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新潟県

一目入道(ひとつめにゅうどう)とはどんな妖怪か|姿と伝承

一目入道  / ヒトツメニュウドウ

水の妖怪 各地の伝説

佐渡・加茂湖の主。魚を献上する約束を破られて祟った。

一目入道の姿を描いた図

柏正甫 「一目入道」 1783年ごろ / パブリックドメイン 出典

一目入道とはどんな妖怪か

一目入道は、佐渡島の加茂湖の主です。

頭上に一つ目を持ちます。

話は、馬から始まります。

ある日、一目入道が湖から上がってみると、一頭の馬が繋がれていました。

入道は好奇心から馬に跨り、遊び始めます。

そこへ馬主がやって来ました。

陸上では入道も手も足も出ず、捕らわれてしまいます。

そして、こう言いました。

「ご勘弁下さい。その代わりにこれから毎晩、瑠璃の鉤で一貫の鮮魚を捕らえて献上します。但し魚を採るのに必要なので、鉤だけはお返し下さい」

一目入道の漢字表記と読み方

読みは「ひとつめにゅうどう」です。「いちもくにゅうどう」とも読まれます。

読みには、来歴があります。

もっとも古い文献である『伝説の越後と佐渡』(初版・1923年)では「一つ目入道」と表記されています。

新潟県出身の郷土史家・小山直嗣も、著書で「一つ目入道」としています。

つまり、「ひとつめにゅうどう」が初期から一貫した名です。

一方、『大語園』では「一目入道」とのみ表記され、読みを「いちもくにゅうどう」として、50音配列の「い」の部に組み込んでしまいました。

後者のみを参考にした文献も多く、錯誤が広がっています。

一目入道(いちもくにゅうどう)

『大語園』での表記と読み。

一つ目入道(ひとつめにゅうどう)

『伝説の越後と佐渡』での表記。文献上は初期から一貫する。

目一つ(めひとつ)

『両津市誌』などでの呼び名。正月行事の名にもなっている。

一目入道の姿と特徴

一目入道の姿は、次のように伝えられます。

… 頭上に一つ。
棲む場所 … 佐渡島の加茂湖。
持ち物 … 瑠璃の鉤。
陸上では … 手も足も出ない。

頭の上に、目が一つあります。

顔ではなく、頭上です。

そして、水を離れると力を失います。

陸上では、馬主一人に捕らえられてしまいます。

瑠璃の鉤は、魚を捕らえるための道具です。

瑠璃は青い宝石を指します。入道にとって、なくてはならないものでした。

だから、鉤だけは返してほしいと頼みました。

一目入道の伝承物語

  1. 鉤を返す約束
  2. 約束を破る
  3. 別の結末
  4. 目一つ行事

鉤を返す約束

捕らえられた一目入道は、取引を持ちかけました。

毎晩、瑠璃の鉤で一貫の鮮魚を捕らえて献上します。

ただし条件があります。

魚を採るのに必要なので、鉤だけはお返し下さい。

馬主は面白がって、約束を受け入れました。

そして、入道を放します。

翌朝、馬主が湖へ行ってみると。

約束通り、取れたての魚が鉤に掛けられていました。

馬主は喜び、入道が言った通り鉤を湖へ返し、魚を持ち帰りました。

こうしたことが、何年も続きました。

毎晩、魚が届きます。

約束を破る

ある日、馬主は悪い考えを起こしました。

約束を破って、鉤を返さずに持ち帰ったのです。

すると、入道は魚を貢ぎませんでした。

それどころか、毎年正月15日に馬主の家を襲うようになりました。

馬主は一晩中念仏を唱え、危機を免れようとします。

そして、入道の祟りが無くなった頃。

馬主は観音堂を建て、本尊の白毫(びゃくごう。仏の眉間にあって光を放つという白い毛)に入道の鉤をはめました

鉤は、仏の額に納まりました。

返さなかった道具が、仏具になっています。

別の結末

この話には、別の結末も伝わります。

一つめ。

馬主は鉤を返さず、商人に大金で売り払いました

すると入道は毎年正月に家を襲うようになり、馬主は一晩中念仏を唱えて危機を免れようとしたが、そのために狂死して一家は絶えてしまったといいます。

入道の祟りを恐れた村人たちが観音堂を建てて馬主の霊を供養し、ようやく入道は現れなくなりました。

二つめ。

馬主は鉤を観音堂の本尊の白毫にはめました。すると入道は毎年正月に襲うようになり、観音堂を守る家では、その日の夜は仏前で一晩中祈祷を行い、境内では村の青年たちが護衛を務めることになりました。

