泥田から上半身だけを現し「田を返せ」と叫ぶという一つ目の妖怪。

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 泥田坊」 1781年 / パブリックドメイン 出典
泥田坊とはどんな妖怪か
泥田坊はひとことで言えば、田を返せと叫ぶ一つ目の妖怪です。
鳥山石燕による画集『今昔百鬼拾遺』にあります。
顔が片目のみで、手の指が三本しかなく、泥田から上半身のみを現した姿で描かれています。
石燕の解説文には、次のような話が添えられています。
北国に住む翁が、子孫のために田を買って耕作し、その田を遺して亡くなりました。しかしその息子は農業を継ぐどころか酒を飲んでばかりで、果ては田を売り払ってしまいます。
その後、夜な夜な田に一つ目の者が現れ「田を返せ、田を返せ」と罵ったといいます。
ただし、そのような伝承は当時の他の文献や民間伝承では確認されておらず、未詳とされています。
泥田坊の漢字表記と読み方
読みは「どろたぼう」です。
この名の由来については、いくつかの説が考察されています。
諺に由来するとする説 … 何もかも台無しにすること、無茶なことをすることを意味する「泥田を棒で打つ」という諺をもとに、石燕によって名づけられたとするものです。
人名に由来するとする説 … 石燕とも狂歌を通じて交流があったと推測される紀州藩の典医・品川玄湖の、狂歌師としての雅号「泥田坊夢成」に由来しているというものです。
どちらの説も、この名が伝承から来たものではないことを前提にしています。
つまり泥田坊という名は、石燕が付けたものである可能性が高いということになります。
泥田坊(どろたぼう)
石燕による表記。
ドロ田坊(どろたぼう)
山田野理夫の作中での書き方。
泥田を棒で打つ(どろたをぼうでうつ)
名の由来とされる諺。
泥田坊の姿と特徴
泥田坊の姿には、はっきりした特徴が三つあります。
目 … 顔に片目のみ。
手 … 指が三本しかない。
体 … 泥田から上半身のみを現している。
指が三本であることには、意味を読み取ろうとする解釈があります。
国文学者の阿部正路は、人間の手の五本指は二つの美徳と三つの悪徳を示し、瞋恚・貪婪・愚痴という三つの悪徳を、知恵と慈悲の二つの美徳で抑えているとしました。
そこから、三本指の泥田坊は悪徳のみで生きる卑しい存在ではないかとしています。
一つ目については、別の解釈もあります。
妖怪研究家の多田克己は、一つ目は男性器の隠語であるとして、この絵全体を言葉遊びとして読み解いています。
姿の細部が、それぞれ意味を担っているとみられているのが、この妖怪の特徴です。
伝承から来た姿ではなく、描き手が組み立てた姿だからこそ、細部に説明が求められることになります。
泥田坊の伝承物語
田を返せ、田を返せ
石燕の解説文が語る話は、たいへん短いものです。
北国に住む翁がいました。
その翁は、子孫のために田を買って耕作し、その田を遺して亡くなりました。
しかし、その息子は農業を継ぎませんでした。
酒を飲んでばかりで、果ては田を売り払ってしまいます。
その後のことです。
夜な夜な田に一つ目の者が現れ、「田を返せ、田を返せ」と罵ったといいます。
これが石燕の記す話のすべてです。
昭和・平成以後の妖怪に関する文献では、この解説文をもとに、農業を営む老人が田を遺して死んだ末、放蕩息子を怨んで泥田坊という妖怪と化したものとして解説されています。
つまり、泥田坊の正体は死んだ翁である、という読み方です。
しかしこれは、解説文には書かれていません。
石燕は「一つ目の者が現れた」と書いただけで、それが翁だとは述べていません。
後の世の解説が、話に筋を通したことになります。
伝承が確認できないということ
泥田坊について、まず知っておくべきことがあります。
泥田坊は、鳥山石燕の描いた『今昔百鬼拾遺』以外には、近世の古い文献における伝承は確認されていません。
つまり、土地に語り継がれてきた話ではないということです。
このため、いくつかの解釈が存在しています。
もう一つ、注意すべき点があります。
小説家・山田野理夫の著書『東北怪談の旅』には、「ドロ田坊」という題で山形県にあった話として、詳しい物語が述べられています。
蛇の卵を産んだ女の話
庄内に住むアキという女が、田植えもせずにぶらぶらしていたところ、山で若者に会って契り、やがて蛇の卵を産み落としていたのを夫に見られて離縁される。田のあぜ道を歩いていると、田から泥だらけの坊主が現れ「蛇の子を産むより田植えをしろ」と言い放った──という筋です。
しかし、この著者は本来伝承が存在しない石燕の妖怪の伝承を多数創作したことで知られています。
そのため、この話を土地の伝承として扱うことはできません。
伝承が無いことを「無い」と書いておくことが、この妖怪については何より大切です。
吉原を描いたものではないかという説
泥田坊について、たいへん興味深い解釈があります。
妖怪研究家の多田克己は、泥田坊は石燕が言葉遊びから創作したものであり、新吉原を妖怪の姿として描いたものではないかとの説を唱えています。
