雨を呼ぶとされる妖怪。石燕の絵は中国の故事を引いたものである。

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 雨女」 1781年 / パブリックドメイン 出典
雨女とはどんな妖怪か
雨女の漢字表記と読み方
読みは「あめおんな」です。
この語には、二つの使われ方があります。
妖怪としての雨女 … 雨を呼ぶとされるもの。
俗信としての雨女 … その女性が何かをしようと予定を立てると、その日は決まって雨天となる人のこと。
同様の男性は「雨男」と呼ばれ、この対になる言い方として「晴れ女・晴れ男」があります。
雪男や雪女は別種の民間伝承であり、空想上の存在です。
これに対して雨女・雨男は、ある実在の特定の個人に対して「あの人は雨女だ」と見なすような俗信である点で違います。
いま日常で使われる「雨女」は、妖怪の名ではなく、この俗信のほうです。
雨女(あめおんな)
もっとも一般的な表記。
雨おんば(あめおんば)
長野県下伊那郡での呼び名。
雨男(あめおとこ)
同じ性質を男性について言うときの語。
雨女の姿と特徴
雨女の姿は、伝えによって大きく異なります。
石燕の絵では … 女の姿。ただし解説文は中国の故事を引いたもので、雨にまつわる記述はありません。
子を失った女の説では … 泣いている子供のもとに、大きな袋を担いで現れる。
長野県下伊那郡の雨おんばでは … 雨の降る夜に現れる怪女。子供をさらう。
姿かたちについての具体的な描写は、ほとんど伝わっていません。
これは、雨女という語が性質の名であって、姿の名ではないためと考えられます。
雨を呼ぶという働きが先にあり、それを担う姿は後から付いてきます。
なお、大きな袋を担いでいるという点は具体的です。
子を失った女が、泣いている子供のもとに袋を持って現れる。その袋に何が入っているのか、あるいは何を入れるつもりなのかは語られません。
語られないことが、この話の恐ろしさになっています。
雨女の伝承物語
石燕が引いたのは中国の故事だった
鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にある「雨女」の解説文は、次のようなものです。
もろこし巫山の神女は 朝には雲となり 夕には雨となるとかや 雨女もかかる類のものなりや
これは、中国の故事からの引用です。
楚の文人・宋玉の詩『高唐賦』にある話で、楚の懐王が夢の中の巫山の女を愛し、女が去る際に「朝には雲となり、暮れには雨となり、朝な夕な陽台の下で会いましょう」と言い残したというものです。
この故事から生まれた「朝雲暮雨」という言葉は、男女の密やかな交情を示す故事成語です。
石燕の解説文に雨の話はない
子をさらう雨女
石燕の絵とは別に、雨女には子どもにまつわる伝えがあります。
産んだばかりの子供を雨の日に神隠しに遭って失った女性が雨女となり、泣いている子供のもとに大きな袋を担いで現れるとの説があります。
自分の子を失った女が、他の子のもとへ来る。
袋を担いでいるという点が不気味です。
長野県下伊那郡にも、似た伝えがあります。
雨の降る夜に「雨おんば」という怪女が現れるといわれ、次の二つの説があります。
子供をさらう妖怪とする説。
雨の日に訪れるものが堕落して妖怪化したものとする説。
子をさらう話が後に加わる
後者は重要です。
もともとは雨をもたらす有り難い訪れであったものが、時を経て恐ろしいものに変わったという見方です。
同じような変化は、ほかの妖怪にも見られます。
雨は、農業にとってなくてはならないものでした。
そのため、雨女は恵みをもたらす側にも回ります。
旱魃が続いたときに雨を降らせてくれる「雨を呼び人を助ける妖怪」という、神聖な雨の力の一種とされることもあります。
恵みの雨と、災いの雨。 どちらも同じものがもたらします。
俗信としての雨女・雨男
現在、「雨女」という語がもっともよく使われるのは、日常の俗信としてです。
その女性が何か、たとえば外出や重要な行事をしようと予定を立てると、その日は決まって雨天となる人のことを「雨女」と呼びます。
同様の男性は「雨男」と呼ばれます。
そして、この対になる言い方として「晴れ女・晴れ男」があります。
この使い方は、妖怪としての雨女とは性質が違います。
語の作りが似ている雪男、雪女は、別種の民間伝承であり、空想上の存在です。
特定の個人へ向けた言い方
これに対して雨女・雨男、そして晴れ女・晴れ男は、ある実在の特定の個人に対して「あの人は雨女だ」と見なすような俗信です。
つまり、そこにいる誰かを指して言う言葉です。
架空の存在ではなく、身近な人に貼られる札になっています。
なぜこうした言い方が生まれたのか。
