夜中に「甘酒はござらんか」と訪ね歩く老婆。答えると病気になる。

甘酒婆とはどんな妖怪か
甘酒婆は、夜中に訪ねてくる老婆です。青森県や宮城県などに伝わります。
問いは、ひとつだけです。
「甘酒はござらんか?」
そして、答えてはいけません。
これに答えてしまうと、甘酒がある、ないのいずれの返答でも病気になるといいます。
あってもだめ、なくてもだめです。
防ぐ方法があります。
この妖怪の来訪を防ぐためには、戸口にスギの葉を吊るすとよいと信じられていました。
似たものとして、山梨県には「アマザケバンバァ」が伝わります。毎晩、甘酒や酒を売ろうと家々を訪れましたが、戸口に「甘酒や酒は嫌いだ」と貼ると来なくなったといいます。
甘酒婆の漢字表記と読み方
読みは「あまざけばば」です。「あまざけばばあ」とも読みます。
甘酒は、米麹や酒粕からつくる甘い飲み物です。冬の飲み物と思われがちですが、江戸では夏の飲み物でした。
夏バテを防ぐ栄養源として、暑い盛りに売り歩かれました。
「甘酒」は俳句では夏の季語です。
そして、この妖怪が現れるのは夜です。
長野県飯田市では、また違います。
冬の寒い真夜中に、民家の戸を叩いて甘酒を売って歩く者を甘酒婆と呼びました。
売り歩く人そのものが、そう呼ばれています。
甘酒婆(あまざけばば)
もっとも一般的な表記。
甘酒婆(あまざけばばあ)
語尾を伸ばす読み方。
アマザケバンバァ(あまざけばんばぁ)
山梨県での呼び名。
甘酒婆地蔵(あまざけばばじぞう)
東京都文京区の日輪寺にある地蔵。別系統の伝承。
甘酒婆の姿と特徴
甘酒婆は、姿より声で現れます。
現れる時間 … 夜中。
言うこと … 「甘酒はござらんか?」
姿 … 老婆。
防ぎ方 … 戸口にスギの葉を吊るす。
江戸では、より多くの備えがありました。
文化14年(1817年)から文政3年(1820年)、江戸・京都・大坂の三都や名古屋などで噂が流行した際、人々はこう備えました。
スギの葉。
ナンテンの枝。
トウガラシ。
これらを門口に吊るしたり、「上酒有」と書いた紙を貼りました。
「上等な酒があります」と書いておきます。
返事をしなくて済むように、先に答えを貼っておく仕掛けです。
甘酒婆の伝承物語
答えると病気になる
甘酒婆の怖さは、答えを封じられていることにあります。
「甘酒はござらんか?」と問われ、答えてしまうと、甘酒がある、ないのいずれの返答でも病気になるといいます。
「ある」と言えば、病気。
「ない」と言っても、病気。
正解がありません。
だから、答えないのが唯一の手です。
そして、答えずに済ませる工夫が生まれました。
戸口に「上酒有」と書いた紙を貼る。
先に答えておけば、問われません。
山梨県では逆の手を使いました。
戸口に「甘酒や酒は嫌いだ」と貼ると来なくなったといいます。
売り込みを断る貼り紙です。
疱瘡神ではないか
甘酒婆は、疫病神とされました。
柳田国男は『日本の伝説』で、江戸のはやり病とこの婆を並べて書いています。
甘酒婆といって、甘酒はないかといいながらはいって来る婆が、疫病神だなどというひょうばんもよく行われました。
病がはやると、婆が来ます。
そして、母親たちは急ぎました。
可愛い子供をもつ親たちは、こういう場合には急いでどこかの婆神様にお詣りしました。
江戸各地に咳を治める老婆の神像があったことから、子供を抱える母親たちは急いでこの神像を拝んだといいます。
文化14年から文政3年にかけて、噂が三都で流行します。
この噂話は、本来は疱瘡(天然痘)を患うという話が、伝聞を経て単なる流行病へと変化したものと見られています。
そこから、甘酒婆を「疱瘡神」とする説も出ました。
咳に効く甘酒
東京都文京区の日輪寺には、「甘酒婆地蔵」という地蔵があります。
ただし、これに関しては上記の妖怪とは異なる伝承が残されています。
良い老婆の話です。
ある老婆の甘酒が風邪に効くと評判になり、その老婆の死後、遺徳を忍んで建てられた像とされています。
別説もあります。
