福原の都で平清盛の前に現れた巨大な髑髏。無数の目で睨みつけたという。

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 目競」 1781年 / パブリックドメイン 出典
目競とはどんな妖怪か
目競はひとことで言えば、平清盛と睨み合った巨大な髑髏です。
鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある妖怪で、『平家物語』の「物怪之沙汰」に記された場面を絵にしたものです。
福原、現在の神戸市兵庫区の都でのある朝、清盛が帳台から出て中庭を見ると、死人の髑髏が無数に転がっていました。しかもそれらはしきりに動き回っています。
清盛が大声で人を呼んでも、誰も来ません。
やがて無数の髑髏が一つに合わさり、十四、五丈という巨大な髑髏となって、生きているかのように無数の目で清盛を睨みつけました。
清盛は意を決し、髑髏の目を思い切り睨み返します。
すると大髑髏は、日の光に溶けるように跡形もなく消え去ったといいます。
目競の漢字表記と読み方
読みは「めくらべ」です。目を競う、つまり睨み合いを意味します。
この名は、もとになった『平家物語』にはありません。鳥山石燕が自分の画集で名付けたものです。
巖谷小波の説話事典『大語園』では「髑髏の怪」と題されており、名が一つに定まっていないことが分かります。
なお、江戸時代には「にらめっこ」を「目競」と呼んだとする説があります。清盛と妖怪の睨み合いの逸話にあやかったものとされます。
遊びの名が、怪異の名から来ているという珍しい例です。
目競(めくらべ)
鳥山石燕が付けた名。
髑髏の怪(どくろのかい)
巖谷小波『大語園』での題。
物怪之沙汰(もっけのさた)
もとになった『平家物語』の章の名。
目競の姿と特徴
目競の姿は、二つの段階に分かれます。
はじめの姿 … 中庭一面に転がる無数の髑髏。右に左に、上に下にとしきりに動き回る。
次の姿 … それらが一つに合わさった巨大な髑髏。大きさは十四、五丈、およそ四十二から四十五メートル。
目 … 生きているかのように無数の目があり、清盛を睨みつける。
消え方 … 日の光に溶けるように、跡形もなく消える。
一つ一つの髑髏の目が、合わさった大髑髏にそのまま残っているのが特徴です。
石燕の絵では、庭に転がる髑髏と、こちらを見つめる大きな顔とが描かれます。
月岡芳年もこの場面を二度描きました。『新形三十六怪撰』の「清盛福原に数百の人頭を見るの図」では襖と月で、『新容六怪撰 平相国清盛入道浄海』では雪の塊で大髑髏を表現しています。
いずれも、あたかもこの妖怪が人間の妄想の産物であるかのように描かれています。
目競の伝承物語
福原の朝、中庭に転がる髑髏
『平家物語』の「物怪之沙汰」に記された場面です。
福原、現在の神戸市兵庫区の都でのある朝のことでした。
平清盛が帳台から出て中庭を見ると、そこには死人の髑髏が無数に転がっていました。
しかもそれらの髑髏は、じっとしていません。右に左に、上に下にと、しきりに動き回っていたのです。
あまりの光景に、清盛は大声で人を呼びました。
しかし、誰も来ることはありませんでした。
その内に、無数の髑髏が一つに合体していきます。
十四、五丈もの巨大な髑髏となり、生きているかのように無数の目で清盛を睨みつけました。
清盛は意を決します。
そして、髑髏の目を思い切り睨み返しました。
するとやがて、大髑髏は日の光に溶けるかのように、跡形もなく消え去ってしまったといいます。
この話には、退治も呪文も出てきません。 清盛はただ睨み返しただけです。それだけで怪異は消えました。
清盛の権勢が髑髏を呼ぶ
『平家物語』の「物怪之沙汰」は、平家に起きた怪しい出来事を並べた章です。
もっけのさたとは、思いがけない出来事、あるいは物の怪の仕業という意味です。
この章に置かれているということは、目競の話が「平家の行く末を暗示する不吉なしるし」として語られていることを意味します。
物語のなかで清盛は、権勢を極めながら、やがて滅びへ向かう人物として描かれます。その道筋のうえに、この怪異があります。
では、無数の髑髏とは何か。
清盛の権勢のもとで死んだ者たち
清盛の権勢のもとで死んだ者たちである、という読み方があります。数え切れないほどの死者が、一つに合わさって清盛を見つめている。
福原という場所にも意味があります。福原は清盛が都を移した土地です。強引な遷都は多くの反発を招きました。その新しい都で、この怪異は起きます。
そして清盛は、退治もせず、祈らず、ただ睨み返します。
この振る舞いこそが清盛という人物を示していると読めます。恐れず、屈せず、力で押し通す。物語は、その強さと、その先にある滅びを同時に描いています。
石燕が名を与え、芳年が姿を変えた
この話は、絵によって形を変えながら伝わりました。
まず鳥山石燕です。石燕は『今昔百鬼拾遺』にこの場面を描き、「目競」という名を与えました。
『平家物語』にこの名はありません。石燕が付けたことで、この場面は一体の「妖怪」として独立しました。
