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静岡県

無垢行騰(むくむかばき)とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品

無垢行騰  / ムクムカバキ

器物と草木 軍記・物語鳥山石燕の絵

河津三郎が赤沢山で討たれたとき身につけていた行騰が化けたもの。

無垢行騰の姿を描いた図

鳥山石燕 「百器徒然袋 無垢行騰」 1784年 / パブリックドメイン 出典

無垢行騰とはどんな妖怪か

無垢行騰は、行騰(むかばき)の妖怪です。鳥山石燕の『百器徒然袋』(1784年)にあります。

行騰とは、馬に乗って遠出をしたり狩りをしたりする際に、腰から下を覆う毛皮です。

絵では、斑模様の毛皮が身をよじり、顔を持っています。笹の茂る野に立っています。

石燕の解説文には、こうあります。

赤沢山の露ときへし河津三郎が行騰にや、夢心におもひぬ。

赤沢山の露と消えた河津三郎の行騰であろうかと、夢の中で思った。

河津三郎は、『曽我物語』に出てくる曾我兄弟の父です。

赤沢山(静岡県)で、工藤祐経に暗殺されました。

無垢行騰の漢字表記と読み方

読みは「むくむかばき」です。

行騰(むかばき)は、馬に乗って遠出をしたり、狩りをしたりする際に身につける、腰から下を覆う毛皮です。

鹿や熊の毛皮でつくりました。巻狩りには欠かせない装束です。

無垢」は、混じり気がないことを指します。仏教の語でもあります。

毛皮の無垢とは、白一色ということでしょうか。

石燕は説明していません。「無垢」の意味は、はっきりしません。

河津三郎(かわづさぶろう)は、『曽我物語』に出てくる人物です。曾我祐成(十郎)と曾我時致(五郎)の父にあたります。

赤沢山は、静岡県にある山です。

無垢行騰(むくむかばき)

鳥山石燕『百器徒然袋』での表記。

無垢行縢(むくむかばき)

「騰」を「縢」と書く例もある。

行騰(むかばき)

もとになった狩りの装束の名。

無垢行騰の姿と特徴

石燕の描く無垢行騰は、次のような姿です。

… 毛皮。斑模様が全面にある。
… 上部に目と口がある。人のようにも獣のようにも見える。
… 二股に分かれて垂れる。脚を覆う形のまま。
姿勢 … 身をよじり、こちらを向く。
背景 … 笹。枯れた野。

