猿を大きくしたような姿の妖怪。人の女を攫い、人を見ると大笑いする。

鳥山石燕 「今昔画図続百鬼 狒々」 1779年 / パブリックドメイン 出典
狒々とはどんな妖怪か
狒々は、猿を大型化したような姿をした妖怪です。老いた猿がこの妖怪になるともいいます。狒狒・比々とも書きます。
山中に住み、怪力を持ち、よく人間の女性を攫うとされます。
柳田國男の『妖怪談義』によれば、狒々は獰猛ですが、人を見ると大笑いします。そのとき唇がめくれて目まで覆ってしまうので、狒々を笑わせておいて、唇が目を覆ったときに唇の上から額を錐で突き刺せば捕らえることができるといいます。狒々という名は、この笑い声に由来するといわれます。
同書には、天和三年(1683年)に越後国(現在の新潟県)で、正徳四年(1714年)に伊豆で、実際に狒々が捕らえられたとあります。前者は体長四尺八寸、後者は七尺八寸あったといいます。
知能が高く、人と会話でき、覚のように人の心を読み取るともいわれます。
もとは中国の妖怪です。
狒々の漢字表記と読み方
読みは「ひひ」です。
名の由来は、笑い声とされます。人を見ると大笑いする、その声が「ひひ」と聞こえたというわけです。
中国の『爾雅』釈獣には「狒狒は人に似て、ざんばら髪で走るのが速く、人を食う」とあります。郭璞の注には「梟陽のことである」とあり、『山海経』を引いて「その姿は人の顔で唇が長く、体は黒くて毛が生えており、かかとが曲がっている。人を見ると笑う」と説明されます。
交州・広州・南康郡の山中にもいて、大きいものは背丈が一丈あまりある。俗に「山都」と呼ぶ、とも記されます。
「人を見ると笑う」という特徴は、中国の記述から来ています。
なお、実在の動物のヒヒとは別のものです。
狒々(ひひ)
もっとも一般的な表記。
狒狒(ひひ)
同じものの表記。
比々(ひひ)
同じく別の表記。
梟陽(きょうよう)
中国での呼び方。郭璞の注による。
山都(さんと)
中国の俗称。
狒々の姿と特徴
狒々の姿は、次のように語られます。
全体 … 猿を大型化したような姿。
大きさ … 中国の『和漢三才図会』の引用では、大型のもので一丈(およそ三メートル)あまり。日本で捕らえられたとされるものは四尺八寸から七尺八寸。
毛 … 黒い毛に覆われる。
唇 … 長い。笑うとめくれて目まで覆う。
髪 … ざんばら髪。
足 … かかとが曲がっているとされます。
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』は、西南夷(中国西南部)に生息するとして、『本草綱目』を引き、人を襲って食べる、人の言葉を話す、人の生死を予知すると記しています。長い髪はかつらの原料になるともいいます。
血は緋色の染料になるといい、この血で着物を染めると退色しないといいます。人がこの血を飲むと、鬼を見る能力を得るともされます。
実際には『本草綱目』の記述はゴリラやチンパンジーを指すものであり、当時の日本にこれらの類人猿はいませんでした。異常に発育した猿に、中国の記述を当てはめたものとする説があります。
狒々の伝承物語
笑わせて額を突く ─ 捕らえ方
狒々には、具体的な捕らえ方が伝わっています。
柳田國男の『妖怪談義』によれば、狒々は獰猛です。しかし弱点があります。
人を見ると大笑いする。
そのとき唇がめくれて、目まで覆ってしまう。
つまり、笑っているあいだは目が見えていません。
そこで、狒々を笑わせて、唇が目を覆ったときに、唇の上から額を錐で突き刺せば捕らえることができるといいます。
きわめて具体的です。 錐という道具まで指定されています。
『妖怪談義』には、実際に捕らえられた記録も載っています。天和三年(1683年)に越後国で体長四尺八寸のもの、正徳四年(1714年)に伊豆で七尺八寸のものが捕らえられたとされます。
これが本当に狒々だったのかはわかりません。 大型の猿であった可能性が高いでしょう。ただ、捕らえたという記録が残っていること自体が、この妖怪の実在感を支えていました。
黒部谷の狒々 ─ 樵と引っ張り合う
北アルプスの黒部谷に、印象的な話が伝わります。『肯搆泉達録』の「黒部山中の事」です。
滑川伊折りに源助という荒っぽい杣頭(樵の親方)がいました。素手で猿や狸を打ち殺し、山刀一つで熊と格闘する剛の者です。
あるとき源助が井戸菊の谷を伐採しようと入ったところ、風雲が巻き起こって人が飛ばされ、谷へ入れません。離れようとした途端、同行の若い樵作兵衛が取り憑かれて気を失います。狒々のような怪獣が、作兵衛を宙に引き上げて引き裂き殺そうとしました。
源助は狒々と引っ張り合いになります。しばらく続いたあと、源助はこう言いました。
作兵衛を殺したら、お前たちも残らず殺す
