皿を数えるお菊の霊が虫になって戻ったとされたもの。正体はジャコウアゲハの蛹。

鳥山石燕 「今昔画図続百鬼 皿かぞえ」 1779年 / パブリックドメイン 出典
お菊虫とはどんな妖怪か
お菊虫は、お菊の霊が虫の姿になったものです。
井戸で皿を数える、あの女です。
寛政七年(1795年)、播州姫路で奇妙な形をした虫が大量に発生しました。後ろ手に縛られた女のように見えたことから、責め殺されたお菊の祟りだと噂されます。ちょうどお菊の百回忌にあたる年でした。
江戸時代の随筆『雲錦随筆』は、この虫を「まさしく女が後手にくくりつけられたる形態なり」と書き、正体は蛹であるとしたうえで、精緻な挿絵まで載せています。
この虫はジャコウアゲハの蛹と考えられています。姫路市は1989年、この縁と、初代藩主池田氏の家紋が揚羽蝶であることにちなんで、ジャコウアゲハを市の蝶に定めました。
怪談が実在の虫を巻き込み、その虫が今も市の蝶として残っている。 妖怪の話がここまで現実に食い込んだ例は多くありません。
お菊虫の漢字表記と読み方
読みは「おきくむし」です。
お菊は、皿屋敷の物語で井戸に落とされる女中の名です。ただし、この名がついたのは物語が整った後のことで、播州の古い記録では「腰元」と書かれるだけで名がありません。
皿屋敷の物語には二つの系統があります。姫路を舞台とする『播州皿屋敷』と、江戸の番町を舞台とする『番町皿屋敷』です。お菊虫が現れるのは播州の系統だけで、江戸の物語にこの虫は出てきません。
姫路にはお菊神社があり、お菊大明神として祀られています。
お菊虫(おきくむし)
もっとも一般的な表記。
播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)
姫路を舞台とする物語の題名。お菊虫はこの系統に属する。
番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)
江戸を舞台とする物語。こちらにお菊虫は出てこない。
皿数え(さらかぞえ)
鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』で描いた怪火の名。お菊の霊が陰火となって現れる姿。
お菊虫の姿と特徴
お菊虫の姿は、江戸時代の記録にはっきり書かれています。
形 … 後ろ手に縛られた女のよう。
正体 … 蛹(さなぎ)。『雲錦随筆』はこれを明記しています。
大きさ … 蝶の蛹の大きさ。
ジャコウアゲハの蛹は、木の枝や壁に糸で体を固定してぶら下がります。この姿勢が、後ろ手に縛られて吊るされた人に見えるのです。実物を見ると、噂が立った理由がよくわかります。
姫路の十二所神社では、戦前まで「お菊虫」と称してジャコウアゲハの蛹を箱に収め、土産物として売っていました。民俗学者の中山太郎も、姫路で売られていた種をジャコウアゲハと特定しています。
ただし、江戸期の随筆には蛹以外の虫の説明もあり、すべての記録が同じ虫を指しているとは限りません。
お菊そのものの姿は、井戸から現れる女の霊として描かれます。鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』で、これを皿数えという怪火として描きました。
お菊虫の伝承物語
播州皿屋敷 ─ 姫路の物語
姫路を舞台とする物語は、次のように語られます。
姫路城主・小寺則職の家臣青山鉄山が主家の乗っ取りを企てます。これを察した忠臣の衣笠元信が、自分の妾だったお菊を鉄山の家に女中として送り込み、計略を探らせました。
お菊の働きで陰謀は防がれますが、鉄山は密告者を捜します。突き止めた家来の町坪弾四郎は、以前からお菊に懸想しており、これを機に迫りました。拒まれた弾四郎は逆恨みし、お菊が管理していた十枚揃いの家宝の皿の一枚をわざと隠します。
紛失の責任を負わされたお菊は責め殺され、古井戸に捨てられました。以来、井戸から夜ごとに皿を数える声が聞こえたといいます。
やがて鉄山一味は討たれ、則職はお菊を哀れんで十二所神社に「お菊大明神」として祀りました。その三百年ほど後、城下に奇妙な虫が大量発生します。 人々は、お菊が虫になって帰ってきたと言い合いました。
1795年の大発生 ─ 虫が話に加わる
お菊虫の噂が立ったのは、寛政七年(1795年)です。
この年、播州で奇妙な形の虫が大量に発生しました。後ろ手に縛られた女の形に見えることから、お菊の祟りだと言われます。