毛皮の形を、そのまま保っています。

脚を覆うために二股になっている部分が、そのまま足のように見えます。 履くための道具が、履かれずに立っています。

斑模様は、鹿の毛皮を思わせます。

江戸時代に描かれた絵巻『百鬼夜行絵巻』(東京国立博物館の所蔵作品など)や『付喪神絵巻』には、行縢を付けて木馬にまたがっている妖怪が描かれています。

石燕が行縢の妖怪を発想したことと、関わりが考えられています。

無垢行騰の伝承物語

  1. 赤沢山の露と消えた
  2. 復讐しなかった行騰
  3. 巻狩りという場
  4. 絵巻の木馬

赤沢山の露と消えた

石燕の解説文は、はっきりと持ち主を名指しします。

赤沢山の露と消えた河津三郎の行騰であろうか。

河津三郎は、『曽我物語』に出てくる人物です。

曾我祐成(十郎)・曾我時致(五郎)という、曾我兄弟の父にあたります。

そして、赤沢山(静岡県)で工藤祐経に暗殺されました。

曾我兄弟の仇討ちは、日本三大仇討ちの一つとして知られます。

父を討たれた兄弟が、十八年後に工藤祐経を討ちました。

その父が、身につけていた行騰。

持ち主が明確に語られており、恨む対象も特定されています。 妖怪としては、めずらしいことです。

復讐しなかった行騰

ところが、この妖怪には不思議な点があります。

工藤祐経がこの妖怪によって復讐されたという伝説は、見られません。

恨む相手がはっきりしているのに、何もしていません。

一般的にも、『曽我物語』や曽我物の歌舞伎狂言などに、無垢行縢の発生を示すような場面は見られません。

詳細は不明です。

そのため、石燕による創作と考えられています。

根拠もあります。『百器徒然袋』の他の妖怪と同じく、解説文の末尾に「夢心におもひぬ」とあることです。

夢の中で思った。 石燕は、断定していません。

巻狩りに際して河津三郎が行縢を装備していたことからの連想であろう、と考えられています。

巻狩りという場

河津三郎が討たれたのは、巻狩りの場でした。

巻狩りとは、大勢で山を取り囲み、獣を追い出して射る狩りです。武士の大規模な行事でした。

そして、行騰は巻狩りの装束です。

馬に乗り、藪をかき分けて進むとき、脚を守るために毛皮を巻きます。

つまり、河津三郎はその装束を身につけて、討たれました。

石燕の連想の出発点は、ここにあります。

狩りの装束が、狩りの場で主を失った。

そして、道具だけが残ります。

『曽我物語』は、この巻狩りから仇討ちまでを描いた物語です。曾我兄弟が仇を討ったのも、富士の巻狩りの場でした。

絵巻の木馬

無垢行騰の姿には、下敷きがあるとみられます。

江戸時代に描かれた絵巻物『百鬼夜行絵巻』(東京国立博物館の所蔵作品など)や、『付喪神絵巻』です。

これらの中に、行縢を付けて木馬にまたがっている妖怪が描かれています。

行縢と木馬。 どちらも、馬に乗ることに関わる道具です。

石燕が行縢の妖怪を発想したことと、関わりが考えられています。

『百器徒然袋』の妖怪は、その多くが絵巻を下敷きにしています。天井嘗も、山颪も、沓頬も、鉦五郎もそうです。

姿は絵巻から借り、由来は石燕が与える。

無垢行騰の場合、与えられたのは『曽我物語』でした。

無垢行騰の伝承地域

無垢行騰の解説文に出てくる赤沢山は、静岡県にある山です。

河津三郎が工藤祐経に暗殺された場所として、『曽我物語』に語られます。

静岡県伊東市には、河津三郎の血塚や、曾我兄弟ゆかりの史跡が残ります。

ただし、無垢行騰そのものを祀った碑や祠は確かめられていません。

石燕は「河津三郎の行騰であろうかと、夢の中で思った」と書いているだけです。現地に伝わる話ではありません。

確かめられていない場所を、伝承地として挙げることはしません。この欄は空のままにしてあります。

無垢行騰の正体と考えられているもの

無垢行騰の正体については、次のように整理できます。

一つめは、河津三郎の行騰です。石燕は、赤沢山の露と消えた河津三郎の行騰であろうかと書きました。曾我兄弟の父であり、工藤祐経に暗殺された人物です。

二つめは、石燕の創作です。工藤祐経がこの妖怪に復讐されたという伝説は見られず、『曽我物語』や曽我物の歌舞伎狂言にも、無垢行縢の発生を示す場面はありません。

三つめは、巻狩りからの連想です。行騰は巻狩りの装束です。河津三郎がそれを身につけて討たれたことからの連想であろうと考えられています。

四つめは、絵巻の妖怪です。『百鬼夜行絵巻』や『付喪神絵巻』には、行縢を付けて木馬にまたがっている妖怪が描かれています。

無垢行騰は、伝承として語られてきた妖怪ではありません。 石燕が『曽我物語』から仕立てた一体と考えられています。

無垢行騰をめぐる妖怪のつながり

無垢行騰が登場する作品

無垢行騰は、『曽我物語』を下敷きにした絵です。

曾我兄弟の仇討ちを知っていることが、この絵を読む前提になっています。 日本三大仇討ちの一つとして、当時は誰でも知っている話でした。

そのため、資料は石燕の絵と、曾我物にあたるものが中心になります。

無垢行騰が登場する古典

百器徒然袋

鳥山石燕、1784年。無垢行騰の絵と、河津三郎を引いた解説文があります。

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曽我物語

曾我兄弟の仇討ちを描いた物語。父・河津三郎が赤沢山で討たれます。

付喪神絵巻

行縢を付けて木馬にまたがる妖怪が描かれています。

無垢行騰が登場する研究

妖怪事典

村上健司編著、2000年。石燕の創作であることを整理しています。

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無垢行騰が登場する漫画・アニメ

妖怪をまとめて扱う作品

器物の妖怪として、付喪神と並べて取り上げられます。

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無垢行騰についてよくある質問

行騰とは何ですか。

馬に乗って遠出をしたり狩りをしたりする際に、腰から下を覆う毛皮です。鹿や熊の毛皮でつくり、巻狩りには欠かせない装束でした。

河津三郎とは誰ですか。

曽我物語』に出てくる人物で、曾我祐成(十郎)・曾我時致(五郎)という曾我兄弟の父にあたります。赤沢山(静岡県)で工藤祐経に暗殺されました。

工藤祐経に復讐したのですか。

その伝説は見られません。 持ち主も恨む相手も特定されているのに、何もしていません。『曽我物語』や曽我物の歌舞伎狂言にも、無垢行縢の発生を示すような場面はありません。

「無垢」とはどういう意味ですか。

混じり気がないことを指す語で、仏教の語でもあります。石燕は説明しておらず、この妖怪における意味ははっきりしません。

無垢行騰と併せて覚えたい言葉・用語

行騰(むかばき)

馬に乗るときや狩りのときに腰から下を覆う毛皮。

巻狩り(まきがり)

大勢で山を取り囲み、獣を追い出して射る狩り。武士の大規模な行事。

曽我物語(そがものがたり)

曾我兄弟の仇討ちを描いた物語。日本三大仇討ちの一つ。