かつて日輪寺の近くで甘酒を売っていた老婆がひどい咳に悩まされ、同じ病気の人々を救いたいと言い残して死んだといいます。
この地蔵は、寺の住職が老婆の姿を刻んだものです。
やがて、咳に悩む人たちが甘酒を供えて祈願するようになりました。
同じ「甘酒の老婆」が、病を配る側と、病を治す側の両方にいます。
甘酒婆の伝承地域
甘酒婆は、青森県や宮城県などに伝わります。
三元社『旅と伝説』(1940年)、財団法人宮城県史刊行会『宮城県史』(1956年)、財団法人日本ナショナルトラスト『自然と文化』1984年秋号に伝承が記録されています。
長野県飯田市では、冬の寒い真夜中に民家の戸を叩いて甘酒を売って歩く者を甘酒婆と呼びました。山梨県には「アマザケバンバァ」が伝わります。
東京都文京区の日輪寺には「甘酒婆地蔵」がありますが、これは妖怪とは異なる伝承で、甘酒が風邪や咳に効くと評判だった老婆の遺徳を忍んで建てられた像とされます。咳に悩む人たちが甘酒を供えて祈願します。
参拝の際は、寺の案内に従ってください。
日輪寺(にちりんじ)
甘酒婆地蔵のある曹洞宗の寺
日輪寺の所在地:東京都文京区小日向1-4-18
境内の甘酒婆地蔵は、妖怪の甘酒婆とは別の伝承です。
甘酒が咳に効くと評判だった老婆をしのぶ像とされます。
咳に悩む人が甘酒を供えて祈願します。
甘酒婆の正体と考えられているもの
甘酒婆については、次のように整理できます。
一つめは、疫病神です。かつて江戸では流行病の時期に「甘酒はないか」と言いながらやって来るといわれました。
二つめは、疱瘡神です。この噂話は、本来は疱瘡(天然痘)を患うという話が伝聞を経て単なる流行病へ変化したものと見られ、そこから疱瘡の疫病神である疱瘡神のこととする説があります。
三つめは、噂の流行です。文化14年(1817年)から文政3年(1820年)、江戸・京都・大坂の三都や名古屋などで流行しました。 人々はスギの葉、ナンテンの枝、トウガラシを門口に吊るしました。
四つめは、甘酒売りです。長野県飯田市では、冬の寒い真夜中に民家の戸を叩いて甘酒を売って歩く者を甘酒婆と呼びました。 実在の商いです。
甘酒婆が何であったかは、わかっていません。 ただ、答えても答えなくても病気になるという理不尽さは、流行病そのものの理不尽さに似ています。
甘酒婆をめぐる妖怪のつながり
甘酒婆が登場する作品
甘酒婆は、噂として広がった妖怪です。
文化14年から文政3年にかけて、江戸・京都・大坂・名古屋で同時に流行しました。 人々は具体的な備えをしました。
資料は民俗の記録と、江戸の噂の記録に分かれます。
甘酒婆が登場する研究
旅と伝説
三元社、1940年。甘酒婆の伝承を記録しています。
宮城県史
1956年。宮城県の伝承として記録されています。
自然と文化
1984年秋号。伝承が記録されています。
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甘酒婆についてよくある質問
答えるとどうなるのですか。
甘酒がある、ないのいずれの返答でも病気になるといいます。正解がありません。 そのため、答えないことが唯一の対処になります。
防ぐ方法はありますか。
戸口にスギの葉を吊るすとよいと信じられていました。 江戸で噂が流行した際は、ナンテンの枝やトウガラシを吊るしたり、「上酒有」と書いた紙を貼りました。
疱瘡神なのですか。
そうする説があります。 この噂話は、本来は疱瘡(天然痘)を患うという話が伝聞を経て単なる流行病へ変化したものと見られ、そこから疱瘡神のこととする説が出ています。
甘酒婆地蔵とは何ですか。
東京都文京区の日輪寺にある地蔵です。妖怪とは異なる伝承で、甘酒が風邪や咳に効くと評判だった老婆の遺徳を忍んで建てられたとされ、咳に悩む人たちが甘酒を供えて祈願します。
甘酒婆と併せて覚えたい言葉・用語
甘酒(あまざけ)
米麹や酒粕からつくる甘い飲み物。江戸では夏の飲み物だった。
疱瘡神(ほうそうがみ)
天然痘をもたらすとされた疫病神。
日輪寺(にちりんじ)
東京都文京区の寺。甘酒婆地蔵がある。