鈴鹿山に住んだ鬼神。山を黒雲で覆い、暴風雨と火の雨を降らせたとされる。

歌川国芳 「東海道五十三対 土山」 1845年ごろ / パブリックドメイン 出典
大嶽丸とはどんな妖怪か
大嶽丸は、天候を操る鬼です。
伊勢と近江の境、鈴鹿山に住んでいたと伝わります。鬼神魔王とも書き、大だけ丸・大竹丸の表記もあります。
この鬼の恐ろしさは、力ではなく神通力にありました。山を黒雲で覆い、暴風雨を起こし、雷を鳴らし、火の雨を降らせる。金棒を振り回す鬼ではなく、天候そのものを敵に回すような相手 として描かれます。
討ったのは坂上田村麻呂、あるいは物語上の坂上田村丸です。ただし一人では歯が立ちません。鈴鹿山の天女鈴鹿御前と夫婦の契りを結び、その助けを得てようやく討ち取ります。
柳田国男は、東北に赤い大男の話が多いことを書きとめました。大嶽丸もその系譜に置かれます。
古来の悪路王や大竹丸の同類に、赤頭太郎などと称して赤い大人が、たくさんにきたという話を信じていた
(大人=おおひと。並外れて大きな人)
大嶽丸の漢字表記と読み方
読みは「おおたけまる」です。
丸は、酒呑童子の「童子」と同じく、幼名や、世の外にある者に付けられる呼び方です。鬼童丸、悪路王の別名とされる高丸など、鬼の名に「丸」が付く例は少なくありません。
嶽は高い山を意味する字です。鈴鹿山に住む鬼という性格が、そのまま名に出ています。
伊勢の大嶽丸、丹波の酒呑童子、吉備の温羅を並べて日本三大悪鬼と呼ぶ言い方がありますが、これは後世の整理であって、古い文献にこの三つを並べた記述はありません。
大嶽丸(おおたけまる)
もっとも一般的な表記。
大だけ丸(おおたけまる)
『田村の草子』での表記。
大竹丸(おおたけまる)
古浄瑠璃『田村』での表記。
鬼神魔王(きじんまおう)
文献による異称。
大嶽丸の姿と特徴
大嶽丸の姿は、文献によって振れ幅があります。
共通する点 … 巨体。神通力を使う。鎧兜を身につけた武将の姿で描かれることが多い。
神通力の描写 … 山を黒雲で覆う。暴風雨と雷鳴。火の雨。数千騎に身を変じたともいいます。
眷属 … 古浄瑠璃『田村』の和泉太夫正本では、「日本を覆さんが為 数千の眷属、引き具し」て鈴鹿山に天下ったとされます。単独の鬼ではなく、軍勢を率いる存在です。
絵巻や芝居では、角のある巨大な武者として描かれるのが一般的です。酒呑童子のように人に化ける場面はあまり語られません。
姿より、天候を操る力のほうが先に語られる鬼という点が、大嶽丸のいちばんの特徴です。
大嶽丸の伝承物語
薬子の変 ─ 伝説のもとになった政変
大嶽丸の伝説は、平安時代初めの政変から生まれたと考えられています。
大同五年(810年)、平城上皇が平安京を廃して平城京へ遷都する詔を発し、薬子の変が起こります。嵯峨天皇は坂上田村麻呂らを動かし、三関に固関使を送りました。藤原仲成は捕らえられて射殺され、平城上皇は剃髪、藤原薬子は毒を仰いで自害します。
鎌倉時代初めの『水鏡』や『賀茂皇太神宮記』などには、田村麻呂が鈴鹿山で上皇側の藤原仲成の軍を討ったという記事が見えます。
滋賀県甲賀市の田村神社に伝わる縁起はこう記します。田村麻呂が亡くなった弘仁二年の秋から疫病が流行り、占ったところ、鈴鹿山で退治した賊徒の執心が祟っているとわかった。そこで田村麻呂を祀る社を建てて風を防いだところ、疫病は治まった、と。
討たれた者の怨みが山にとどまる。 これが大嶽丸の出発点です。
能『田村』から御伽草子へ ─ 名前が付くまで
鬼神が大嶽丸という名を得るまでには、段階があります。
室町時代初め、世阿弥作とも伝えられる能『田村』が作られます。ここでは東国の僧に清水寺の縁起が語られ、田村麻呂が黒雲と鉄火を降らせる鈴鹿の悪魔(鬼神)を、千手観音の加護によって鎮めたとされます。
