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京都府

帷子辻とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品・伝承地域

帷子辻  / カタビラガツジ

そのほか幽霊と霊 各地の伝説

京都市北西部にあったとされる辻。女の亡骸が犬や鳥に食われる幻が見えると恐れられた。

帷子辻の姿を描いた図

竹原春泉 「絵本百物語 かたびらが辻」 1841年 / パブリックドメイン 出典

帷子辻とはどんな妖怪か

帷子辻はひとことで言えば、怪異として語られた場所の名です。

場所の名です。京都市北西部にあったとされる、つまり道が交わるところそのものが、恐ろしいものとして語り伝えられました。

現在の帷子ノ辻の付近といわれます。

名の由来は、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子の伝説にさかのぼります。皇后は死に臨んで、自分の亡骸を埋葬せず辻に打ち棄てよと遺言したと伝えられます。

その遺体が朽ちていった場所が、以後「帷子辻」と呼ばれるようになったといいます。

後の世に書かれた詩書には、この辻を通ると女の死骸が見え、犬や鳥がそれを食らう様子が見えると記されました。ここから怪異の場として恐れられるようになります。

ただし、この一文の読み方には異なる見解もあります。

帷子辻の漢字表記と読み方

読みは「かたびらがつじ」です。現在の地名は「かたびらのつじ」と読みます。

「帷子」は、絹または麻の糸で織った裏を付けない着物のことです。

名の由来には三つの説があります。

第一に、檀林皇后の経帷子、つまり死装束にちなむという説。

第二に、皇后の葬送のとき、棺を覆っていた帷子がこの辻のあたりで風に飛ばされて舞い落ちたことによるという説。

第三に、この土地は北側がヒラ、古い言葉で崖や斜面を指す語であることから「片ヒラ」と呼ばれ、後の世に「帷子」の字を当てたという説です。

三つ目の説には怪異の要素がまったくありません。 地形から出た地名に、後から物語が付いた可能性を示しています。

帷子辻(かたびらがつじ)

怪異として語られるときの表記。

帷子ノ辻(かたびらのつじ)

現在の地名としての表記。

経帷子(きょうかたびら)

死装束のこと。名の由来とする説がある。

帷子辻の姿と特徴

帷子辻に姿かたちのある妖怪はいません。見えるとされたのは光景そのものです。

見えるもの … 女の死骸。
その様子 … 犬や鳥が死骸を食らっている。
現れる形 … 折にふれて見える幻。

江戸時代の詩書には「檀林皇后の御尊骸を捨てし故にや、今も折ふしごとに女の死がい見へて、犬鳥などのくらふさまの見ゆるとぞ」と記されています。

この光景を九枚の絵に描いたものが「九相図」です。人の亡骸が朽ちて白骨になるまでの過程を段階を追って描いた仏教の絵で、檀林皇后や小野小町を題材にしたものが伝わります。

九相図は、見る者に世のはかなさを説くために描かれました。恐ろしい絵ですが、描かれた目的は仏道の修行です。

帷子辻の怪異も、もとをたどればこの発想の延長にあります。

帷子辻の伝承物語

  1. 檀林皇后が亡骸を辻に棄てさせる
  2. 九つの絵で朽ちていく ─ 九相図
  3. 怪異と読むか、教えと読むか
  4. 恐怖ではなく修行のための絵
  5. 江戸の案内書に載る帷子ノ辻

檀林皇后が亡骸を辻に棄てさせる

平安時代の初め、嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子は、仏教への信仰があつく、檀林寺を建てたことから「檀林皇后」と呼ばれました。貴族の子弟の教育のために学館院を設けるなど、多くの功績を残した人です。

