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全国に伝わるもの

後神(うしろがみ)とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品

後神  / ウシロガミ

幽霊と霊 鳥山石燕の絵

突然人の背後に現れ、後ろ髪を引くもの。頭頂に一つ目を持つ姿で描かれる。

後神の姿を描いた図

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 後神」 1781年 / パブリックドメイン 出典

後神とはどんな妖怪か

後神は、背後から後ろ髪を引く妖怪です。鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』(1781年)にあります。

絵では、頭のてっぺんに一つ目を持つ、女の幽霊のような姿が宙に浮かんでいます。長い髪と衣が、風に流れています。

石燕の解説文によれば、突然人の背後に現れて、後ろ髪を引くとされます。

この妖怪の名は、言葉から来ています。

後ろ髪を引かれる」とは、心残りがあって思い切れないことをいう言い回しです。

村上健司は、後神をこの言い回しと「神」との語呂合わせによる創作としています。

つまり、心の動きに姿を与えたものです。

後神の漢字表記と読み方

読みは「うしろがみ」です。

「後ろ髪を引かれる」という言い回しがあります。心残りがあって、思い切れないことです。

この「うしろがみ」に「神」の字を当てたものが、後神です。

「髪」と「神」。同じ音に、違う字を当てています。

石燕は、こうした語呂合わせを繰り返し使いました。

川赤子は釣り餌の「赤子」から。大禿は禿の二つの意味から。

言葉が先にあり、絵が後から来ます。

そして、絵ができると、それは独立して歩き出します。後神も、そうして妖怪になりました。

後神(うしろがみ)

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』での表記。

後髪(うしろがみ)

『狂歌百物語』での表記。妖怪は描かれず、後ろ髪を引かれる女だけが描かれる。

ウシロガミ(うしろがみ)

カタカナで書くこともある。

後神の姿と特徴

石燕の描く後神は、次のような姿です。

… 頭頂部に一つ。縦に開いている。
… 下向き。口を開けている。
… 長く、風に流れる。
… 白い。宙にたなびく。
足元 … 無い。宙に浮いている。
そば … 開いた扇。枯木。

