悪夢を食べるとされる霊獣。中国から伝わり、日本で夢と結びついた。

葛飾北斎 「獏」 江戸時代 / パブリックドメイン 出典
獏とはどんな妖怪か
獏は、悪夢を食べるとされる霊獣です。中国から日本へ伝わりました。
日本では、悪い夢を見たときに「獏に食わせる」と唱える、枕に獏の字を書く、正月の宝船の絵に獏を描く、といった習わしが生まれました。夢を食べるという役割は、日本で強く育ったものです。
中国では、そもそも獏がどんな動物かが一定していません。『爾雅』は「白豹」とし、『説文解字』は「熊に似て黄黒色、蜀(四川省)に住む」とします。『爾雅』の郭璞注には「熊に似て頭が小さく脚が短く、黒白のまだらで、銅鉄や竹の骨を食べる」とあり、ジャイアントパンダを指していたと考えられています。
後に、白と黒のまだらであることからマレーバクと混同され、金属を食べるという伝説のほうが大きく取り上げられました。
白居易の「貘屏賛」の序は、鼻は象、目は犀、尾は牛、脚は虎に似ると書きます。日本の獏の姿は、これを受け継いでいます。
獏の漢字表記と読み方
読みは「ばく」です。獏と貘はどちらも使われます。
注意したいのは、バクという実在の動物がいることです。中南米や東南アジアにすむ、鼻の長い動物です。日本語でこれを「バク」と呼ぶのは、白と黒のまだら模様が中国の獏の記述と似ていたためで、霊獣の獏と実在のバクは別のものです。
中国の文献での獏は、記述から見るかぎりジャイアントパンダを指していたと考えられています。熊に似て、頭が小さく、脚が短く、黒白のまだら。四川省にすむ。すべてパンダに当てはまります。
夢を食べるという性質は、中国の文献には見えません。日本で加わったものです。
獏(ばく)
もっとも一般的な表記。
貘(ばく)
同じものの表記。中国の文献ではこちらも使う。
白豹(はくひょう)
『爾雅』釈獣での説明。
獏枕(ばくまくら)
獏の姿を彫った枕。悪夢を防ぐとされた。
獏の姿と特徴
獏の姿は、白居易の「貘屏賛」の序が定めました。
鼻 … 象に似る。
目 … 犀に似る。
尾 … 牛に似る。
脚 … 虎に似る。
いくつもの獣を継ぎ合わせた姿です。鵺や以津真天と同じ作り方ですが、獏は害をなさない点が違います。
日本では、この姿が社寺の彫刻に取り入れられました。木鼻と呼ばれる、柱から突き出た部分の彫刻に、獏や象がよく用いられます。象と獏は姿が似ているため見分けにくいのですが、牙があれば象、なければ獏という見分け方が知られています。
寝具にも用いられました。獏の姿を彫った獏枕は、悪夢を防ぐとされます。
正月には、宝船の絵に獏の字を書く習わしがありました。よい初夢を見るためです。
獏の伝承物語
パンダだったのか ─ 中国での獏
中国の文献に見える獏は、何の動物かが一定しません。
『爾雅』の釈獣は「白豹」であるといいます。『説文解字』は「熊に似て黄黒色、蜀中(四川省)に住む」とし、『字林』は「白黄色」とします。
もっとも具体的なのが『爾雅』の郭璞注です。
熊に似て頭が小さく脚が短く、黒白のまだらで、銅鉄や竹骨を食べる
熊に似て、黒白のまだらで、四川省にすむ。これはジャイアントパンダの記述と考えてよいものです。 段玉裁の『説文解字注』も、今も四川省にいるとしており、やはりパンダを指しています。
竹の骨を食べるという点も、パンダの食性と一致します。
ところが「銅鉄を食べる」という一点が、後の時代に大きく取り上げられました。白と黒のまだらであることからマレーバクと混同されたことも重なり、金属を食べる霊獣という像が独り歩きしていきます。
夢を食べる ─ 日本で加わった役割
悪夢を食べるという性質は、中国の文献には見えません。日本で加わったものです。
いつ加わったかは、はっきりしません。ただ、室町時代には獏に悪夢を託す考え方があったとされ、江戸時代には広く定着しました。
具体的な習わしとして、次のようなものが伝わります。
悪い夢を見た朝に「この夢、獏にあげます」と三度唱える。
枕の下に獏の絵や字を書いた紙を敷く。
獏の姿を彫った枕を使う。
正月二日の宝船の絵に獏の字を書き、枕の下に敷いて初夢を見る。
悪夢を「食べてもらう」という発想が特徴的です。 追い払うのでも、封じるのでもなく、食べてもらう。相手は害をなさない獣です。
初夢を大切にする習慣と結びついたことで、獏は正月の縁起物にもなりました。
社寺の彫刻に住む獏
獏は、日本の社寺建築のなかに数多く残っています。
柱から突き出た部分を木鼻といい、ここに獣の彫刻を施すことがあります。獏と象がよく用いられ、正面や側面に据えられます。
なぜ獏なのか。火除けの意味があるとされます。金属を食べる獣という中国の伝説から、火にも強いと考えられたためと説明されます。
見分け方があります。牙があれば象、なければ獏。 鼻が長く、耳が大きく、牙がなければ獏です。日光東照宮をはじめ、彫刻の多い社寺では両方を見ることができます。
悪夢を食べ、火を防ぐ。獏は、日本ではもっぱら守る側の獣として扱われてきました。
妖怪としてよりも、縁起物・守り神としての性格が強いという点で、獏は日本の妖怪のなかでも特別な位置にあります。
