指す。
蕉園(しょうえん)
琉球で芭蕉を大規模に栽培していた場所。