奈良坂で金の礫を投げて略奪したという化生の者。背丈二丈の法師姿で現れる。
かなつぶてとはどんな妖怪か
かなつぶては、大和国奈良坂の化生の者です。
金礫という武器を使って人々から略奪を働いたとされます。
古い記録があります。
平安時代末期の治承3年(1179年)頃に平康頼が記した仏教説話集『宝物集』の中で、鈴鹿山の立烏帽子と並んで奈良坂のかなつぶてという盗賊が処刑されたことが記されています。
盗賊として書かれています。
その後、物語に取り込まれました。
『宝物集』の説話が御伽草子『鈴鹿の草子』『田村の草子』などの田村語りに採り入れられると、金礫を打つこの化生の名前として、こんざう、りゃうせん(りょうせん)などがみえます。
かなつぶての漢字表記と読み方
読みは「かなつぶて」です。
礫(つぶて)は、投げる小石のことです。 それが金でできています。
武器の名が、そのまま化生の名になりました。
御伽草子では、別の名がつきます。
こんざう、りゃうせん(りょうせん)。
そして、対になる名があります。
『宝物集』では、鈴鹿山の立烏帽子と並べて記されました。 立烏帽子は、のちに鈴鹿御前と同じものとされていく盗賊です。
奈良坂と鈴鹿山。
どちらも、都へ入る道の関所にあたる場所です。
かなつぶて(かなつぶて)
もっとも一般的な表記。
金礫(かなつぶて)
武器の名でもあり、化生の名でもある。
金飛礫(かなつぶて)
飛ぶことを字に表した形。
りょうせん(りょうせん)
『田村の草子』での名。りゃうせんとも。
かなつぶての姿と特徴
かなつぶての姿は、『田村の草子』に描かれます。
背丈が2丈(約6メートル)もある異様な風体の法師です。
六メートルの法師です。
そして、笑います。
俊宗が良い小袖を木々の枝に掛け並べて待っていると、この法師が現れ、並び立てた着物を置いていけと大笑いする声が聞こえました。
武器は三つあります。
太郎礫、次郎礫、三郎礫。
太郎礫は600両の金を使い、山を盾にしようとも微塵に打ち崩してしまうほどの金の礫です。三郎礫は300両の金の礫です。
かなつぶての伝承物語
小袖を並べて待つ
『田村の草子』のあらすじは、こうです。
大和国奈良坂に金礫を打つりょうせんという化生の者が現れて、都への貢ぎ物や多くの人の命を奪ったので、帝は稲瀬五郎坂上俊宗に鬼退治の宣旨を下しました。
俊宗は500騎の兵を連れて奈良坂へ向かいます。
そして、良い小袖を木々の枝に掛け並べてりょうせんを待ちました。
餌です。
すると背丈が2丈もある異様な風体の法師が現れ、並び立てた着物を置いていけと大笑いする声が聞こえました。
俊宗が断ります。
すると、礫が飛びます。
法師は三郎礫を打ち、俊宗は扇で落としました。続けて次郎礫が打たれますが、これも打ち落とされ、最後に太郎礫を打つも鐙の端で蹴落とされます。
七日七夜追う矢
礫を防がれたりょうせんは、逃げ出します。
山へと逃げはじめますが、俊宗が三代に渡って受け継いできた神通の鏑矢を射放ちました。
矢が追いかけます。
7日7夜に渡ってりょうせんを追い続け、りょうせんはついに降伏します。
七日七夜です。
捕らえられた後は、都へ送られました。
りょうせんを捕縛した俊宗は都へと凱旋して御門に閲覧し、りょうせんは船岡山で処刑されることとなりました。
首の落とし方も語られます。
その首は8人ががりで切り落とされて獄門にかけられ、行き交う者たちにさらされたといいます。
八人がかりです。
硬さが、そのまま怪物であることの証しになっています。
千八十三年の修行
りょうせんの腕前には、来歴があります。
『田村の草子』によれば、金礫を打つ腕前は次のように磨かれました。
唐土にて500年。
高麗国にて500年。
日本で80年。
奈良坂で3年。
