酒を好み、人語を解する赤い獣。能では海に住む精霊として舞う。

寺島良安 「和漢三才図会 猩猩」 1712年 / パブリックドメイン 出典
猩猩とはどんな妖怪か
猩猩は、酒を好む獣です。「猩々」とも書きます。
本来は中国の古典書物にある動物で、人語をあやつる、または解するとされ、酒を好むという記述も古いものです。
『本草綱目』(1596年)によれば、交趾(ベトナム)産の野獣で、人面獣身、地毛は黄色です。
そして、日本では別のものになりました。
能の演目『猩猩』では、中国の海棲の精霊という設定で、真っ赤な能装束を着て、酒に浮かれながら舞い謡います。
海に棲むというのは、日本独自の設定です。
赤いのも、日本での姿です。
猩猩の漢字表記と読み方
読みは「しょうじょう」です。
『本草綱目』では、正しくは「狌狌」とつくるとされます。
棲む場所も書かれています。
哀牢(現在の雲南省の民族名)の地や交趾(ベトナム)に棲み、毛色は黄色で声は子供のようだが、時に犬が吼えるように振る舞い、人の言葉を理解し、人の顔や足を持ち、酒を好む。
中国の書物には、姿に幅があります。
豚に似ている、あるいは犬に似ているなど、多様な生き物となっていますが、どちらもオランウータンがルーツになっています。
「猩猩緋」という色の名も、この獣から来ています。
猩猩(しょうじょう)
もっとも一般的な表記。
猩々(しょうじょう)
踊り字を用いる表記。
狌狌(しょうじょう)
『本草綱目』が正しいとする表記。
猩猩の姿と特徴
猩猩の姿は、資料によって大きく違います。
『本草綱目』 … 人面獣身。地毛は黄色。声は子供のよう。
能『猩猩』 … 赤頭(赤髪)、赤地の唐織、緋色の大口。足袋以外はことごとく赤。
『和漢三才図会』 … 漢籍の黄毛が正しく、日本の紅髪は間違いとする。
赤か、黄か。
寺島良安は、当時の日本で猩猩は紅髪と思われているが間違いだと序文で述べています。
それでも、日本では赤が定着しました。
能の出立では、足袋以外はことごとく赤色です。
頭についても、決まりがあります。
通常の赤頭は白毛を一筋加えたものを用いますが、「猩猩」ではそれを用いないという定めがあります。
猩猩の伝承物語
物を言うが、獣である
中国では、猩猩をめぐって議論がありました。
物を言えるのか。
中国の儒学において、猩猩は物を言えるが、禽獣の類の域を出ないとされます(『礼記』、前1世紀)。
鸚鵡(オウム)もまた物を言えることが引き合いに出されます。
仏教でもまた、猩猩や猿を孔雀・鸚鵡などの鳥と同じ「二足歩行」の分類に属すとしています(『十誦律』、5世紀訳出)。
反対意見もあります。
物は言えない(郭義恭『廣志』、3世紀)という説もありますが、言えるという伝承の方が根強く、日本でもそう伝わります(『和名抄』)。
そして、知能について。
過去を知るが、未来を知らずともされています(『淮南子』、前2世紀)。
酒と履物で捕らえる
猩猩を捕らえる方法が、漢籍にいくつも記されています。
猩猩は、酒と履物を好みます。
唐代の著述家らが、猩猩は酒と屐/草屐(ぞうり)を好み、それを使って誘い捕らえることに成功したとしています(李肇『唐国史補』)。
酒と草履を置いておく。
『本草綱目』が引く阮汧は、交趾(北ベトナム)の封溪県に派遣された唐代の使節で、現地の里人がこの捕獲法を実践していたと報告しました。
そして、日本にも実例があります。
松浦静山『甲子夜話』続編は、寛政4年(1792年)に献上されたオランウータンの素描画を掲載し、この生物は「酒ならびに湯を好む」(飲酒と入浴)としており、猩猩と共通することを示しています。
実物が来ても、話は変わりませんでした。
血で毛皮を染める
猩猩には、もう一つの用途がありました。
血です。
『本草綱目』には、西胡地域で罽毛(毛氈)を猩猩の血で染める技法があり、それは黒ずまないと記されています。
染料として使われました。
そして、採り方が具体的です。
染料の血は猩猩を殺さずに採取するようで、刺し抜く際には箠つ(むちうつ)が、その回数を相手に問い、一斗取れたら限度とする。
回数を、本人に聞きます。
言葉が通じるからです。