記録に残っている点が重要です。暁鐘成の『雲錦随筆』は、この虫をこう形容しました。
まさしく女が後手にくくりつけられたる形態なり
そのうえで正体は蛹であると冷静に書き、挿絵まで載せています。
つまり、当時から正体は蛹だとわかっていました。 それでも祟りとして語られたのです。
尼崎のお菊伝説や、根岸鎮衛『耳嚢』などの記録は、いずれもこの1795年の大量発生をお菊の百回忌に当てています。元禄九年(1696年)の出来事とすれば、ちょうど百年目にあたります。
話と暦が噛み合ってしまった。 これが、お菊虫の噂を強くしました。
市の蝶になった虫
お菊虫の話は、そこで終わりませんでした。
姫路の十二所神社では、戦前までジャコウアゲハの蛹を箱に収めて土産物として売っていました。「お菊虫」という名で売られていたのです。
そして1989年、姫路市はジャコウアゲハを市の蝶に定めます。理由は二つ挙げられました。お菊虫の件と、初代藩主・池田氏の家紋が平家由来の揚羽蝶であることです。
怪談から生まれた呼び名が、自治体の公式な指定にまでつながった。 妖怪の話がここまで現実の制度に食い込んだ例は、そう多くありません。
ジャコウアゲハは、ウマノスズクサという毒を持つ草を食べて育つため、鳥に食べられにくい蝶です。姫路の環境に合ったこの蝶が、たまたま大量発生し、たまたまお菊の百回忌と重なりました。
皿屋敷はどこで生まれたか
皿屋敷の物語がいつどこで生まれたかは、決着していません。
古い形として、播磨の永良竹叟が天正五年(1577年)に著した『竹叟夜話』が挙げられます。ただしこれは皿ではなく鮑貝の盃の話で、女の名も花野であり、後の皿屋敷とは食い違う点が多くあります。
江戸の側では、正徳二年(1712年)の『当世智恵鑑』に、牛込で十枚の皿の一枚を割った妾が殺される話が載ります。享保十七年(1732年)には「皿屋敷」の項が見え、下女が皿を井戸に落として殺され、その念が残って一つから九つまで数えて泣き叫ぶ、と記されています。
宝暦八年(1758年)、講釈師の馬場文耕が『皿屋舗弁疑録』で舞台を江戸の番町に移し、これが『番町皿屋敷』のもとになりました。
四十八か所に散らばる類話
皿屋敷の類話は、全国に四十八か所ともいわれます。
北は岩手県、南は鹿児島県まで分布します。
同じ井戸と皿の話が、これだけ広い範囲に、それぞれ別の土地の出来事として根づいています。
研究者の見方も割れたままです。
三田村鳶魚は播州説を退けました。橋本政次は『姫路城史』で播州の事件を原点と見ました。
お菊虫の伝承地域
お菊虫と皿屋敷の伝承地は、姫路市内の二か所が中心です。お菊を祀る社と、声が聞こえたとされる井戸です。
ただし、どちらも物語の時代までさかのぼれません。 お菊神社は江戸中期には存在しましたが戦国時代まではさかのぼれず、お菊井戸は江戸時代初めの築城時のもので、しかもそう呼ばれるようになったのは大正時代からです。確かめられた範囲で、そのまま書いています。
江戸の『番町皿屋敷』については、東京都内にお菊の墓とされるものがいくつかあります。神奈川県の平塚駅の近くには「お菊塚」と刻まれた石碑があり、もとは墓があったものが戦後に近隣の晴雲寺へ移されたとされます。千代田区の帯坂は、お菊が髪を振り乱して帯を引きずって通ったという言い伝えに結びつけられた坂です。
このほか、滋賀県彦根市の長久寺にはお菊の墓と、割られたと伝わる皿が残ります。類話は全国に四十八か所ともいわれ、すべてを挙げることはできません。
お菊神社(十二所神社境内)(おきくじんじゃ(じゅうにしょじんじゃけいだい))
お菊を祀る社
お菊神社(十二所神社境内)の所在地:兵庫県姫路市立町
十二所神社の境内にある社で、お菊大明神を祀ります。物語では、城主・小寺則職がお菊を哀れんで祀ったとされます。
江戸中期の浄瑠璃にすでにこの社への言及があり、その頃までには祀られていたことがわかります。ただし戦国時代までさかのぼることはできないと考えられています。
戦前には、この社で「お菊虫」と称してジャコウアゲハの蛹を箱に収め、土産物として売っていました。
姫路城の南、市街地にある。十二所神社の境内社。
お菊井戸(姫路城内)(おきくいど)
皿を数える声が聞こえたとされる井戸
お菊井戸(姫路城内)の所在地:兵庫県姫路市本町
姫路城の本丸の下、「上山里」と呼ばれる一角にある井戸です。お菊が投げ込まれたと語られます。
