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全国に伝わるもの

屏風闚(びょうぶのぞき)とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品

屏風闚  / ビョウブノゾキ

器物と草木 鳥山石燕の絵

屏風の外から人を覗き込むもの。七尺の屏風の向こうをも覗く。

屏風闚の姿を描いた図

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 屏風闚」 1781年 / パブリックドメイン 出典

屏風闚とはどんな妖怪か

屏風闚は、屏風の外から覗くものです。鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』(1781年)にあります。

絵では、白い衣の者が屏風の上から身を乗り出し、長い髪を垂らしています。顔だけが、こちらを向いています。

石燕の解説文によれば、屏風闚とは屏風の外側から人を覗き込む妖怪です。

そして、七尺もの屏風の向こうをも覗くとされます。

七尺は、約2.1メートルです。

なぜ七尺なのか。中国の古典に理由があります。

秦の始皇帝は、殺害されかけたときに咸陽宮の屏風を飛び越えたといわれます。

石燕の解説にある七尺の屏風とは、この咸陽宮の屏風です。

屏風闚の漢字表記と読み方

読みは「びょうぶのぞき」です。

(き)は、うかがうのぞくという字です。門の隙間から見る形をしています。

屏風は、部屋を仕切る折りたたみの衝立です。

寝るとき、着替えるとき、人を招くとき。屏風は「見せない」ために立てられます。

その屏風を、越えて覗かれます。

石燕が引いた咸陽宮は、秦の都・咸陽にあった宮殿です。

始皇帝が刺客に襲われたとき、屏風を飛び越えて逃げたと伝えられます。

越えられる屏風。

そこから、この妖怪が組み立てられました。

屏風闚(びょうぶのぞき)

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』での表記。

屛風闚(びょうぶのぞき)

異体字を用いる表記。

屏風のぞき女(びょうぶのぞきおんな)

山田野理夫『東北怪談の旅』での題。

屏風闚の姿と特徴

石燕の描く屏風闚は、次のような姿です。

姿勢 … 屏風の上から身を乗り出す。
… 長く垂れ、顔にかかる。
… こちらを向いている。目が細い。
… 白い。袖が長く垂れる。
屏風 … 二曲。細かい花文様が全面に入る。
手前 … 硯箱と筆。刀。