16日朝になると、一目入道たちは彼らを前にして退散して行くのだといいます。

目一つ行事

この話は、実際の行事になっていました。

新潟県潟端村(後の両津市潟端地区)です。

中浦台地上の観音堂で、毎年1月16日に「目一つ行事」という正月行事が行われていました。

この観音堂には、病気などの災厄から身を守る観音が祀られています。

そして、湖底から襲ってくる妖怪「目一つ」から観音を守ると伝えられていました。

両津市誌』などによれば、村人たちに捕えられた「目一つ入道」(または河童)が、逃がしてもらう代わりに木の下に魚を鉤に吊るすようになったとの伝承に基づくとされます。

ところが、昭和初期にこの行事を司る地区の家系が途絶え、口伝による伝承が失われました。

2016年の「さどの島銀河芸術祭」で「目一つ」をモチーフとした造形が湖畔に展示されて話題となり、多摩美術大学の芸術人類学研究所で調査が行われています。

一目入道の伝承地域

一目入道が棲むとされるのは、佐渡島(新潟県佐渡市)の加茂湖です。

加茂湖は、佐渡最大の湖であり、日本海側最大の汽水湖です。 牡蠣の養殖で知られます。

新潟県潟端村(後の両津市潟端地区、現・佐渡市)の中浦台地上の観音堂では、毎年1月16日に「目一つ行事」という正月行事が行われていました。

この観音堂には、病気などの災厄から身を守る観音が祀られています。

ただし、昭和初期に行事を司る地区の家系が途絶え、口伝による伝承は失われています。

2016年以降、多摩美術大学の芸術人類学研究所で調査が行われています。

加茂湖(かもこ)

一目入道が棲むとされた湖

地図で開く

加茂湖の所在地:新潟県佐渡市両津〜新穂

佐渡で最大の湖で、日本海側で最大の汽水湖です。

もとは淡水でしたが、明治期に湖水の氾濫を防ぐため開削し、海とつながって汽水湖になりました。

昭和7年から始まったカキの養殖がさかんです。

一目入道の正体と考えられているもの

一目入道については、次のように整理できます。

一つめは、加茂湖の主です。頭上に一つ目を持ち、湖に棲むとされます。 陸上では手も足も出ません。

二つめは、河童です。『両津市誌』などでは、「目一つ入道」(または河童)が捕えられ、逃がしてもらう代わりに魚を吊るすようになったとされます。魚を献上するという筋は、河童の話に共通します。

三つめは、約束の話です。鉤を返す限り魚が届き、返さなくなれば祟る。 怪異との取引が、そのまま守られ、そのまま破られます。

四つめは、正月行事です。新潟県潟端村では、毎年1月16日に「目一つ行事」が行われ、湖底から襲ってくる妖怪から観音を守るとされました。

一目入道の話は、行事として実際に続いていました。 そして、昭和初期にその口伝は失われました。

一目入道をめぐる妖怪のつながり

一目入道が登場する作品

一目入道は、行事として残っていた話です。

新潟県潟端村では、毎年1月16日に「目一つ行事」が行われていました。 ただし昭和初期に口伝が失われ、近年になって調査が始まっています。

資料は郷土史の文献と、市誌に分かれます。

一目入道が登場する古典

伝説の越後と佐渡

中野城水、初版1923年。もっとも古い文献で「一つ目入道」と表記します。

大語園

巖谷小波の説話大百科事典。「一目入道」と表記し、読みを「いちもくにゅうどう」としています。

両津市誌

目一つ行事の由来を記しています。

一目入道が登場する研究

妖怪事典

村上健司編著、2000年。文献上の名称の錯誤を整理しています。

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一目入道が登場する漫画・アニメ

妖怪をまとめて扱う作品

水の妖怪として、河童と並べて取り上げられます。

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一目入道についてよくある質問

一目入道はどこにいるのですか。

佐渡島(新潟県佐渡市)の加茂湖です。加茂湖の主であり、頭上に一つ目を持つとされます。

どんな約束をしたのですか。

馬主に捕らえられた入道は、毎晩、瑠璃の鉤で一貫の鮮魚を捕らえて献上する代わりに、魚を採るのに必要なので鉤だけは返してほしいと頼みました。約束は何年も続きました。

約束を破るとどうなったのですか。

入道は魚を貢がず、毎年正月15日に馬主の家を襲うようになりました。 別説では、馬主は念仏を唱え続けたために狂死して一家は絶えたともいいます。

読み方が二つあるのはなぜですか。

もっとも古い『伝説の越後と佐渡』では「一つ目入道」ですが、『大語園』が「一目入道」と表記して読みを「いちもくにゅうどう」とし、50音配列の「い」の部に組み込みました。 後者のみを参考にした文献が多く、錯誤が広がっています。

一目入道と併せて覚えたい言葉・用語

加茂湖(かもこ)

佐渡島の湖。日本海側最大の汽水湖で、牡蠣の養殖で知られる。

白毫(びゃくごう)

仏の眉間にあって光を放つという白い毛。

目一つ行事(めひとつぎょうじ)

新潟県潟端村で1月16日に行われていた正月行事。