合わせて千八十三年です。
人ではありません。
そして、三つの礫があります。
太郎礫は600両の金を使い、山を盾にしようとも微塵に打ち崩してしまうほどの金の礫。
三郎礫は300両の金の礫。
太郎が最強で、最後に打たれます。
それを鐙の端で蹴落としたのですから、俊宗の側も並ではありません。
『宝物集』では、ただ処刑された盗賊でした。 物語に入って、怪物になっています。
かなつぶての伝承地域
かなつぶては、大和国奈良坂に現れたとされます。
奈良坂は、奈良から京へ向かう道が越える坂で、現在の奈良県奈良市にあたります。
『宝物集』では、鈴鹿山の立烏帽子と並べて記されました。 鈴鹿山は伊勢と近江の境にあります。
処刑の場は船岡山とされます。現在の京都市北区にある丘です。
物語の中の場所であり、この名で祀られた社や碑は確かめられていません。この欄は空のままにしてあります。
かなつぶての正体と考えられているもの
かなつぶてについては、次のように整理できます。
一つめは、処刑された盗賊です。『宝物集』(治承3年ごろ)に、鈴鹿山の立烏帽子と並んで奈良坂のかなつぶてという盗賊が処刑されたことが記されています。
二つめは、武器の名です。礫(つぶて)は投げる小石で、それが金でできています。 武器の名が、そのまま化生の名になりました。
三つめは、物語の化生です。御伽草子『田村の草子』ではこんざう、りょうせんと呼ばれ、背丈が2丈(約6メートル)もある異様な風体の法師として現れます。
四つめは、境の怪異です。奈良坂も鈴鹿山も、都へ入る道の関にあたる場所です。 そこに盗賊が出るという形が、二つ並べて記されました。
かなつぶてが何であったかは、わかっていません。 ただ、記録では盗賊、物語では六メートルの法師という差そのものが、この題材の変わり方を示しています。
かなつぶてをめぐる妖怪のつながり
かなつぶてが登場する作品
かなつぶては、記録から物語へ移った例です。
『宝物集』では処刑された盗賊、『田村の草子』では六メートルの法師。 同じ名が、二百年ほどのあいだに姿を変えました。
資料は仏教説話集と御伽草子に分かれます。
かなつぶてが登場する古典
宝物集
平康頼、治承3年ごろ。奈良坂のかなつぶてが処刑されたことを記します。
御伽草子
『鈴鹿の草子』『田村の草子』などの田村語りに、金礫を打つ化生として取り込まれました。
かなつぶてが登場する研究
かなつぶてが登場する漫画・アニメ
妖怪をまとめて扱う作品
金の礫を投げる化生として、鬼や大入道と並べて取り上げられます。
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かなつぶてについてよくある質問
かなつぶてとは何ですか。
大和国奈良坂で金礫という武器を使って人々から略奪を働いたという化生の者です。金礫、金飛礫とも書きます。
いちばん古い記録は何ですか。
治承3年(1179年)頃に平康頼が記した仏教説話集『宝物集』です。鈴鹿山の立烏帽子と並んで、奈良坂のかなつぶてという盗賊が処刑されたことが記されています。
どんな姿ですか。
『田村の草子』では背丈が2丈(約6メートル)もある異様な風体の法師です。太郎礫・次郎礫・三郎礫の三つの金の礫を使います。
どうやって退治されたのですか。
稲瀬五郎坂上俊宗が三つの礫をすべて防ぎ、三代に渡って受け継いできた神通の鏑矢を射放つと、7日7夜に渡って追い続けて降伏させました。 首は8人ががりで切り落とされたといいます。
かなつぶてと併せて覚えたい言葉・用語
礫(つぶて)
投げる小石。金でできたものが金礫。
田村語り(たむらがたり)
坂上田村麻呂をめぐる一連の物語。御伽草子に多い。
奈良坂(ならざか)
奈良から京へ越える坂。現在の奈良市。