下半身が、屏風の裾から出ています。

白い衣が、屏風の下からうねって伸びています。 体がどこまで続いているのかわかりません。

顔は、笑っているようにも見えます。

そして、手が屏風の縁に掛かっています。

自分で越えてきたことがわかります。

手前に置かれたが、この部屋の主が武士であることを示しています。

屏風闚の伝承物語

  1. 咸陽宮の屏風
  2. 秘め事を見てきた屏風
  3. 角館の初夜
  4. 屏風をしまえば消える

咸陽宮の屏風

石燕が引いたのは、中国の古典です。

秦の始皇帝が、殺害されかけたときの話です。

始皇帝は、咸陽宮の屏風を飛び越えたといわれます。

刺客に襲われ、逃げるために屏風を越えた。

石燕の解説にある「七尺の屏風」とは、この咸陽宮の屏風です。

そして、屏風闚はその七尺の屏風の向こうをも覗くとされます。

始皇帝が命がけで越えた高さを、この妖怪は覗くだけで越えます。

中国の古典をもとにして描かれた創作物との指摘があります。

石燕は、漢籍から妖怪を仕立てることを繰り返しました。

沓頬も、払子守も、猪口暮露も同じです。

秘め事を見てきた屏風

屏風闚には、まったく別の読みがあります。

多くの男女の秘め事を見続けてきた、寝室の屏風が付喪神になったもの。

屏風は、寝室に立てられます。

枕屏風といい、寝床の枕元に置く小さな屏風もありました。

風を防ぎ、灯りを遮り、人目を隔てます。

そして、その屏風は、隔てた内側をずっと見ています。

見せないための道具が、いちばん見ている。

この読みに立つと、屏風闚は覗く側に回った屏風になります。

『百器徒然袋』にも、道具が人の位置に立つという転倒が繰り返し現れます。

屏風闚も、その系統です。

角館の初夜

山田野理夫の『東北怪談の旅』に、「屏風のぞき女」という題の話があります。

秋田県の怪談です。

仙北郡角館に住む西田清左衛門という武士が結婚し、美男美女同士の結婚と評判になりました。

しかし、その初夜のことです。

布団の中で清左衛門が新妻を抱こうとすると、周りを取り囲む屏風の陰から、痩せた女が長い髪を垂らして覗き見ていました。

どこから来たかと問うと、女は「のぞき女だ」と名乗ります。

次の晩も、同じように現れました。

そこで清左衛門は、屏風を立てることをやめて蔵にしまいました。

すると、のぞき女は現れなくなったといいます。

後にこの屏風は、寺に奉納されました。

屏風をしまえば消える

角館の話の決着は、あっさりしています。

屏風をしまったら、来なくなった。

つまり、のぞき女は屏風についていたことになります。

屏風が無ければ、覗く場所もありません。

そして、その屏風は寺に奉納されました。

捨てず、燃やさず、供養しています。

器物の怪異は、この形で終わることが多くあります。

小袖の手も、死者の衣を寺に納める風習が背景にありました。

道具に何かがついたとき、江戸の人は寺へ持って行きました。

石燕の絵に戻れば、屏風闚は屏風の上にいます。

屏風を畳めば、いなくなるのかもしれません。

屏風闚の伝承地域

屏風闚には、訪ねられる伝承地がありません。

石燕が中国の古典をもとにして描いた創作物との指摘があり、土地の言い伝えとして採られたものではないためです。

解説文が引く咸陽宮は、秦の都・咸陽にあった宮殿です。中国の遺跡が残ります。

山田野理夫の『東北怪談の旅』には、秋田県仙北郡角館の話がありますが、同書は著者によって創作された妖怪伝承が多数収録されていることで知られています。

碑も祠も、この名では見つかっていません。

無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。

屏風闚の正体と考えられているもの

屏風闚の正体については、次のように整理できます。

一つめは、咸陽宮の屏風です。秦の始皇帝が殺害されかけたときに飛び越えたとされる屏風で、石燕の解説にある「七尺の屏風」はこれを指します。 中国の古典をもとにした創作物との指摘があります。

二つめは、寝室の屏風です。多くの男女の秘め事を見続けてきた寝室の屏風が付喪神になったものとの説もあります。 見せないための道具が、いちばん見ています。

三つめは、覗くという行いです。屏風は隔てるためにあります。それを越えられることが、この妖怪の芯です。

四つめは、屏風そのものです。角館の話では、屏風をしまったら現れなくなり、後に寺へ奉納されました。 屏風についていたことになります。

屏風闚は、伝承として語られてきた妖怪ではありません。 石燕が漢籍から仕立てた一体と考えられています。

屏風闚をめぐる妖怪のつながり

屏風闚が登場する作品

屏風闚は、漢籍を下敷きにした絵です。

秦の始皇帝が咸陽宮の屏風を飛び越えたという故事を知っていると、「七尺」という数の意味が見えてきます。

資料は石燕の絵と、その典拠にあたるものが中心です。

屏風闚が登場する古典

今昔百鬼拾遺

鳥山石燕、1781年。屏風闚の絵と、七尺の屏風を記す解説文があります。

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屏風闚が登場する研究

東北怪談の旅

山田野理夫、1974年。秋田県角館の「屏風のぞき女」の話を載せています。

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妖怪事典

村上健司編著、2000年。咸陽宮の故事との関わりを整理しています。

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屏風闚が登場する漫画・アニメ

ゲゲゲの鬼太郎

屏風のぞきが登場します。屏風から身を乗り出す姿で描かれます。

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妖怪をまとめて扱う作品

器物の妖怪として、付喪神と並べて取り上げられます。

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屏風闚についてよくある質問

屏風闚は何をするのですか。

屏風の外側から人を覗き込みます。 石燕によれば、七尺もの屏風の向こうをも覗くとされます。七尺は約2.1メートルです。

なぜ七尺なのですか。

中国の古典に由来します。秦の始皇帝が殺害されかけたときに咸陽宮の屏風を飛び越えたといわれ、石燕の解説にある七尺の屏風とはこの咸陽宮の屏風とされます。

寝室の屏風という説は何ですか。

多くの男女の秘め事を見続けてきた寝室の屏風が付喪神になったものとする説です。屏風は見せないための道具ですが、隔てた内側をずっと見ていることになります。

角館の話はどう終わるのですか。

武士が屏風を立てることをやめて蔵にしまったところ、のぞき女は現れなくなりました。後にこの屏風は寺に奉納されたといいます。

屏風闚と併せて覚えたい言葉・用語

(き)

うかがう、のぞくという字。門の隙間から見る形をしている。

咸陽宮(かんようきゅう)

秦の都・咸陽にあった宮殿。始皇帝が屏風を飛び越えたとされる。

枕屏風(まくらびょうぶ)

寝床の枕元に置く小さな屏風。