ただし注意が必要です。この井戸がお菊井戸と呼ばれるようになったのは大正時代の一般公開以降で、それ以前は「釣瓶取の井戸」と呼ばれていました。もともとお菊の井戸とされたのは、中曲輪の東北端にある桐の馬場の井戸でした。
さらに、この井戸そのものが江戸時代初めの池田輝政による築城時のものです。物語の時代とは合いません。
姫路城の有料区域内にある。見学路の途中に位置する。
お菊虫の正体と考えられているもの
お菊虫の正体は、わかっています。ジャコウアゲハの蛹です。
しかも、当時からわかっていました。『雲錦随筆』は「その正体は蛹である」と明記し、挿絵まで添えています。それでも祟りとして語られました。正体が知られていることと、話が広まることは、両立します。
では、なぜ蛹が女の姿に見えたのか。ジャコウアゲハの蛹は、糸で体を固定して壁や枝からぶら下がります。帯で後ろ手に縛られて吊るされた姿に、確かによく似ています。
1795年という年も効きました。尼崎の伝説を元禄九年(1696年)とすれば、ちょうど百回忌にあたります。複数の記録がこの一致を書き留めています。
お菊そのものの正体については、話が別です。皿屋敷が実際の事件に基づくかどうかは、決着していません。
『竹叟夜話』の花野の話を原点と見る立場、江戸の牛込で起きた出来事を原点と見る立場、中山太郎のように「紅皿欠皿」の民話を起源とする立場があります。どの説も決め手を欠いています。
江戸の『番町皿屋敷』については、時代考証が合わないことがはっきりしています。 青山主膳という火付盗賊改は存在せず、その役職が置かれたのは1662年です。鎮魂を頼まれたという了誉上人は1420年に亡くなっています。物語として組み立てられたものです。
お菊虫をめぐる妖怪のつながり
お菊虫が登場する作品
皿屋敷は、江戸時代を通じて上演され続けた怪談です。歌舞伎、浄瑠璃、講談、そして落語まで、あらゆる形で語られました。
落語『お菊の皿』のように、怖い話を笑いに変える演目まで生まれたのは、それだけ広く知られていた証拠です。
お菊虫そのものが作品に登場することは多くありませんが、姫路市の蝶という形で今も残っています。
お菊虫が登場する古典芸能
播州錦皿九枚館(歌舞伎)
1720年、京都で上演されました。台本は残りませんが、役割番付から皿屋敷伝説を完全な形で劇化したものと考えられています。
皿屋舗弁疑録
1758年、講釈師の馬場文耕による作です。舞台を江戸の番町に移し、『番町皿屋敷』のもとになりました。
お菊虫が登場する戯曲・落語
お菊の皿(落語)
皿を数えるお菊を見物に行く滑稽噺です。十八枚まで数えて「明日は休むので二日分」と答える落ちで知られます。
お菊虫が登場する漫画・アニメ・ゲーム
怪談を扱う各種作品
日本三大怪談のひとつとして、四谷怪談・牡丹燈籠と並べて扱われます。
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お菊虫についてよくある質問
お菊虫とは何ですか。
1795年に播州姫路で大量発生した虫です。後ろ手に縛られた女の形に見えたことから、皿屋敷のお菊の祟りだと噂されました。
お菊虫の正体は何ですか。
ジャコウアゲハの蛹です。江戸時代の随筆『雲錦随筆』もすでに「その正体は蛹である」と書いています。
なぜ姫路市の蝶がジャコウアゲハなのですか。
お菊虫の件と、初代藩主・池田氏の家紋が揚羽蝶であることにちなみ、1989年に市の蝶として定められました。
姫路城のお菊井戸は本物ですか。
お菊井戸と呼ばれるようになったのは大正時代の一般公開以降で、それ以前は「釣瓶取の井戸」と呼ばれていました。井戸そのものも江戸時代初めの築城時のもので、物語の時代とは合いません。
播州皿屋敷と番町皿屋敷は何が違いますか。
舞台と時代が違います。播州は姫路が舞台で戦国時代の設定、番町は江戸が舞台で十七世紀中葉以降の設定です。お菊虫が出てくるのは播州の系統だけです。
お菊虫と併せて覚えたい言葉・用語
ジャコウアゲハ(じゃこうあげは)
蛹が後ろ手に縛られた人の形に見える蝶。1989年に姫路市の蝶に定められた。
雲錦随筆(うんきんずいひつ)
暁鐘成による随筆。お菊虫を挿絵つきで記録し、正体を蛹とした。
皿数え(さらかぞえ)
鳥山石燕が描いた怪火。お菊の霊が井戸から陰火となって現れる姿。
十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)
姫路市立町の神社。境内にお菊神社がある。