ギヨーム・ド・リュブルック『東遊記』にも記録があります。元帝国モンゴルで会った僧侶が、「シンシン」という腕尺ほどの獣を酒で酔わせ、頸の静脈から三、四滴ほど血を採取して染色に使うと説明した(1254年)といいます。
尽きない酒壷
能『猩猩』は、日本の猩猩を決定づけました。
あらすじは、こうです。
むかし、潯陽江(揚子江)の傍らにある金山に、高風という親孝行者が住んでいました。
市場で酒を売れば富を得るという夢のお告げに従い、酒を売り始めます。
そして、客のなかにいくら飲んでも顔色が変わらず、酒に酔う様子がない者がいました。
名を尋ねると、「自分は猩猩という海中に住む者だ」と答えて立ち去ります。
美しい月夜の晩。高風が川辺で酒を用意して待っていると、水中の波間より猩猩が現れます。
共に酒を酌み交わし、舞を舞い踊り、やがて猩猩は高風の徳を褒め、泉のように尽きることのない酒壷を与えて帰ってゆきます。
めでたい能として、一日の最後に演じられます。
猩猩の伝承地域
猩猩には、訪ねられる伝承地がありません。
中国の古典書物にある動物であり、日本では能の演目として広まったものだからです。
『本草綱目』が記す棲息地は、哀牢(現在の雲南省)や交趾(ベトナム)です。
能『猩猩』の舞台は、古代中国の潯陽江(揚子江)の傍らにある金山です。
いずれも日本の土地ではありません。
碑も祠も、この名では見つかっていません。
無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。
猩猩の正体と考えられているもの
猩猩の正体については、次のように整理できます。
一つめは、オランウータンです。中国の書物には姿に幅がありますが、どちらもオランウータンがルーツになっています。 『本草綱目』「猩々」の項の現代訳では、オランウータン種に同定されています。
二つめは、酒を好む獣です。酒と屐(ぞうり)を好み、それを使って誘い捕らえたと漢籍にあります。松浦静山は、献上されたオランウータンが「酒ならびに湯を好む」と記しました。
三つめは、能の精霊です。中国の海棲の精霊という設定で、真っ赤な装束で舞います。海に棲むというのは日本独自の設定です。
四つめは、染料です。西胡地域では猩猩の血で毛氈を染める技法があり、それは黒ずまないとされました。
猩猩は、書物のなかで姿を変え続けました。 ただ、酒を好むという一点だけは、どの資料にも変わらずあります。
猩猩をめぐる妖怪のつながり
猩猩が登場する作品
猩猩は、書物と舞台で伝わった獣です。
漢籍で人語を解する獣とされ、能で海の精霊になり、赤い装束が定着しました。 実物のオランウータンが江戸に来ても、話は変わりませんでした。
資料は漢籍と、能の伝書に分かれます。
猩猩が登場する古典
本草綱目
1596年。猩猩を交趾産の野獣とし、血で毛氈を染める技法を記します。
猩猩
能の演目。海に住む精霊が酒に浮かれて舞い、尽きない酒壷を与えます。
猩猩が登場する研究
猩猩が登場する漫画・アニメ
妖怪をまとめて扱う作品
赤い獣の妖怪として、繰り返し取り上げられます。
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猩猩についてよくある質問
猩猩は何色ですか。
資料によって違います。 『本草綱目』では黄色、能の装束では赤です。 寺島良安は『和漢三才図会』で、日本で紅髪と思われているのは間違いだとしています。
なぜ海に棲むのですか。
海棲というのは、能楽などでの日本特有の設定です。 本来、中国の書物では交趾(ベトナム)や哀牢(雲南省)の陸に棲む獣とされます。
どうやって捕らえるのですか。
酒と屐(ぞうり)を好むことを利用します。 唐代の記録では、それらを置いて誘い捕らえたとされ、交趾の里人が実際にこの方法を実践していたと報告されています。
能『猩猩』はどんな話ですか。
酒売りの高風のもとに、いくら飲んでも酔わない客が現れます。 正体は海に住む猩猩で、月夜に川辺で酒を酌み交わし、舞を舞い、泉のように尽きることのない酒壷を与えて帰ります。
猩猩と併せて覚えたい言葉・用語
本草綱目(ほんぞうこうもく)
1596年の中国の本草書。猩猩の項がある。
猩猩乱(しょうじょうみだれ)
能『猩猩』の特殊な舞。水上をすべるような足使いをする。
交趾(こうち)
現在のベトナム北部。猩猩の産地とされた。