伝説によれば、皇后はたいへんな美貌の持ち主でもありました。恋い慕う人が後を絶たず、修行中の若い僧たちでさえ心を動かされるほどだったといいます。

この有り様を長く憂いていた皇后は、ひとつの決断をします。

九つの絵で朽ちていく ─ 九相図

この世は移り変わり、永遠なるものは一つもないという「諸行無常」の理を、自らの身をもって示そうとしたのです。

死に臨んで、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言しました。

遺言は守られました。皇后の遺体は辻に遺棄され、日に日に腐り、犬やカラスの餌食となって、やがて白骨となって朽ち果てました。

人々はその様子を見て世のはかなさを心に刻み、僧たちも迷いを捨てて修行に打ち込んだと伝えられます。

この話は仏教の教えとして語られました。 教えを説くための話です。

怪異と読むか、教えと読むか

帷子辻が怪異の場として語られる根拠は、江戸時代の詩書にある一文です。

檀林皇后の御尊骸を捨てし故にや、今も折ふしごとに女の死がい見へて、犬鳥などのくらふさまの見ゆるとぞ、いぶかしき事になん

この一文の意味には、二つの読み方があります。

怪異と読む立場では、こう解します。もともと帷子辻は、自らをなげうって人々の魂を救おうとした檀林皇后の遺志の場であったはずなのに、その後この辻を通りかかると、犬や鳥に食い荒らされる女の死体の幻影が見えると恐れられるようになった、と。

恐怖ではなく修行のための絵

怪異ではないと読む立場もあります。「後の世にも檀林皇后の例にならって、女の死体が捨てられることがある」という意味に解すれば、これは幻でも何でもなく、実際に起きていたことの記述にすぎません。

どちらが正しいかは決まっていません。

帷子辻から西北西にあたる化野は、鳥辺野・蓮台野とともに、古くから風葬の地、葬送の地として知られました。遺体が野に置かれることが珍しくなかった土地です。

その事実を踏まえると、後者の読みにも十分な理があります。

江戸の案内書に載る帷子ノ辻

帷子ノ辻は、交通の要地としても知られていました。交通の要でもありました。

江戸時代の京都の案内書『都名所図会』には、帷子ノ辻について次のように記されています。

材木町の東にあり 上嵯峨下嵯峨太秦常盤廣澤愛宕等の別れ

上嵯峨・下嵯峨・太秦・常盤・広沢・愛宕へ向かう道が、ここで分かれるということです。

辻とは道が交わる場所です。人が集まり、道が分かれ、どこへでも行ける。同時に、どこからでも何かが来るところでもあります。

日本の怪異には、辻や橋や坂といった「境目」に現れるものが多くあります。帷子辻もその一つに数えられます。

現在、この地名は帷子ノ辻として残り、京福電気鉄道嵐山本線の駅名にもなっています。

恐ろしい伝説の場所が、いまは日々の乗り換えの場所になっています。

帷子辻の伝承地域

帷子辻の伝承地は、京都府京都市右京区の帷子ノ辻付近です。

ただし、辻そのものの正確な位置を示すものはありません。江戸時代の案内書に道の分かれ目として載っているのが、位置についての手がかりです。

近くの化野が古来の葬送の地であったことは、この伝説を読むうえで大きな意味を持ちます。

怪異にゆかりの祠や碑は確かめられませんでした。地名だけが残っています。

帷子ノ辻付近(かたびらのつじふきん)

帷子辻の伝説の地

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帷子ノ辻付近の所在地:京都府京都市右京区

帷子辻は、現在の帷子ノ辻の付近にあったとされます。

江戸時代の『都名所図会』は、ここを上嵯峨・下嵯峨・太秦・常盤・広沢・愛宕へ向かう道の分かれ目としています。

いまは京福電気鉄道嵐山本線の駅名として、この地名が残っています。

辻そのものは、いまはただの交差点です。

当時の辻がどこにあったかを正確に示す標識はありません。

化野(あだしの)

古来の葬送の地

地図で開く

化野の所在地:京都府京都市右京区嵯峨

帷子ノ辻から西北西、嵯峨野の北西にあたる一帯です。

鳥辺野蓮台野とともに、古くからの風葬の地、葬送の地として知られました。

遺体を野に置く葬りが行われていた土地であることは、帷子辻の伝説を読むうえで欠かせない背景です。

現在は寺が建っている。

帷子辻の正体と考えられているもの

帷子辻の怪異の正体については、次のように考えられています。

教えを説く話が変わったものとする見方があります。檀林皇后の遺言は、世のはかなさを身をもって示すためのものでした。九相図もまた同じ目的で描かれた絵です。恐ろしい光景を通して人に悟りを促す、という発想がまずありました。

