煙のなかに顔が浮かぶ妖怪。煙の妖怪はほかに例がない。

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 煙々羅」 1781年 / パブリックドメイン 出典
煙々羅とはどんな妖怪か
煙々羅は、煙の妖怪です。
鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にあります。煙羅煙羅(えんらえんら)とも読みます。
絵では、煙のなかに不気味な顔が浮かび上がった姿で描かれます。解説文はこうです。
しづが家のいぶせき蚊遣の煙むすぼゝれて、あやしきかたちをなせり。まことに羅の風にやぶれやすきがごとくなるすがたなれば、烟々羅とは名づけたらん
意味を取ると、こうなります。貧しい家の、むさ苦しい蚊遣りの煙がもつれて、怪しい形をなしている。まことに羅(うすもの=目の粗い薄い布)が風に破れやすいような姿なので、煙々羅と名づけたのだろう。
名前の由来を、石燕自身が書いています。 薄い布のようにたなびく煙だから、羅の字を使った。それだけです。
煙の妖怪はほかに例がなく、きわめて珍しいものです。
煙々羅の漢字表記と読み方
読みは「えんえんら」です。「えんらえんら」とも読みます。
羅は、目の粗い薄い布のことです。石燕自身が解説文で、たなびく煙をこの布のたなびく様子にたとえて名づけたと書いています。名前の由来がはっきりしている、珍しい妖怪です。
後世には「閻羅閻羅」と表記することもあるとされます。閻羅は閻魔に通じることから、地獄の業火を連想させるという解釈もあります。
ただし、これは後からの読み替えです。石燕の原典は「烟々羅」であり、煙と薄い布の話しかしていません。
煙々羅(えんえんら)
もっとも一般的な表記と読み。
烟々羅(えんえんら)
石燕の原典での表記。烟は煙の異体字。
煙羅煙羅(えんらえんら)
字の順を変えた読み方。
閻羅閻羅(えんらえんら)
後世の表記。閻羅は閻魔に通じる。
煙々羅の姿と特徴
煙々羅の姿は、石燕の絵がすべてです。
全体 … 煙。もくもくと立ちのぼる煙の塊。
顔 … 煙のなかに、不気味な人の顔が浮かび上がる。
輪郭 … 定まらない。煙なので形が変わり続ける。
昭和・平成以降の妖怪の本では、煙に宿った精霊であり、さまざまな姿になりながら大気中をさまよい、かまどや風呂場から立ちのぼった煙のなかに人のような顔の形で浮かび上がる、と解釈されています。
見える人と見えない人がいるという説も語られます。ぼんやりと無心に煙を眺めるような、心に余裕を持つ人でなければ見られないという説や、見える人は心の美しい人であるという説です。
ただし、これらはすべて後からの解釈です。 石燕の原典には、そうしたことは一切書かれていません。
絵と、短い解説文。それだけの妖怪です。
煙々羅の伝承物語
徒然草を踏まえている ─ 石燕の教養
煙々羅の解説文には、下敷きがあります。
研究者の近藤瑞木によれば、石燕の解説文は『徒然草』十九段を踏まえています。該当箇所はこうです。
六月の頃あやしき家にゆふがほの白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり
意味は、六月のころ、みすぼらしい家に夕顔の花が白く見えて、蚊遣火がくすぶっているのも趣がある、というものです。
石燕の解説文「しづが家のいぶせき蚊遣の煙」は、この一文をほぼそのまま受けています。
つまり煙々羅は、有名な古典の情景から作られた妖怪です。
鳥山石燕は、古典に出てくる何気ない情景や言葉から妖怪を作るという仕事を数多くしています。煙々羅はその典型で、兼好法師が「趣がある」と書いた蚊遣りの煙が、そのまま妖怪になりました。
煙の妖怪はほかにない
煙々羅の際立った点は、煙そのものの妖怪であることです。
日本の妖怪には、火の妖怪が数多くあります。人魂、鬼火、狐火、叢原火、不知火。しかし煙の妖怪は、煙々羅のほかに例がありません。
なぜでしょうか。
火は、はっきりした形を持ちます。光り、動き、消える。目で追えます。だから怪異として語りやすい。
煙は違います。形が定まらず、追いかけようがなく、風で消えてしまう。怪異として語るには、つかみどころがなさすぎます。
その煙を妖怪にしたのが石燕でした。しかも解説では、羅(うすもの)が風に破れやすいような姿と、その頼りなさを名前の理由にしています。
消えてしまうことを、そのまま特徴にした。 煙々羅の作りは、妖怪としてきわめて洗練されています。
石燕の創作 ─ 伝承はない
はっきり書いておく必要があります。煙々羅について、具体的な伝承はありません。