この段階では、まだ名前がありません。 「鈴鹿山の悪魔」「鬼神」と呼ばれるだけです。
室町時代の中期から後期にかけて、『田村』をもとにした御伽草子『鈴鹿の草子』『田村の草子』が成立します。ここで初めて「大だけ丸」の名が現れました。
『田村の草子』では、討ったのは藤原俊仁の子「稲瀬五郎坂上俊宗」とされ、三代目の田村丸将軍が鈴鹿御前と契りを結んで鬼神を討つ、という筋になっています。
歴史上の政変が、能を経て、御伽草子で名前を持つ鬼になった。 この道筋は、はっきりたどることができます。
鈴鹿御前の助け ─ 夫婦で討つ鬼
大嶽丸の物語で欠かせないのが、鈴鹿御前の存在です。
鈴鹿山の天女、あるいは第六天魔王の娘とされる女性で、田村丸と夫婦の契りを結びます。そして、その助けによって大嶽丸は討たれます。
物語のなかで、大嶽丸は鈴鹿御前に心を寄せています。その心を利用して近づき、隙を作る──という筋立てが語られます。力でも術でも勝てない相手を、情によって崩すという構図です。
酒呑童子が酒でだまされたように、大嶽丸は恋でだまされます。日本の鬼退治は、正面からの力比べで決着しないものが多いという点で、この二つはよく似ています。
討たれたあと、大嶽丸の首は蘇って再び暴れたとする伝えもあり、最終的に鈴鹿御前と田村丸によって鎮められます。
面赤くして長八尺 ─ 赤い異人の系譜
大嶽丸は、東北から東国に広がる赤い大男の話につながっています。
柳田国男は、その話が古くから信じられていた証拠として、弘法大師の逸話を引きました。
弘仁七年の六月に弘法大師が、始めて高野の霊地を発見した時にも、嚮導をしたという山中の異人は、面赤くして長八尺ばかり、青き色の小袖を着たりと、『今昔物語』には記している
(嚮導=道案内。八尺はおよそ2メートル40センチ)
顔が赤く、背が並外れて高い山の異人。 高野山では道案内、鈴鹿では討たれる鬼。同じ姿の者が、土地によって味方にも敵にもなります。
悪路王、大竹丸、赤頭太郎。大嶽丸の名は、この一群のなかに置いて読むと輪郭がはっきりします。
大嶽丸の伝承地域
大嶽丸の伝承地は、住処とされる鈴鹿峠と、鎮めるために建てられた田村神社の二か所です。どちらも旧東海道沿いにあり、峠を挟んで両側に位置します。
峠の三重県側には片山神社があり、鈴鹿権現と呼ばれてきました。鈴鹿御前と結びつけて語られる社ですが、大嶽丸そのものを祀るものではないため、鈴鹿御前の項に挙げています。
鬼を祀る社は確かめられませんでした。大嶽丸を祀る社はありません。 鎮めるために建てられた社があるだけです。
鈴鹿峠(すずかとうげ)
大嶽丸が住んだとされる山
鈴鹿峠の所在地:三重県亀山市関町坂下・滋賀県甲賀市土山町山中
伊勢と近江を分ける峠で、古代には鈴鹿関が置かれました。不破関・愛発関と並ぶ三関のひとつです。
畿内と東国を結ぶ要路であったため、往来する旅人や物資を狙う盗賊が多かったことが記録に残ります。鬼の棲家として知られ、大嶽丸のほか藤原千方の四鬼の伝説もこの山に伝わります。
峠は現在も東海道の道筋にあたり、旧道を歩くことができます。
国道1号が峠を越える。旧東海道の坂下宿・土山宿が両側にある。
田村神社(たむらじんじゃ)
鈴鹿の鬼を鎮めるために建てられた社
田村神社の所在地:滋賀県甲賀市土山町北土山
坂上田村麻呂を祀る社です。社に伝わる縁起には、大嶽丸伝説のもとになった話がはっきり記されています。
田村麻呂の没後に疫病が流行り、占いによって鈴鹿山で退治した賊徒の執心が祟っているとわかったため、田村麻呂を祀る社を建てて風を防いだ、というものです。弘仁三年(812年)に遷宮し、厄除の神事を行うと疫病は治まったと伝えます。
