深夜の京の都を、鬼や妖怪が列をなして練り歩くとされた行進。

河鍋暁斎 「百鬼夜行」 19世紀 / パブリックドメイン 出典
百鬼夜行とはどんな妖怪か
百鬼夜行はひとことで言えば、妖怪の行列です。
数多くの妖怪が連なって歩く行列です。深夜に徘徊する鬼や妖怪の群れ、およびその行進を指します。
平安時代から室町時代にかけて、おもに説話に登場しました。多くの人数が音を立てながら火をともして来る様子、さまざまな姿かたちの鬼が歩いている様子が描かれています。
これに遭うことは死を意味すると恐れられました。
読み方は「ひゃっきやぎょう」とも「ひゃっきやこう」ともいいます。
なお、これに遭った話の多くは経文を唱えて難を逃れるという形で終わります。仏の功徳を説く説話でもありました。
百鬼夜行の漢字表記と読み方
読みは「ひゃっきやぎょう」とも「ひゃっきやこう」ともいいます。どちらも用いられ、どちらかに決まってはいません。
「百鬼」は数が多いことを表す言い方です。体数は決まっていません。
「夜行」は夜に出歩くことです。つまり名前そのものが「多くの鬼が夜に出歩く」という状態を言い表しています。
特定の一体を指す名ではない点が、ほかの妖怪と大きく違います。
百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)
もっとも一般的な読み。
百鬼夜行(ひゃっきやこう)
こちらの読みも用いられる。
百鬼夜行日(ひゃっきやぎょうび)
暦のうえで百鬼夜行が現れるとされた日。
百鬼夜行の姿と特徴
百鬼夜行の姿は、行列そのものです。
構成 … さまざまな姿かたちの鬼や妖怪。
数 … 百人ほどとされる説話がある。
音 … 多くの人数が音を立てながら来る。
火 … 火をともして進む。
時刻 … 深夜。夜明けとともに消える。
どんな妖怪が並ぶかは、描く者によって変わります。 ここが百鬼夜行の面白いところです。
『百鬼夜行絵巻』と呼ばれる絵巻が数多く伝わりますが、作者も成立年も特定されていません。写本が数多くあり、描かれる顔ぶれは本ごとに違います。
古い道具が化けた付喪神が多く描かれるものもあれば、獣の姿のものが並ぶものもあります。
決まった顔ぶれが無いことが、この行列の性質をよく表しています。
百鬼夜行の伝承物語
暦で決まっていた ─ 百鬼夜行日
百鬼夜行には、現れる日が決まっていました。
『口遊』(十世紀)や、鎌倉時代から室町時代にかけて編まれた『拾芥抄』には、暦のうえで百鬼夜行が出現する「百鬼夜行日」が挙げられています。
各月の該当日は、十二支で次のように定められていました。
一月・二月 … 子の日
三月・四月 … 午の日
五月・六月 … 巳の日
七月・八月 … 戌の日
九月・十月 … 未の日
十一月・十二月 … 辰の日
百鬼夜行に出遭うと死んでしまうといわれていたため、これらの日に貴族などは夜の外出を控えたといいます。
なお、山脇道円『増補下学集』など、百鬼夜行日を節分であると記す文献もあります。
暦に書かれているという点が重要です。これは個人の体験談ではなく、社会が共有していた決まりごとでした。
酔ったふりをする呪文
百鬼夜行には、避ける手立てがありました。
決まった呪文を唱えると、害を逃れられるとされます。
カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ
『口遊』や『袋草紙』(十二世紀)にも同じ歌が記されています。
かたしはや えかせにくりに くめるさけ てえひあしえひ われえひにけり
意味については、「自分は酒に酔った者である」(手酔い足酔いわれ酔いにけり)と詠み込んだ歌と解されています。
または「難しはや、行か瀬に庫裏に貯める酒、手酔い足酔い、我し来にけり」と読む解釈もあります。
なぜ酔ったふりが効くのかは、はっきりしていません。
正気でない者は相手にされない、あるいは酒は場を和ませるものだからとも考えられますが、いずれも推測の域を出ません。
説話に残る遭遇談
百鬼夜行に遭った話は、日本の説話集に数多く残っています。
『今昔物語集』巻十四の四十二 … 貞観年間、大納言左大将藤原常行が愛人のもとへ行く途中、美福門のあたりで東大宮大路の方から歩いてくる百人ほどの鬼の集団に遭遇しました。
常行は助かりました。乳母が阿闍梨に書いてもらった尊勝陀羅尼を縫い込んであった服を着ていたためです。これに気づいた鬼たちは逃げていきました。
若き日の安倍晴明が見た
『今昔物語集』巻二十四の十六 … 若き日の安倍晴明が、夜間、師の賀茂忠行に随伴して歩いていたときのことです。いち早く複数の鬼を発見した晴明は、寝入っていた忠行を起こして事態を報告しました。急を知った忠行は術によって難を逃れたといいます。