どこの土地に伝わるという記録も、誰が見たという話も、何をするという言い伝えもありません。石燕による創作妖怪のひとつと考えられています。
石燕の妖怪画集には、こうした創作が数多く含まれます。古典の一節から作ったもの、言葉遊びから作ったもの、絵として面白い形を思いついて作ったもの。
これは石燕の仕事を貶めるものではありません。妖怪を「作る」ことは、江戸時代の文化のひとつでした。 読者もそれを承知で楽しんでいました。
問題が起きるのは後の時代です。創作であることが忘れられ、古くから伝わる妖怪として紹介されるようになりました。
煙に宿った精霊、心の美しい人にだけ見える、といった説明も後から加わったものです。
煙々羅は江戸時代に作られた妖怪です。 ここは正確に伝えられるべきです。
煙々羅の伝承地域
煙々羅には、訪ねられる伝承地がありません。
煙々羅は鳥山石燕による創作の妖怪であり、土地の言い伝えとして記録されたものではないためです。塚も祠も、ゆかりの地もありません。
石燕の解説文が下敷きにしているのは『徒然草』十九段の一節で、そこにも場所は書かれていません。貧しい家の蚊遣りの煙という、どこにでもある情景です。
煙々羅が現れるとされるのは、かまど、風呂場、蚊遣りといった、煙の立つ場所です。これも後からの解釈ですが、伝承の性格をよく表しています。特定の場所ではなく、煙のあるところという以上のことは言えません。
無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。
煙々羅の正体と考えられているもの
煙々羅の正体は、わかっています。鳥山石燕の創作です。
出どころもはっきりしています。『徒然草』十九段の「六月の頃あやしき家にゆふがほの白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり」という一節を踏まえ、蚊遣りの煙が怪しい形をなしたものとして描かれました。
名前の由来も、石燕自身が書いています。羅(うすもの)が風に破れやすいような姿だから、烟々羅と名づけたのだろう。 これ以上の説明は必要ありません。
そのうえで、なぜこの妖怪が受け入れられたかは考える価値があります。
一つめは、実感があることです。煙のなかに顔が見えるという経験は、誰にでもあります。たき火、線香、湯気。形の定まらないものに顔を見てしまうのは、人の目の性質です。
二つめは、名前の美しさです。煙々羅という三文字は、音も字面も整っています。
三つめは、害がないことです。煙々羅が人を害したという話はありません。ただ煙のなかに顔が浮かぶだけです。
なお、「心に余裕を持つ人でなければ見られない」「見える人は心の美しい人」といった説明は、昭和以降に加えられたものです。石燕の原典にはありません。
煙々羅をめぐる妖怪のつながり
煙々羅が登場する作品
煙々羅は、姿のなさが強みになる妖怪です。煙という形の定まらないものであるため、作品ごとに自由な表現ができます。
害をなさない妖怪であることも、扱いやすさにつながっています。恐怖ではなく、雰囲気を作るために使われることが多いものです。
煙々羅が登場する古典
煙々羅が登場するゲーム
陰陽師(ゲーム)
煙をまとう存在として登場します。
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煙々羅についてよくある質問
煙々羅とは何ですか。
鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある煙の妖怪です。煙のなかに不気味な顔が浮かび上がった姿で描かれます。
なぜ煙々羅という名前なのですか。
石燕自身が解説文に書いています。羅(うすもの)という目の粗い薄い布が風に破れやすいような姿だから、と説明されています。
煙々羅は昔から伝わる妖怪ですか。
いいえ。具体的な伝承はなく、石燕による創作妖怪のひとつと考えられています。
心の美しい人にしか見えないというのは本当ですか。
後から加えられた説明です。石燕の原典にはそうしたことは書かれていません。
煙々羅に会える場所はありますか。
ありません。創作された妖怪であり、土地の言い伝えとして記録されたものではないためです。
煙々羅と併せて覚えたい言葉・用語
羅(うすもの)
目の粗い薄い布。煙々羅の名の由来。
今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)
鳥山石燕の妖怪画集。煙々羅を収める。
蚊遣火(かやりび)
蚊を追うためにいぶす火。その煙が煙々羅になるとされた。
徒然草(つれづれぐさ)
兼好法師の随筆。十九段が石燕の解説文の下敷き。