宝船に「獏」の字を書く ─ 夢違えの符
獏の名は、宝船の絵に残りました。折口信夫が、その字の役目を書いています。
獏は、凶夢を喰はせる為であるから、「夢違へ」又は「夢払へ」の符と考へられて居たに違ひない。
(夢違え=悪い夢を良い夢に取り替えること)
宝船の帆じるしに「獏」の一字を書く。それが意匠化して向い鍵の紋になり、やがて縁起の良い字として扱われました。
折口は、この船の元の役目も書いています。
畢竟除夜又は節分の夜、去年中の悪夢の大掃除をして流す船で、室町の頃には、節分御船など言はれたものが、いつか宝船に変つたのであつた。
もとは悪夢を積んで流す船でした。 悪い夢を捨てる船が、良い夢を運ぶ船に変わった。 獏はその積み荷を食う役で乗っています。
獏の伝承地域
獏には、訪ねられる一か所の伝承地がありません。
獏は中国から書物を通じて入ってきた霊獣であり、日本の土地の言い伝えとして記録されたものではないためです。「ここに獏が出た」という話はありません。
そのかわり、姿を見られる場所は数多くあります。社寺建築の木鼻の彫刻です。柱から突き出た部分に、鼻の長い獣が彫られていることがあります。牙がなければ獏です。
彫刻の多い社寺であれば、各地で目にすることができます。ただし、どの社寺のどの彫刻が獏であるかは、実際に見て確かめる必要があります。 案内板に「獏」と書かれていないことも多く、確かめていない場所を挙げることはしません。
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獏の正体と考えられているもの
獏の正体については、中国での正体と日本での役割を分けて考える必要があります。
中国での正体は、ジャイアントパンダである可能性が高いとされます。『爾雅』の郭璞注が記す「熊に似て頭が小さく脚が短く、黒白のまだらで、竹骨を食べる」「四川省にすむ」という条件は、パンダにほぼ一致します。段玉裁も同じ立場です。
ただし、文献によって記述が違います。「白豹」とするもの、「黄黒色」とするもの、「白黄色」とするもの。同じ名前で違う動物が語られていた可能性もあります。
マレーバクとの混同は、後の時代のものです。白と黒のまだらという共通点から重ねられました。現在、実在の動物をバクと呼ぶのはこの混同の結果です。
金属を食べるという伝説は、「銅鉄や竹骨を食べる」という記述の前半が強調されたものです。竹を食べる話は消え、金属を食べる話だけが残りました。
日本での「夢を食べる」役割は、中国の文献に見えません。 いつ、なぜ加わったのかは、はっきりわかっていません。悪いものを食べる獣という性格が、悪夢に転じたと考えられていますが、決め手はありません。
獏が何であったのかは、国と時代で答えが変わります。
獏をめぐる妖怪のつながり
獏が登場する作品
獏は、夢を食べるという一点で作品に取り入れられます。悪夢を食べるという設定は物語に使いやすく、日本の霊獣のなかでは登場回数が多いほうです。
害をなさない妖怪という珍しい性格のため、敵役ではなく味方や道具として描かれることが多くあります。
獏が登場する古典
爾雅・説文解字
中国の古い字書です。獏の記述がありますが、内容は一定しません。
貘屏賛
白居易の作です。鼻は象、目は犀、尾は牛、脚は虎という姿を記し、日本の獏の姿のもとになりました。
獏が登場する習俗
宝船の絵
正月に枕の下に敷いて初夢を見る絵です。獏の字を書く習わしがありました。
獏枕
獏の姿を彫った枕です。悪夢を防ぐとされました。
社寺の木鼻
柱から突き出た部分の彫刻に獏が用いられます。火除けの意味があるとされます。
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獏についてよくある質問
獏とは何ですか。
悪夢を食べるとされる霊獣です。中国から伝わりましたが、夢を食べるという役割は日本で加わったものです。
獏の正体はパンダですか。
中国の記述から見るかぎり、その可能性が高いとされます。熊に似て黒白のまだら、脚が短く、四川省にすみ、竹の骨を食べるという記述はパンダに一致します。
実在のバクとは同じですか。
別のものです。白と黒のまだらという共通点から後に混同され、実在の動物をバクと呼ぶようになりました。
悪い夢を獏に食べてもらう方法はありますか。
悪い夢を見た朝に「この夢を獏にあげます」と唱える、獏の字を書いた紙を枕の下に敷く、といった習わしが伝わります。
獏に会える場所はありますか。
土地の伝承地はありません。ただし社寺建築の木鼻の彫刻に獏が用いられることが多く、各地で姿を見ることができます。牙がなければ獏です。
獏と併せて覚えたい言葉・用語
木鼻(きばな)
社寺建築で柱から突き出た部分。獏や象の彫刻が施される。
宝船(たからぶね)
正月に枕の下に敷いて初夢を見る絵。獏の字を書く習わしがあった。
貘屏賛(ばくへいさん)
白居易の作。獏の姿を記し、日本の獏の姿のもとになった。
獏枕(ばくまくら)
獏の姿を彫った枕。悪夢を防ぐとされた。
獏の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。