その根拠として挙げられているのは、次のような点です。
「北国」 … 江戸では「ほっこく」というのは新吉原の異称でした。新吉原は吉原田圃とも呼ばれています。
「田を返せ」 … 田を耕せということですが、これは隠語で性交の意味にあたります。
「泥」 … 放蕩の「蕩」(どろ)に通じます。
翁亡くすが置なくすへ転じる
「翁が死んだ」 … 「翁亡くす」が転じて「置なくす」、すなわち「質草を流す」ということに通じます。
「一つ目」 … 男性器の隠語です。
「田を返せ」 … 新吉原における客引きの言葉とも解釈できます。
さらに、名の由来とされる人物、狂歌師の泥田坊夢成も、吉原の遊郭で身を持ち崩したとされています。
この読み方に立てば、泥田坊の絵は農村の怨みの話ではなく、遊里を描いた洒落ということになります。
石燕の絵には、こうした言葉遊びが仕込まれているとみられるものがいくつかあります。
絵を読み解く楽しみが、この妖怪には残されています。
泥田坊の伝承地域
泥田坊には、特定の伝承地がありません。
石燕の解説文は「北国に住む翁」と述べるのみで、どこの国かは記していません。
しかも「北国」は、江戸では新吉原の異称でもありました。 そのため、この語を土地の名として読んでよいのかどうかも定まっていません。
近世の古い文献に伝承は見つかっていません。出どころは石燕の絵です。
したがって、この図鑑では出現地の欄を空にしています。無いものを有ると書くことはしません。
泥田坊の正体と考えられているもの
泥田坊の正体については、次のように考えられています。
田を奪われた翁の霊とする見方が、もっとも広く行われています。昭和・平成以後の文献では、農業を営む老人が田を遺して死んだ末、放蕩息子を怨んで妖怪と化したものと解説されています。ただし、石燕の解説文にそこまでは書かれていません。
石燕の創作とする見方は、資料の上から確かです。近世の古い文献における伝承は確認されておらず、未詳とされています。
吉原を描いたものとする見方があります。多田克己は「北国」が新吉原の異称であること、「田を返せ」が隠語であることなどを挙げ、遊里を妖怪の姿として描いたものではないかとしています。
諺から作られたとする見方もあります。「泥田を棒で打つ」という諺をもとに名づけられたというものです。
三本指に意味を読む見方もあります。阿部正路は、三本指を悪徳のみで生きる卑しい存在の印としました。
伝承が無いということが、この妖怪についてのいちばん確かな事実です。
泥田坊をめぐる妖怪のつながり
泥田坊が登場する作品
泥田坊は、一枚の絵から生まれた妖怪です。
伝承は確認されておらず、あるのは石燕の絵と、その短い解説文だけです。
それにもかかわらず、泥田から上半身を出して「田を返せ」と叫ぶ姿は、いま広く知られています。
現代の作品では、田を奪われた者の怨みという分かりやすい筋書きとともに描かれることが多くあります。
石燕が仕込んだかもしれない言葉遊びは、そこでは受け継がれていません。
泥田坊が登場する絵
泥田坊が登場する書物
泥田坊が登場するゲーム
日本の妖怪を扱う各種の作品
泥田から上半身を出した一つ目の姿で登場します。
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泥田坊についてよくある質問
泥田坊とは何ですか。
鳥山石燕による画集『今昔百鬼拾遺』にある妖怪です。顔が片目のみで手の指が三本しかなく、泥田から上半身のみを現した姿で描かれています。
どんな話が伝わっていますか。
石燕の解説文には、北国の翁が子孫のために田を遺して亡くなったが、息子が酒を飲んで田を売り払ってしまい、その後夜な夜な田に一つ目の者が現れて「田を返せ、田を返せ」と罵ったとあります。
古い伝承はありますか。
ありません。泥田坊は石燕の『今昔百鬼拾遺』以外には近世の古い文献における伝承が確認されておらず、未詳とされています。
吉原を描いたという説とは何ですか。
妖怪研究家の多田克己による説です。江戸で「北国」は新吉原の異称であること、「田を返せ」が隠語であること、「泥」が放蕩の「蕩」に通じることなどを挙げ、石燕が言葉遊びから遊里を妖怪の姿として描いたのではないかとしています。
なぜ指が三本なのですか。
国文学者の阿部正路は、五本指のうち三つが悪徳、二つが美徳を示すとして、三本指の泥田坊は悪徳のみで生きる卑しい存在ではないかとしています。ただしこれは後の世の解釈です。
泥田坊と併せて覚えたい言葉・用語
今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)
鳥山石燕の画集。泥田坊の唯一の古い出典。
北国(ほっこく)
江戸では新吉原の異称でもあった語。石燕の解説文に見える。
泥田を棒で打つ(どろたをぼうでうつ)
何もかも台無しにすることを意味する諺。名の由来とする説がある。
吉原田圃(よしわらたんぼ)
新吉原の周囲の田。この語との結び付きが指摘されている。