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王子の狐火とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品・伝承地域

王子の狐火  / オウジノキツネビ

火の妖怪狐と狸 各地の伝説

大晦日の夜、東京都北区の王子に狐が集まって灯すとされた火の行列。

王子の狐火の姿を描いた図

歌川広重 「名所江戸百景 王子装束ゑの木大晦日の狐火」 1857年 / パブリックドメイン 出典

王子の狐火とはどんな妖怪か

王子の狐火はひとことで言えば、大晦日に狐が並べる灯りです。

東京都北区の王子に現れるとされました。王子稲荷は狐火の名所として知られてきました。

王子のあたりが一面の田園だったころ、路傍に大きなの木がありました。毎年大晦日の夜になると関八州(関東全域)の狐がこの木の下に集まり、装いを整えてから王子稲荷へ向かったといいます。

その行列の火は壮観で、近くの農民は数を数えて翌年の豊凶を占いました。

この木は「装束榎」と呼ばれ、歌川広重『名所江戸百景』の題材にもなりました。

王子の狐火の漢字表記と読み方

読みは「おうじのきつねび」です。

「装束」は身なりを整えることです。狐がここで官位を求めるための正装に着替えたとされることから、この木は装束榎と呼ばれました。

大田南畝は『ひともと草』に「むかしは装束松といひしも、今はいつしか榎にかはれり」と書いています。 もとは松だったものが、いつの間にか榎に変わったというのです。

木の種類が変わっても、行事の話だけが残りました。

王子の狐火(おうじのきつねび)

もっとも一般的な呼び方。

装束榎(しょうぞくえのき)

狐が集まったとされる木の名。

王子の狐(おうじのきつね)

落語の演目名。狐火とは別の話。

王子の狐火の姿と特徴

王子の狐火の姿は、火の行列です。

時期 … 大晦日の夜。
場所 … 装束榎の下から王子稲荷へ。
参加 … 関八州(かつては関東三十三か国)の狐。
姿 … 狐が正装を整え、火を灯して列をなす。

『若一王子縁起』の絵巻には、稲荷社前の道筋のあちこちに狐火を灯した複数の狐と、松の木の下に二匹の狐が描かれています。

そこには「毎年十二月晦日の夜、関東三十三ケ国の狐、稲荷の社へ火を燈し来る図なり」との説明が添えられています。

歌川広重は『名所江戸百景』でこの光景を描きました。暗い田園に点々と灯る火という図が、いま思い浮かべられる姿のもとです。

なお、狐そのものが恐ろしい姿で描かれることはありません。美しい光景として語られてきたのが、この狐火の特徴です。

王子の狐火の伝承物語

  1. 数を数えて豊凶を占う
  2. 大晦日の狐火を数える
  3. 三十三か国から関八州へ ─ 話が縮んだ理由
  4. 高座へ移った狐
  5. 榎は失われ、行列は復活した

