炎に包まれた車輪の中央に男の顔がある妖怪。見た者の魂を抜く。

鳥山石燕 「今昔画図続百鬼 輪入道」 1779年 / パブリックドメイン 出典
輪入道とはどんな妖怪か
輪入道は、石燕が『今昔画図続百鬼』に描いた妖怪です。
石燕は、炎に包まれた牛車の車輪の中央に、男性の顔が付いた姿を描いています。
解説文の趣旨はこうです。
輪入道は、自分の姿を見た者の魂を抜いていく。
「此所勝母の里」と書いた紙を呪符として家の戸に貼ると、輪入道が近づくことができない。
「此所勝母の里」の由来は『史記』にあります。中国の儒家の始祖である孔子の門人曾子が、「母に勝つ」という名を嫌って勝母の里に足を踏み入れなかったという逸話です。
石燕の輪入道は、1677年刊行の『諸国百物語』に記されている京都の東洞院通に現れた車輪の妖怪「片輪車」から取材されたものと考えられています。
輪入道の漢字表記と読み方
読みは「わにゅうどう」です。
輪は車輪、入道は坊主頭の大きなものを指します。海坊主が海入道と呼ばれるのと同じ使い方です。
此所勝母の里は「ここしょうぼのさと」と読みます。ここは勝母の里であるという意味です。
この言葉の由来は『史記』「鄒陽列伝」にあります。孔子の門人曾子は孝行で知られました。その曾子が、「母に勝つ」という名を嫌って、勝母という名の里に足を踏み入れなかったという逸話です。
つまり、この紙を貼ることは「ここは勝母の里だ」と宣言することです。
孝行者の曾子が入らなかった場所なら、輪入道も入れない。言葉による結界です。
輪入道(わにゅうどう)
もっとも一般的な表記。
片輪車(かたわぐるま)
同じ説話から分かれた別の妖怪。女性として描かれる。
此所勝母の里(ここしょうぼのさと)
輪入道を防ぐ呪符に書く言葉。
輪入道の姿と特徴
輪入道の姿は、石燕の絵で定まっています。
本体 … 牛車の車輪。
炎 … 車輪全体が炎に包まれている。
顔 … 車輪の中央に、男性の顔が付いている。
表情 … 髭を生やし、口を開いた、恐ろしい形相。
牛車は、平安時代以降の貴族の乗り物です。その車輪だけが、炎をまとって転がってくる。
『諸国百物語』(1677年刊)の挿絵にも、車輪の中央に顔がついた形の片輪車が描かれています。
輪入道は男性、片輪車は女性として描かれており、現在もそのように解釈されています。
ただし、片輪車の姿が女性として描かれ始めたのは、1743年刊行の『諸国里人談』からです。
石燕以前の版本の挿絵において、すでに描写の違い(車輪に人面がついているか、車輪に乗った女性か)が存在していました。
輪入道の伝承物語
見た者の魂を抜く
輪入道の害は、はっきりしています。
自分の姿を見た者の魂を抜いていく。
見るだけで害を受けるという妖怪は、そう多くありません。多くの妖怪は、近づいたり、声をかけたり、何かを渡されたりして害を受けます。
輪入道は、見た時点で終わりです。
そして、防ぐ方法も決まっています。
「此所勝母の里」と書いた紙を、呪符として家の戸に貼る。
すると、輪入道が近づくことができないといいます。
この呪符は、言葉によってその場所の性質を変えるものです。ここは勝母の里である、と宣言する。孝行者の曾子が足を踏み入れなかった場所なら、輪入道も入れない。
日本の呪いには、こうした言葉による結界が数多くあります。
節分に「鬼は外」と唱えるのも、山でヒダル神に憑かれたとき掌に「米」と書くのも、同じ発想です。言葉が効くと考えられていました。
片輪車と同じ話 ─ 分かれた妖怪
輪入道には、双子のような妖怪がいます。片輪車です。
石燕の輪入道は、1677年刊行の『諸国百物語』に記されている、京都の東洞院通に現れた車輪の妖怪「かたわ車」(片輪車)から取材されたものと考えられています。
そして、興味深いことがあります。
『今昔画図続百鬼』で、石燕は片輪車と輪入道を別々の妖怪として描いています。
つまり、同一の説話を素材として、別々に描かれた二つの作品ということになります。
なぜ分かれたのでしょうか。
手がかりは、石燕以前の版本の挿絵にあります。すでにそこで、描写の違いが存在していました。
車輪に人面がついているか。
車輪に乗った女性か。
本来はまったく同じ説話だった「片輪車」が、この描写の違いから片輪車と輪入道という二つの妖怪へ分岐していったのではないかとされています。
絵の違いが、妖怪を二つに分けました。
男と女 ─ 後から付いた性別
現在、輪入道は男性、片輪車は女性として解釈されています。
しかし、これは後から定まったものです。
片輪車の姿が女性として描かれ始めたのは、1743年刊行の『諸国里人談』からです。