人は、偶然の重なりに意味を見つけたがるものです。ある人が出かける日に何度か雨が降れば、その人と雨が結び付けられます。
妖怪の名が、日常の言葉として生き残った珍しい例といえます。
ほかに、出現に際して小雨を降らせるとされる「天降女子」なども伝えられています。
雨女の伝承地域
雨女の伝承地は、はっきりしません。
石燕の絵は中国の故事を引いたもので、土地の記載がありません。
土地の名が確かめられるのは、長野県下伊那郡の「雨おんば」です。 雨の降る夜に現れる怪女で、子供をさらうとも、雨の日に訪れるものが堕落したものともいわれます。
子を失った女が雨女となるという説にも、土地の記載はありません。
これほど手がかりが乏しいため、この図鑑では一つの県に絞らず「全国」として扱います。
雨女を祀る場所は確かめられませんでした。
下伊那郡(しもいなぐん)
雨おんばが伝わる地
下伊那郡の所在地:長野県下伊那郡
雨の降る夜に「雨おんば」という怪女が現れるといわれる土地です。
説は二つに分かれます。
子供をさらう妖怪とする説。
雨の日に訪れるものが堕落して妖怪化したものとする説。
もともとは有り難い訪れであったものが、恐ろしいものに変わったという見方が示されている点が重要です。
具体的な場所を示すものは確かめられませんでした。
雨女の正体と考えられているもの
雨女の正体については、次のように考えられています。
吉原を風刺した創作とする見方があります。石燕の解説文は中国の巫山の女の故事を引いたもので、雨にまつわる妖怪といった記述は見られず、江戸時代の吉原遊廓を風刺した創作画と指摘されています。
子を失った女とする見方もあります。産んだばかりの子供を雨の日に神隠しに遭って失った女性が雨女となり、泣いている子供のもとに大きな袋を担いで現れるという説です。
雨をもたらす力とする見方も伝わります。旱魃が続いたときに雨を降らせてくれる「雨を呼び人を助ける妖怪」という、神聖な雨の力の一種とされることもあります。
堕落した訪れとする見方もあります。長野県下伊那郡の雨おんばについて、雨の日に訪れるものが堕落して妖怪化したものとする説があります。
日常の俗信とする見方が、いまもっとも広く使われているものです。予定を立てると決まって雨天になる人を指す言い方で、実在の個人に対して用いられます。
同じ名が、まったく違うものを指してきました。
雨女をめぐる妖怪のつながり
雨女が登場する作品
雨女は、名だけが日常に残った妖怪です。
石燕の絵の解説文は中国の故事の引用であり、雨を呼ぶ妖怪という説明はありません。
それにもかかわらず、「雨女」という語はいま誰にでも通じます。
ただし、そこでの意味は「雨に当たりやすい人」です。予定を立てると決まって雨になる人、という俗信としての使われ方です。
妖怪の名が、身近な言葉として生き残った珍しい例といえます。
雨女が登場する絵
雨女が登場する書物
高唐賦
楚の文人・宋玉の詩。巫山の女の故事が石燕に引かれています。
雨女が登場する漫画・アニメ
妖怪を扱う各種の作品
雨を呼ぶ女として登場します。石燕の解説文とは異なる理解にもとづきます。
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雨女についてよくある質問
雨女とは何ですか。
雨を呼ぶとされる妖怪です。また、その行動が雨を呼ぶかのように思える女性もこう呼びます。
石燕の絵はどういうものですか。
『今昔百鬼拾遺』に「雨女」と題した画がありますが、解説文は中国の巫山の女の故事を引いたもので、雨にまつわる妖怪といった記述は見られません。江戸時代の吉原遊廓を風刺した創作画と指摘されています。
子どもをさらうのですか。
産んだばかりの子供を雨の日に神隠しに遭って失った女性が雨女となり、泣いている子供のもとに大きな袋を担いで現れるとの説があります。長野県下伊那郡の「雨おんば」も子供をさらうといわれます。
恵みをもたらすこともありますか。
あります。旱魃が続いたときに雨を降らせてくれる「雨を呼び人を助ける妖怪」という、神聖な雨の力の一種とされることもあります。
雪女とは違うのですか。
違います。雪男や雪女は別種の民間伝承であり空想上の存在ですが、日常で言う雨女・雨男は、ある実在の特定の個人に対して「あの人は雨女だ」と見なすような俗信です。
雨女と併せて覚えたい言葉・用語
巫山の女(ふざんのおんな)
中国の故事に出る女。朝には雲となり暮れには雨となると言い残した。
朝雲暮雨(ちょううんぼう)
男女の密やかな交情を示す故事成語。巫山の女の話から出た。
雨おんば(あめおんば)
長野県下伊那郡に伝わる、雨の降る夜に現れる怪女。
晴れ女(はれおんな)
雨女の対になる言い方。予定の日が決まって晴れる人を指す。