そもそも怪異ではないとする見方もあります。江戸時代の記述を「後の世にも同じように女の亡骸が捨てられることがある」と読めば、これは幻ではなく事実の記述です。近くの化野が風葬の地であったことを考えれば、この読みには根拠があります。

地名から生まれた話とする見方も無視できません。この土地は北側が斜面であることから「片ヒラ」と呼ばれ、後に「帷子」の字を当てたという説があります。この説に立てば、地名が先にあり、物語は後から付いたことになります。

辻という場所の性質も関わります。道の分かれ目は、行き来する者にとって境目にあたります。日本の怪異には、辻・橋・坂に現れるものが多くあります。

どれか一つに決めることはできません。 場所の名、実在した葬送の風習、仏教の教え、地形。それらが重なったところに、この伝説は立っています。

帷子辻をめぐる妖怪のつながり

帷子辻が登場する作品

帷子辻は、土地の名がそのまま題になるという珍しい形で作品に取り上げられてきました。

姿かたちのある妖怪ではないため、絵に描かれることはほとんどありません。かわりに、九相図という別の形で、この伝説の核にある光景が絵になりました。

恐ろしい絵でありながら、それが人を悟らせるために描かれたという点が、帷子辻の話の本質をよく表しています。

帷子辻が登場する書物

都名所図会

帷子ノ辻を「材木町の東にあり」と記し、道の分かれ目として紹介しています。

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九相詩絵巻

檀林皇后や小野小町とされる遺体が朽ちる様を九つの絵で描いたものです。

帷子辻が登場する小説

帷子辻

京極夏彦の作。巷説百物語の連作に収められています。

帷子辻が登場するそのほか

妖怪を扱う各種の作品

京の怪異の場として、地名がそのまま用いられることがあります。

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帷子辻についてよくある質問

帷子辻とは何ですか。

京都市北西部にあったとされる辻の名で、現在の帷子ノ辻付近といわれます。檀林皇后の亡骸が棄てられた場所と伝えられ、後の世に女の死骸が犬や鳥に食われる光景が見えると語られました。一体の妖怪ではなく、場所そのものが怪異として語られたものです。

檀林皇后はなぜ亡骸を棄てさせたのですか。

この世は移り変わり永遠なるものは一つもないという「諸行無常」の理を、自らの身をもって示すためと伝えられます。美貌ゆえに人々の心を乱していることを憂いていたともいいます。

帷子辻はいまどこにありますか。

京都府京都市右京区の帷子ノ辻付近とされます。ただし辻そのものの正確な位置を示すものはありません。地名は京福電気鉄道嵐山本線の駅名として残っています。

九相図とは何ですか。

人の亡骸が朽ちて白骨になるまでを九つの段階に分けて描いた仏教の絵です。檀林皇后や小野小町を題材にしたものが伝わります。恐怖のためではなく、世のはかなさを説くために描かれました。

そもそも怪談ではないという説があるのですか。

あります。江戸時代の記述を「後の世にも同じように女の亡骸が捨てられることがある」と読めば、幻ではなく事実の記述になります。近くの化野が風葬の地であったことも、この読みを支えます。

帷子辻と併せて覚えたい言葉・用語

檀林皇后(だんりんこうごう)

嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子。檀林寺を建てたことからこう呼ばれた。

九相図(くそうず)

亡骸が朽ちる様を九段階で描いた仏教の絵。世のはかなさを説くために描かれた。

化野(あだしの)

帷子ノ辻の西北西にある一帯。鳥辺野・蓮台野と並ぶ古来の葬送の地。

(つじ)

道が交わるところ。境目にあたるため、怪異の現れる場として語られやすい。