この話は、晴明の才を示す逸話として知られます。
遭遇談の多くは、経文や術によって助かる形で終わります。 百鬼夜行の話は、恐ろしさを伝えると同時に、それを退ける手立てを教える話でもありました。
百鬼夜行の伝承地域
百鬼夜行の伝承地は、京都府京都市、かつての平安京です。
説話に出てくる地名は美福門の周辺、東大宮大路などで、いずれも都のただ中にあたります。
山でも辺境でもなく、人が住む町の通りに現れるところが、この怪異の特徴です。
なお、百鬼夜行日という暦の決まりは全国に及ぶものであり、行列そのものは特定の土地に限られません。
京都市街(旧・平安京)(きょうとしがい(きゅう・へいあんきょう))
百鬼夜行の説話の舞台
京都市街(旧・平安京)の所在地:京都府京都市
百鬼夜行の説話の多くは、平安京の町なかを舞台とします。
『今昔物語集』では、藤原常行が遭遇した場所は美福門の周辺で、鬼たちは東大宮大路の方から歩いてきました。
つまり百鬼夜行は、山や辺境ではなく、都のただ中に現れるものでした。
美福門も東大宮大路も現存しませんが、その位置は京都市街の中に比定されています。
平安京の門や大路は現存しません。位置は研究によって比定されています。
百鬼夜行の正体と考えられているもの
百鬼夜行の正体については、次のように考えられています。
夜の闇そのものを語った話とする見方があります。灯りの乏しい時代、夜の都は人ならぬものの領分でしたでした。物音や灯りが見えれば、それが何かは分かりません。
説話としての役割もはっきりしています。遭遇談の多くは、経文や術によって助かる形で終わります。仏の功徳を説く話として語られていました。
暦の決まりごととする見方も重要です。百鬼夜行日は『口遊』や『拾芥抄』といった書物に記され、貴族はその日の外出を控えました。これは怪談というより、社会が共有していた作法です。
付喪神との結びつきは、後の時代に強まりました。『百鬼夜行絵巻』では古い道具が化けたものが多く描かれます。ただし絵巻の作者も成立年も特定されておらず、いつからそうなったかは分かっていません。
顔ぶれが定まらないことが、この行列の本質です。誰がそこにいるかではなく、得体の知れないものが列をなして来るという状況そのものが恐れられました。
百鬼夜行をめぐる妖怪のつながり
百鬼夜行が登場する作品
百鬼夜行は、妖怪を一度に大勢見せるための枠組みとして、いまも使われ続けています。
一体の妖怪ではないため、作品では「場面の名前」として働きます。
絵巻の時代から現代の作品まで、顔ぶれが本ごとに違うという性質は変わっていません。 描く者が自由に選べる余地が、この言葉を長く生き延びさせました。
百鬼夜行が登場する書物
口遊・拾芥抄
百鬼夜行日を月ごとの十二支で示しています。
百鬼夜行が登場するゲーム
日本の妖怪を扱う各種のゲーム
複数の妖怪が一度に現れる場面の名として使われます。
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百鬼夜行についてよくある質問
百鬼夜行とは何ですか。
深夜に徘徊する鬼や妖怪の群れ、およびその行進のことです。数多くの妖怪が連なって歩く行列です。平安時代から室町時代にかけて説話に登場し、遭うと死ぬと恐れられました。
百鬼夜行はどこに出ますか。
京都府京都市、かつての平安京です。『今昔物語集』では美福門の周辺や東大宮大路が舞台となります。山ではなく都のただ中に現れるものでした。
百鬼夜行日とは何ですか。
暦のうえで百鬼夜行が現れるとされた日です。一月・二月は子の日、三月・四月は午の日というように月ごとに決まっており、貴族はこの日の夜の外出を控えました。
避ける方法はありますか。
決まった呪文を唱えると害を逃れられるとされました。中身は「自分は酒に酔った者である」と詠み込んだ歌です。ほかに経文や陀羅尼で助かる話もあります。
どんな妖怪が並ぶのですか。
決まっていません。『百鬼夜行絵巻』は写本が数多くあり、描かれる顔ぶれは本ごとに違います。作者も成立年も特定されていません。
百鬼夜行と併せて覚えたい言葉・用語
百鬼夜行日(ひゃっきやぎょうび)
暦のうえで百鬼夜行が現れるとされた日。月ごとに十二支で定められていた。
尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)
藤原常行が服に縫い込んでいたもの。これに気づいた鬼たちは逃げていった。
百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)
妖怪が列をなして歩く姿を描いた絵巻。写本ごとに顔ぶれが違う。