数を数えて豊凶を占う

王子の狐火には、実用の面がありました。

毎年大晦日の夜、狐たちが装束榎の下に集まり、火を灯して王子稲荷へ向かいます。

近在の農民は、その数を数えて翌年の豊凶を占ったと伝えられています。

火が多ければ豊作、少なければ凶作。そう受け取られていたとみられます。

これは年の暮れの行事でもありました。一年の始まりに、来る年の見通しを立てる行事として働いていました。

農作業は種まきの時期や作付けの量を決めなければなりません。何かを基準にして決める必要があります。狐火の数は、その基準の一つでした。

大晦日の狐火を数える

当たるかどうかより、皆が同じものを見て同じように話すことに意味があったと考えられます。

柳田国男は『山の人生』で、王子の狐が落語に残ったことに触れています。

今でも落語家の持っている王子の狐、或いは天狗の羽団扇を欺き奪う話などと同様に、だんだんに敵の愚かさが誇張せられて

恐れられていたものが、笑われる相手になりました。 狐火の話が高座へ移った道筋です。

三十三か国から関八州へ ─ 話が縮んだ理由

王子の狐火には、話が縮んだ経緯がはっきり残っています。

王子と狐が一緒に現れる最も古い資料は、寛永期に徳川家光の命で作られた『若一王子縁起』の絵巻です。完成は寛永十八年(一六四一年)七月十七日でした。

そこには「毎年十二月晦日の夜、関東三十三ケ国の狐、稲荷の社へ火を燈し来る図なり」とあります。

ところが絵巻の完成から約百五十年後の寛政三年(一七九一年)、幕府が王子稲荷の社格を問題にしました。

王子稲荷が自らを「東国惣司」と称していることが咎められ、三十三か国にまつわる額や幟などを没収され、処罰を受けました。

高座へ移った狐

これ以降、王子の狐の話は狭く関八州の物語として伝わるようになり、現在に至ります。

政治の都合で、伝説の範囲が縮んだわけです。

柳田は「狐の嫁取といふこと」で、狐火と嫁入りの関わりも書いています。

狐火は今でも狐の嫁入りと伴なふものゝ如く、考へて居る土地は多いやうだが、大體に追々二つ別々の話とならうとして居る。

もとは一つで、後に二つに分かれた。 王子の狐火も、嫁入りの行列として語られてきました。

榎は失われ、行列は復活した

狐が集まったとされる榎の木は、明治時代の中頃に枯死しました。

さらに昭和四年(一九二九年)、道路の拡張にともなって切り倒されます。

いまは「装束榎」の碑と、「装束稲荷神社」と呼ばれる小さな社が、停留所の東部に移されています。一帯は戦前には榎町と呼ばれていました。

木は無くなりましたが、行列は戻ってきました。

地元王子では一九九三年より毎年、大晦日の夜から元日にかけて「王子狐の行列」が催されています。

狐顔の化粧または狐面を身につけた裃姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷へ参詣します。

伝説の中の行列を、人が演じてたどるわけです。

絵巻に描かれた光景が、三百五十年を経て形を変えて続いていることになります。

王子の狐火の伝承地域

王子の狐火の伝承地は、東京都北区の王子です。

狐が集まった装束榎の跡には装束稲荷神社が建ち、狐が向かった王子稲荷神社も現存します。二つは歩いて行き来できる距離にあります。

狐火そのものを見ることはできませんが、一九九三年より毎年、大晦日の夜に「王子狐の行列」が催されています。 装束稲荷から王子稲荷へ、狐面や狐顔の化粧をした人々が参詣します。

装束稲荷神社(しょうぞくいなりじんじゃ)

狐が集まったとされる榎の跡

地図で開く

装束稲荷神社の所在地:東京都北区王子二丁目

狐たちが集まって装いを整えたとされる装束榎の跡に建つ小さな社です。

榎は明治中頃に枯死し、昭和四年の道路拡張で切り倒されました。いまは「装束榎」の碑とこの社が、停留所の東部に移されています。

毎年大晦日の夜、ここから「王子狐の行列」が出発します。

王子駅から歩ける範囲にあります。

一帯は戦前には榎町と呼ばれていました。

王子稲荷神社(おうじいなりじんじゃ)

狐が向かったとされる社

地図で開く

王子稲荷神社の所在地:東京都北区岸町一丁目

狐たちが官位を求めて向かったとされる社です。狐火の名所として知られてきました。

門石には「康平年中、源頼義、奥州追討の砌り、深く当社を信仰し、関東稲荷惣司と崇む」と刻まれ、往古と変わらぬ社歴を今に伝えています。

寛政三年には三十三か国にまつわる額や幟を没収され、処罰を受けました。

王子駅から歩ける範囲にあります。

大晦日の「王子狐の行列」はここを目的地とします。

王子の狐火の正体と考えられているもの

王子の狐火の正体については、次のように考えられています。

実際の火とする見方があります。江戸周辺の田園では、狐火と呼ばれる怪火が各地で報告されていました。原因については、リンの燃焼、遠くの灯り、大気の状態による見え方など、いくつもの説明が試みられてきましたが、定説はありません。

行事の風景とする見方もできます。大晦日の夜、参詣に向かう人々の提灯の列を、狐の行列と見立てた可能性があります。

王子稲荷の由緒を語る話とする見方が、もっとも実際に近いと考えられます。狐が全国から集まる社である、という話は、その社の格を示します。実際、寛永期の幕府の役人が縁起を作るに先立って王子の狐火の調査に来たという事実が残っており、当時すでに広く知られた伝えだったことが分かります。

政治によって話が変えられた点は、はっきりしています。もとは関東三十三か国の狐が集まる話でしたが、寛政三年に幕府が社格を問題にして以降、関八州の話として伝わるようになりました。伝説は、形を変えながら残ります。

王子の狐火をめぐる妖怪のつながり

王子の狐火が登場する作品

王子の狐火は、絵によって知られてきた伝えです。

歌川広重『名所江戸百景』の一枚が広く知られ、暗い田園に点々と灯る火という図が定着しました。

近年は「王子狐の行列」という現実の行事として復活しており、作品の中だけの話ではなくなっています。

王子の狐火が登場する浮世絵

歌川広重『名所江戸百景』

「王子装束ゑの木大晦日の狐火」として、この光景を描いています。

『若一王子縁起』絵巻

寛永十八年完成。狐火を灯した狐たちが描かれた最も古い資料です。

王子の狐火が登場する行事・文化

王子狐の行列

一九九三年より毎年、大晦日の夜から元日にかけて催されています。

王子の狐火が登場する演芸

落語「王子の狐」

王子と狐を扱った演目です。狐火の話とは別の筋です。

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王子の狐火についてよくある質問

王子の狐火とは何ですか。

大晦日の夜、関東各地の狐が東京都北区王子の装束榎の下に集まり、火を灯して王子稲荷へ向かったとされる伝えです。農民はその数で翌年の豊凶を占いました。

王子の狐火はどこで見られましたか。

東京都北区の王子です。狐が集まった装束榎の跡には装束稲荷神社が建ち、狐が向かった王子稲荷神社も現存します。

いまも見られますか。

狐火そのものは見られません。ただし一九九三年より毎年、大晦日の夜に「王子狐の行列」が催され、狐面や狐顔の化粧をした人々が装束稲荷から王子稲荷へ参詣します。

なぜ関八州なのですか。

もとは関東三十三か国の狐が集まる話でした。寛政三年に幕府が王子稲荷の社格を問題にし、額や幟を没収して以降、関八州の話として伝わるようになりました。

王子の狐火と併せて覚えたい言葉・用語

装束榎(しょうぞくえのき)

狐が集まって装いを整えたとされる木。明治中頃に枯死し、昭和四年に切り倒された。

若一王子縁起(にゃくいちおうじえんぎ)

寛永十八年完成の絵巻。王子と狐が一緒に現れる最も古い資料。

王子狐の行列(おうじきつねのぎょうれつ)

一九九三年に始まった行事。大晦日の夜、装束稲荷から王子稲荷へ参詣する。

王子の狐火の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 青空文庫 柳田国男『山の人生』
  2. 青空文庫 柳田国男「狐の嫁取といふこと」