目の位置が、この絵のすべてです。

頭のてっぺんに、縦向きの目が一つ。 人の顔にあるべき場所から、外れています。

後ろから近づくものが、上から見ている。そういう形になります。

石燕は、振り返っても見えないものを描こうとしました。

顔は下を向き、髪はこちらへ流れています。すでに、すぐ後ろまで来ています。

後神の伝承物語

  1. 言葉が先にあった
  2. 決断を止める心
  3. 伊勢に祀られた後神
  4. 津山の夜道

言葉が先にあった

後神は、言い回しから生まれた妖怪です。

「後ろ髪を引かれる」

心残りがあって思い切れないことを、こう言います。いまも使う言葉です。

石燕は、この「うしろがみ」に「神」の字を当てました。

村上健司は、これを語呂合わせによる創作としています。

言葉が先にあり、姿は後から与えられました。

ただし、それが石燕ひとりの発明かどうかは分かりません。江戸には、言葉を絵にする遊びが広く行われていました。

絵解き、地口、判じ絵。

石燕の妖怪画集は、その延長線上にもあります。妖怪の図鑑であると同時に、言葉遊びの本でもありました。

決断を止める心

江戸時代の狂歌本『狂歌百物語』にも「後髪」が出てきます。

ただし、こちらの絵に妖怪は描かれていません

描かれているのは、後ろ髪を引かれる女だけです。

これについては、次のように解されています。

何かを決断して行動しようとする人間の心を、その決意よりもさらに強く思いとどまらせようとする心の動きや戸惑いを、一種の霊として表現したもの。

つまり、迷いそのものです。

行こうとする。しかし、行けない。その引っかかりに名前をつけた。

妖怪を描かなかったことが、かえってこの読みを支えています。

引いているのは、外にいる何かではありません。

伊勢に祀られた後神

井原西鶴の『西鶴織留』には、まったく違う後神が出てきます。

後神は、三重県の伊勢神宮の宮に祀られている。

そして、その役目はこうです。

親が子を勘当しようとしたとき、親の背後に立って気持ちをなだめる。

これは、良いものです。

後ろ髪を引くという同じ働きが、ここでは思いとどまらせる力として書かれています。

勘当は、親子の縁を切ることです。一度切れば、戻せません。

その手前で、後ろから引く者がいる。

同じ妖怪が、害にも助けにもなります。 引き止める力は、状況によって意味が変わります。

津山の夜道

水木しげるは、「後ろ髪」と「後神」を別のものとしたうえで、岡山県津山地方の話を伝えています。

臆病な女が、夜道を歩いていました。

そこへ後神が突然現れます

そして、その女の束ねた髪をくしゃくしゃに乱し、火のように熱い息を吹きかけたといいます。

ほかにも、風を起こして傘を飛ばす冷たい手や熱い物を首筋につけるといったことをするといいます。

すべて、後ろからです。

平成以降の本では、後神を臆病神の一つとする説明もあります。

臆病者や優柔不断な人に取り憑き、「やれ、やれ」とそそのかしておいて、いざ行動に出ようとすると後ろに回って髪を引く。震々袖引小僧も、その仲間とされます。

後神の伝承地域

後神には、訪ねられる伝承地がありません。

言い回しから生まれた妖怪であり、土地の言い伝えとして採られたものではないためです。

井原西鶴の『西鶴織留』には、伊勢神宮の宮に祀られているという記述があります。伊勢神宮は三重県伊勢市に実在します。

しかし、後神を祀る社殿がそこにあると確かめられたわけではありません。

水木しげるは岡山県津山地方の話を伝えていますが、これも地元の記録として確かめられてはいません。

無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。

後神の正体と考えられているもの

後神の正体については、次のように整理できます。

一つめは、言葉の遊びです。「後ろ髪を引かれる」という言い回しに「」の字を当てた語呂合わせとされます。村上健司の指摘です。言葉が先にあり、姿は後から与えられました。

二つめは、迷う心です。『狂歌百物語』の「後髪」は、決断を思いとどまらせようとする心の動きを霊として表したものと解されます。引いているのは、自分の内側です。

三つめは、思いとどまらせる守りです。井原西鶴は、伊勢に祀られ、親が子を勘当しようとするとき背後に立ってなだめると書きました。同じ働きが、ここでは良いものになります。

四つめは、臆病神の一つです。平成以降の本にある説明で、震々や袖引小僧と同じ仲間とされます。

五つめは、背後という位置です。人は自分の後ろを見られません。そこに何かがいるという不安は、姿を必要としません。

後神が何であったかは、わかっていません。 ただ、振り返っても見えないという一点だけで、この妖怪は成立します。

なお、影女も同じく視野の外に現れます。障子の向こうに形だけが映るもので、石燕は姿を描きませんでした。

後神をめぐる妖怪のつながり

後神が登場する作品

後神は、言葉から生まれた妖怪です。

そのため、絵と狂歌本と随筆で、それぞれ違う姿をしています。 石燕は一つ目の女、『狂歌百物語』は姿を描かず、西鶴は伊勢の守り神とします。

同じ名に、三つの読みが並んでいます。

後神が登場する古典

今昔百鬼拾遺

鳥山石燕、1781年。後神の絵と、背後から後ろ髪を引くという解説文があります。

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狂歌百物語

「後髪」として、後ろ髪を引かれる女だけが描かれます。妖怪は描かれません。

西鶴織留

井原西鶴。伊勢に祀られ、親の勘当をなだめるものと記します。

後神が登場する研究

妖怪事典

村上健司編著、2000年。語呂合わせによる創作であることを指摘しています。

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後神が登場する漫画・アニメ

ゲゲゲの鬼太郎

後神が登場します。頭頂に目のある姿で描かれます。

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妖怪をまとめて扱う作品

臆病神の一種として、震々や袖引小僧と並べて取り上げられます。

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後神についてよくある質問

後神はどんな妖怪ですか。

石燕によれば、突然人の背後に現れて後ろ髪を引くものです。絵では、頭頂部に一つ目を持つ女の幽霊のような姿で描かれます。

なぜ「神」の字なのですか。

後ろ髪を引かれる」という言い回しの「うしろがみ」に、「神」の字を当てた語呂合わせとされます。村上健司の指摘です。言葉が先にあり、姿は後から与えられました。

良いものなのですか、悪いものなのですか。

両方の記録があります。 石燕は髪を引くものとし、水木しげるは津山の話として熱い息を吹きかけると伝えます。一方、井原西鶴は伊勢に祀られ、親が子を勘当しようとするとき、なだめると書いています。

臆病神とは何ですか。

臆病者や優柔不断な人に取り憑くとされる妖怪です。「やれ、やれ」とそそのかしておいて、いざ行動に出ようとすると後ろ髪を引くとされます。平成以降の本では、震々袖引小僧も同じ仲間とされます。

後神と併せて覚えたい言葉・用語

後ろ髪を引かれる(うしろがみをひかれる)

心残りがあって思い切れないこと。後神の名はここから来ている。

臆病神(おくびょうがみ)

臆病者や優柔不断な人に取り憑くとされる妖怪の総称。

勘当(かんどう)

親が子との縁を切ること。西鶴は後神がこれをなだめると書いた。