石燕がしたことは、物語の一場面を妖怪の名で呼び直すことでした。名が付けば、それは図鑑に並べられるものになります。
次に月岡芳年です。芳年はこの場面を二度描きました。
芳年が襖と月を髑髏に描く
『新形三十六怪撰』の「清盛福原に数百の人頭を見るの図」では、襖と月の模様が大髑髏に見えるように描かれています。
『新容六怪撰 平相国清盛入道浄海』では、雪の塊が大髑髏の形をなしています。
どちらも、髑髏そのものを描いてはいません。
そこにあるのは襖であり、雪です。 大髑髏に見えているのは清盛の目であり、心である──そう読める描き方になっています。
巖谷小波の『大語園』では「髑髏の怪」と題されました。名が定まらないまま、この話は絵の中を渡り歩いてきたことになります。
目競の伝承地域
目競の舞台は、兵庫県神戸市兵庫区の福原です。
平清盛が都を移した土地で、『平家物語』はこの都での朝の出来事としてこの怪異を記しています。
清盛と結び付く話であるため京都と思われがちですが、この場面は福原、つまり現在の神戸市です。
福原京は短期間で終わり、当時の建物は残っていません。正確な範囲も分かっていません。
目競を祀る祠は確かめられませんでした。
福原京跡(ふくはらきょうあと)
清盛が大髑髏を見た地
福原京跡の所在地:兵庫県神戸市兵庫区
平清盛が都を移した福原の地です。現在の神戸市兵庫区にあたります。
『平家物語』「物怪之沙汰」で、清盛が中庭に無数の髑髏を見たのはこの都でのことでした。
目競の舞台は福原です。 清盛の福原、いまの神戸です。
平安京から移された都は短期間で終わり、当時の建物は残っていません。
福原京の正確な範囲は分かっていません。
目競の正体と考えられているもの
目競の正体については、次のように考えられています。
清盛の心が見せた幻とする見方が有力です。月岡芳年は襖や雪の塊が大髑髏に見えるように描きました。つまり、そこに実体は無く、見ている者の内側に原因があるという解釈です。
平家に滅ぼされた者たちの怨みとする見方もあります。無数の髑髏が一つに合わさるという形は、数え切れない死者が一つの意思になったようにも読めます。
物語の中での役割とする見方が、もっとも確かです。この場面は『平家物語』の「物怪之沙汰」、つまり平家に起きた不吉なしるしを並べた章にあります。目競は、平家の滅びを予告するために置かれています。
石燕が作った妖怪とする見方も成り立ちます。『平家物語』にこの名はなく、名を与えたのは石燕です。名が付いたことで、物語の一場面が一体の妖怪になりました。
にらめっこの語源とする説もあります。江戸時代に、この睨み合いの逸話にあやかって遊びの名が付いたとされます。
恐ろしい姿でありながら、退治されない怪異です。清盛はただ睨み返し、それだけで消えました。
目競をめぐる妖怪のつながり
目競が登場する作品
目競は、絵師たちの腕くらべの題材になってきた妖怪です。
石燕は名を与え、芳年は襖と雪という二通りのやり方で同じ場面を描きました。
直接には描かず、別のものが大髑髏に見えるようにする。 この手法によって、この怪異が清盛の心の中にあるものだという解釈が絵の上で示されました。
平家物語を扱う作品では、清盛の最期を予告する場面として今も繰り返し用いられています。
目競が登場する絵
新容六怪撰
同じく芳年の作。雪の塊で大髑髏を表現しています。
目競が登場するゲーム
平家物語を扱う各種の作品
清盛の最期を予告する場面として繰り返し描かれます。
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目競についてよくある質問
目競とは何ですか。
福原の都で平清盛の前に現れたという巨大な髑髏です。中庭に無数の髑髏が転がって動き回り、やがて一つに合わさって十四、五丈の大髑髏となり、無数の目で清盛を睨みつけたと『平家物語』に記されます。
どうやって消えたのですか。
清盛が意を決して髑髏の目を思い切り睨み返したところ、大髑髏は日の光に溶けるように跡形もなく消え去ったといいます。退治も祈祷も行われていません。
「目競」という名は誰が付けたのですか。
鳥山石燕です。『平家物語』にこの名はなく、石燕が『今昔百鬼拾遺』で名付けました。巖谷小波の『大語園』では「髑髏の怪」と題されています。
どこの話ですか。
福原、現在の兵庫県神戸市兵庫区です。平清盛が都を移した福原でのことです。
にらめっこと関係がありますか。
江戸時代に、清盛と妖怪の睨み合いの逸話にあやかって、にらめっこが「目競」と名づけられたとの説があります。
目競と併せて覚えたい言葉・用語
物怪之沙汰(もっけのさた)
『平家物語』の章の一つ。平家に起きた怪しい出来事を並べる。
福原(ふくはら)
平清盛が都を移した地。現在の神戸市兵庫区にあたる。
丈(じょう)
長さの単位。十四、五丈はおよそ四十二から四十五メートル。
新形三十六怪撰(しんけいさんじゅうろっかいせん)
月岡芳年の連作。清盛が数百の人頭を見る図を含む。