厄除の社として今も広く知られています。
旧東海道の土山宿の近く。鈴鹿峠の西側にあたる。
大嶽丸の正体と考えられているもの
大嶽丸の正体については、歴史上の出来事に対応するとする見方が有力です。
もっとも支持されているのが、薬子の変で討たれた藤原仲成の怨霊とする見方です。田村麻呂が鈴鹿山で上皇側の軍を討ったという記事が『水鏡』や『賀茂皇太神宮記』に見え、田村神社の縁起も「鈴鹿山で退治した賊徒の執心」が祟ったと記します。討たれた側の怨みが山にとどまり、鬼神として語り直されたという筋道です。
次に、鈴鹿峠の盗賊とする見方です。鈴鹿関は畿内と東国を結ぶ要路で、旅人や物資を狙う盗賊が多かったことが記録に残ります。『今昔物語集』には水銀商人八十余人が襲われた話があり、藤原千方の四鬼の伝説も同じ山に伝わります。山賊の集団が鬼として語られたという説明です。
三つめに、峠そのものの恐ろしさを挙げる見方があります。黒雲、暴風雨、雷。鈴鹿峠は天候の急変で知られる難所でした。神通力の内容が、そのまま峠で実際に起きることと重なります。
大嶽丸が実在の誰かを指すのかは、決められていません。 確かなのは、名前が付いたのが室町時代であり、それより古い記録にこの名がないということです。
大嶽丸をめぐる妖怪のつながり
大嶽丸が登場する作品
大嶽丸は、酒呑童子や温羅に比べると作品での扱いが少ない鬼です。理由のひとつは、物語のなかで鈴鹿御前の存在感が大きく、鬼が引き立て役に回りがちなことでしょう。
近年はゲーム作品を通じて名が知られるようになりました。神通力で天候を操るという設定が、そのまま能力として使いやすいためです。
大嶽丸が登場する古典芸能
田村の草子・鈴鹿の草子
室町時代の御伽草子です。大嶽丸の名はここで初めて現れます。
田村(古浄瑠璃)
和泉太夫正本では、大竹丸が数千の眷属を率いて鈴鹿山に天下ったとされます。
大嶽丸が登場するゲーム
大嶽丸が登場する漫画・アニメ
坂上田村麻呂を扱う歴史もの
蝦夷征討を描く作品では、鈴鹿の鬼退治が併せて語られることがあります。
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大嶽丸についてよくある質問
大嶽丸とは何ですか。
伊勢と近江の境にある鈴鹿山に住んだとされる鬼神です。山を黒雲で覆い、暴風雨や火の雨を操ったと語られます。
誰が討ったのですか。
坂上田村麻呂、または物語上の坂上田村丸です。鈴鹿山の天女・鈴鹿御前と夫婦になり、その助けを得て討ったとされます。
大嶽丸は実在しましたか。
わかっていません。薬子の変で鈴鹿山において討たれた藤原仲成の怨霊が伝説のもとになったと考えられています。
日本三大悪鬼とは何ですか。
大嶽丸・酒呑童子・温羅を並べた言い方です。ただしこれは後世の整理で、古い文献にこの三つを並べた記述はありません。
大嶽丸に会える場所はありますか。
三重県と滋賀県の境にある鈴鹿峠が住処とされます。滋賀県甲賀市の田村神社には、鈴鹿山の賊徒の執心を鎮めたという縁起が伝わります。
大嶽丸と併せて覚えたい言葉・用語
鈴鹿関(すずかのせき)
鈴鹿峠に置かれた関。不破関・愛発関と並ぶ三関のひとつ。
薬子の変(くすこのへん)
810年の政変。大嶽丸伝説のもとになったと考えられている。
田村の草子(たむらのそうし)
室町時代の御伽草子。大嶽丸の名が初めて現れる。
藤原千方の四鬼(ふじわらのちかたのしき)
鈴鹿山に伝わるもうひとつの鬼の伝説。金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼を従えたとされる。
大嶽丸の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。