もとの『諸国百物語』(1677年)の挿絵には、車輪の中央に顔がついた形の片輪車が描かれていました。
性別の描写は、そこにはありません。
片輪車を覗き見た女の話
片輪車の話としてよく知られるのは、次のようなものです。ある女が、禁を破って車輪の妖怪を覗き見てしまう。すると子供をさらわれる。女が歌を詠んで訴えると、妖怪は「この子はかわいそうだ」と言って子を返したという筋です。
母と子の話です。 だから女性の姿が定着したのでしょう。
一方、輪入道には母と子の要素がありません。あるのは、見た者の魂を抜くという害と、「此所勝母の里」の呪符だけです。
ただし呪符の言葉には「母」の字が入っています。もとが同じ説話だったことの名残かもしれません。
輪入道の伝承地域
輪入道には、訪ねられる伝承地がありません。
輪入道は鳥山石燕が『諸国百物語』の片輪車から取材して描いた妖怪であり、それ自体の土地の伝承はないためです。
もとになった片輪車の話の舞台は、『諸国百物語』(1677年刊)に京都の東洞院通と記されています。巻一「京東洞院かたわ車の事」です。
東洞院通は現在も京都市内にある通りです。 しかし、いまは市街地の生活道路です。
実在の通りを怪異の出る場所として名指しすることは、その土地に迷惑をかけることになります。
輪入道が現れるとされるのは、夜道です。示しているのは伝承の残る地域です。
無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。
輪入道の正体と考えられているもの
輪入道の正体については、成り立ちがはっきり追える妖怪です。
まず、もとになった説話があります。 1677年刊行の『諸国百物語』にある、京都の東洞院通に現れた車輪の妖怪「片輪車」です。
次に、絵の違いによる分岐があります。 石燕以前の版本の挿絵で、「車輪に人面がついている」ものと「車輪に乗った女性」のものという描写の違いが存在していました。
そして、石燕が別々に描きました。 『今昔画図続百鬼』では、片輪車と輪入道が別の妖怪として収められています。本来まったく同じ説話だったものが、二つの妖怪に分かれました。
そのうえで、なぜ車輪なのかを考えることができます。
一つめは、牛車の音です。夜、遠くから車輪の軋む音が近づいてくる。姿は見えません。 平安京では、貴族の牛車が夜に通ることがありました。
二つめは、火です。炎に包まれた車輪は、火の車を思わせます。仏教でいう火の車は、悪人を地獄へ送る乗り物です。火車と同じ発想が背後にあります。
三つめは、見てはいけないものです。片輪車の話は、禁を破って覗き見た女が罰を受ける話です。見た者の魂を抜くという輪入道の害も、同じ形です。
輪入道が何であったかは、決められていません。
輪入道をめぐる妖怪のつながり
輪入道が登場する作品
輪入道は、姿の強さで作品に取り入れられます。炎に包まれた車輪に人の顔。一目で妖怪だとわかります。
動きも作品向きです。転がってくるという単純な動作が、追われる恐怖をよく表します。
呪符「此所勝母の里」は、対処法として物語に組み込みやすい要素です。
輪入道が登場する古典
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輪入道についてよくある質問
輪入道とは何ですか。
鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に描かれた妖怪です。炎に包まれた牛車の車輪の中央に、男性の顔が付いた姿をしています。
輪入道を防ぐ方法はありますか。
「此所勝母の里」と書いた紙を呪符として家の戸に貼ると、輪入道が近づくことができないと石燕は記しています。
「此所勝母の里」とはどういう意味ですか。
「ここは勝母の里である」という意味です。孔子の門人・曾子が「母に勝つ」という名を嫌って勝母の里に足を踏み入れなかったという『史記』の逸話が由来です。
片輪車とは同じですか。
もとは同じ説話です。1677年の『諸国百物語』にある京都の車輪の妖怪から、絵の描写の違いによって片輪車と輪入道の二つに分かれたと考えられています。
輪入道に会える場所はありますか。
ありません。もとになった話の舞台は京都の東洞院通です。いまは生活道路です。
輪入道と併せて覚えたい言葉・用語
片輪車(かたわぐるま)
同じ説話から分かれた妖怪。女性として描かれる。
曾子(そうし)
孔子の門人。孝行で知られ、「母に勝つ」の名を嫌った。
牛車(ぎっしゃ)
牛に引かせる乗り物。平安時代以降の貴族が用いた。
呪符(じゅふ)
災いを防ぐために貼る札。輪入道には「此所勝母の里」と書く。