狒々は手を放して立ち去りました。風雲を起こし、そのなかを飛び回り、人を投げて引き裂く。 猿というより、山の荒々しさそのものに近い姿です。
人身御供と猿神退治
狒々の物語で広く知られるのが、人身御供の話です。
村の社では、毎年決まった日に娘を差し出す習わしがありました。差し出さなければ祟りがある。旅の者がこれを聞き、犬とともに待ち伏せて怪物を退治する──という筋立てです。
この型の話では、正体が猿神、あるいは狒々とされます。『今昔物語集』には、美作国の中山の神が猿であり、犬を連れた男に退治される話があります。
静岡県磐田市の見付天神には、悉平太郎という犬が怪物を退治した伝説が伝わります。信濃から連れてこられた犬が人身御供を求める怪物と戦って倒したという話で、いまも祭りとして受け継がれています。
神として祀られていたものが、実は怪物だった。 狒々は、その「実は怪物だった神」の代表格です。
狒々の伝承地域
狒々の伝承は山中に広く分布しており、一か所に定まりません。
ここに挙げた見付天神は、狒々(猿神)退治の伝説が、今も祭りとして受け継がれている場所です。ただし、この社が祀るのは狒々ではなく、狒々を退治した犬のほうです。
このほか、伝承が記録された土地としては、北アルプスの黒部谷(『肯搆泉達録』)、狒々が捕らえられたという越後国(1683年)と伊豆(1714年)があります。
いずれも記録に書かれた土地であって、目印の残る場所ではありません。
人身御供の伝説を伝える社は各地にありますが、どの社の伝説が狒々を指すかは、実際に確かめる必要があります。 確かめていない場所を挙げることはしません。
狒々の正体と考えられているもの
狒々の正体については、次の見方があります。
一つめは、大型の猿です。もっとも素直な説明です。江戸時代の記録にある「捕らえられた狒々」は、体長四尺八寸から七尺八寸とされます。異常に発育した猿であった可能性が高いでしょう。
二つめは、中国の記述の借用です。『和漢三才図会』が引く『本草綱目』の記述は、ゴリラやチンパンジーを指すものと考えられています。当時の日本にこれらの類人猿はいませんでした。中国の記述を、日本の大型の猿に当てはめたという説明です。
三つめは、猿神です。人身御供を求める神として祀られていたものが、実は怪物だったという物語の型があります。『今昔物語集』の美作国中山の猿神、見付天神の悉平太郎の伝説がこれにあたります。山の神を猿の姿で考える信仰が、背後にあります。
四つめは、山そのものです。黒部谷の話では、狒々は風雲を起こしてそのなかを飛び回り、人を投げ、引き裂きます。猿というより、山の荒々しさに近い姿です。
五つめは、覚との重なりです。人の心を読むという性質は、覚と共通します。山で人の心を読む怪物という像が、複数の名で語られてきました。
狒々が何であったかは、決められていません。
狒々をめぐる妖怪のつながり
狒々が登場する作品
狒々は、人身御供の物語とともに語られることが多い妖怪です。娘をさらう怪物という役どころは、物語に使いやすいものです。
ただし、実在の動物であるヒヒと名前が同じため、混同されることがあります。妖怪の狒々と実在のヒヒは別のものです。
狒々が登場する古典
肯搆泉達録
黒部谷で樵と狒々が引っ張り合う話が載ります。
狒々が登場するゲーム
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狒々についてよくある質問
狒々とは何ですか。
猿を大型化したような姿の妖怪です。山中に住み、怪力を持ち、人間の女性を攫うとされます。老いた猿がこれになるともいわれます。
なぜ狒々というのですか。
笑い声に由来するといわれます。人を見ると大笑いし、その声が「ひひ」と聞こえたというものです。
狒々の捕らえ方はありますか。
笑わせて、めくれた唇が目を覆ったときに、唇の上から額を錐で突き刺せばよいと『妖怪談義』にあります。
実在の動物のヒヒと同じですか。
別のものです。中国の記述はゴリラやチンパンジーを指すと考えられており、それを当時の日本の大型の猿に当てはめたものとされます。
狒々に会える場所はありますか。
静岡県磐田市の見付天神に、狒々(猿神)を退治した犬・悉平太郎の伝説が伝わります。ただし祀られているのは犬のほうです。
狒々と併せて覚えたい言葉・用語
猿神(さるがみ)
人身御供を求める神として祀られ、実は怪物だったとされるもの。
悉平太郎(しっぺいたろう)
静岡県磐田市の見付天神に伝わる霊犬。怪物を退治したとされる。
人身御供(ひとみごくう)
神への供物として人を差し出すこと。狒々の物語の中心にある。
和漢三才図会(わかんさんさいずえ)
江戸時代の百科事典。狒々の性質を中国の書から引く。
狒々の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。