体にできた腫物が人の顔の形になり、口をきき物を食べるという奇病。貝母で治るとされた。

浅井了意 「伽婢子 人面瘡」 1666年ごろ / パブリックドメイン 出典
人面瘡とはどんな妖怪か
人面瘡はひとことで言えば、人の体に生えたもう一つの顔です。
体の一部にできた傷や腫物が化膿し、人の顔のような形になって、物を言ったり食べたりするとされました。「人面疽」とも書きます。
薬あるいは毒を与えると治るとされるのが、この話の決まった形です。
どの薬にも動じなかった腫物が、貝母という薬草だけは嫌がって口を閉じた。そこでそれを流しこむと治った。この筋は中国の話から日本の話まで、ほとんど変わらずに繰り返されます。
もう一つの型があります。人を殺めた者や、人の道に背いた者の体に人面瘡ができるというものです。この場合、顔は殺された相手のものになります。
病気の話でありながら、罪の報いの話でもある。そこが人面瘡の特徴です。
人面瘡の漢字表記と読み方
読みは「じんめんそう」です。「人面疽」と書くときは「じんめんそ」と読みます。
「瘡」は、できものや腫物、また傷のかさぶたを指す字です。「疽」はより重い、悪性の腫物を指します。
どちらの字を当てるかで、話の受け取り方が少し変わります。瘡と書けば皮膚の異変であり、疽と書けば命に関わる病です。
古い記録では、この二つはあまり区別されずに使われています。
なお、腹の中に虫がいて人の声に応えるという「応声虫」という怪異があります。体の内にもう一つの意思がいるという点で似ており、並べて語られることが多いものです。
人面瘡(じんめんそう)
最も広く用いられる表記。
人面疽(じんめんそ)
同じものを指す表記。「疽」は悪性の腫物の意。
応声虫(おうせいちゅう)
腹の中から人の声に応えるという別の怪異。しばしば並べて語られる。
人面瘡の姿と特徴
姿は、記録によっておおむね一致しています。
できる場所 … 腕、足、膝、股、肩など。体のどこにでもできます。
形 … 腫物に目と口がそなわり、人の顔のように見えます。
振る舞い … 口を動かして物を食べます。酒を注げば顔が赤くなります。
害 … 食べ物を与えないと激しい痛みが起こります。与え続けると本人が痩せ衰えます。
たくさん食べれば腹のように膨れ、食べさせなければ腕が痺れた、という記述もあります。
罪の報いとして語られる型では、顔は特定の誰かのものになります。殺された女の顔、恨みを買った相手の顔、といった具合です。
人面瘡の伝承物語
中国の書物にある最初の話
人面瘡の初見とされるのは、唐の段成式が編んだ『酉陽雑俎』巻十五です。
その話はこう伝えられます。江東のある商人の左腕に、人の顔のような瘡ができました。痛みはありません。
酒をその口に与えれば顔が赤くなり、食べ物を与えれば大抵のものを食べました。たくさん食べれば腹のように膨れ、食べ物を与えなければ腕が痺れました。
ある医者が「金石草木、あらゆる薬を試しに与えてみろ」と教えます。商人がその通りにすると、貝母に至って人面瘡は眉を寄せ、口を閉じました。
貝母だけを嫌がる
これなら効くと喜んだ商人は、葦の筒で口をこじ開けて貝母を流しこみます。数日でかさぶたとなり、治りました。
この一話に、後の人面瘡の話の要素がほぼすべて含まれています。
顔のような腫物。飲み食いする。薬をひとつずつ試す。貝母だけを嫌がる。無理に飲ませて治す。
日本の話は、この筋をほとんどそのまま受け継ぎました。
岡本綺堂は『中国怪奇小説集』で、この一話を訳しています。
その腫物は人の面の通りであるが、別になんの苦痛もなかった。
痛まない。 これが人面瘡の始まりの一文です。 病でありながら苦しみを伴わないところから、話が動きだします。
日本に移された伽婢子の話
日本での代表的な記録は、浅井了意の『伽婢子』九巻「人面瘡」です。
山城国小椋、いまの京都府宇治市小倉町での話とされます。
ある農夫が体調を崩し、半年後に左足に腫物ができました。人の顔のようで、目と口があり、ひどい痛みを伴います。
試しに酒を入れると酔ったように赤くなり、餅や飯を入れると口を動かして飲みこみました。食べ物を与えれば痛みがひき、与えなければ耐えがたい痛みに襲われます。
そのうち農夫は骨と皮ばかりに痩せこけ、あちこちの医者を頼っても効果はなく、死を待つばかりとなりました。
そこへ諸国を旅する修行者が現れ、治す手立てを知っていると言います。
田畑を売って治す
農夫は田畑をすべて売り払って金に換え、代金を支払いました。修行者はその金でさまざまな薬を買い集め、一つずつ腫物の口に入れます。
腫物はことごとく飲みこみましたが、貝母だけは嫌がって口にしません。粉にして無理に入れたところ、日を経て治ったといいます。
田畑を失ってでも治すしかなかった、という重さがこの話の核にあります。
腫物が飲み食いする場面も、綺堂の訳がそのまま伝えています。
ある時たわむれに、その腫物の口中へ酒をそそぎ入れると、残らずそれを吸い込んで、腫物の面は、酔ったように赤くなった。
たわむれに、と書かれています。 恐れる前に、まず試してみた。この距離の取り方が、人面瘡の話をほかの怪異から分けています。
罪の報いとしての人面瘡
人面瘡には、もう一つの型があります。人の業が原因になるというものです。
『諸国百物語』には、下総国臼井、いまの千葉県佐倉市臼井の話が載ります。平六左衛門という男の父が下女に手をつけ、妻が嫉妬のあまり下女を殺しました。
以来、父の右肩に腫物ができ、数日後に妻が急死します。続いて左肩にも腫物ができました。
両肩の腫物は絶えず父に話しかけ、父が無視すると死ぬほど呼吸に苦しみました。旅の僧が事情を知り、法華経を唱えると、腫物から蛇が現れたといいます。
腫物から蛇が出る
その蛇を引き抜いて塚に埋め、経を読んで供養したところ、ようやく腫物は癒えました。
『怪霊雑記』には、女を殺した男の股にその女の顔の人面瘡ができ、切り落としてもまた生じるので隠れ住むようになった話があります。曲亭馬琴の『新累解脱物語』では、殺された累の怨霊がなった人面瘡が毒気を吹き出します。
いずれも、体の異変が心の罪と結び付けられています。
幕府の医師が診察した人面瘡
人面瘡は、怪談の外でも扱われました。実際に診察された記録があります。
文政年間、幕府の御用蘭方医であった桂川甫賢が、仙台の商人が患った人面瘡を診ています。
人面瘡は中国の古い医学書にも記述があったため、江戸の医師たちの関心を引きました。奥医師の栗本丹州も診察に立ち会い、写生を行っています。
のちに甫賢が作った『人面瘡図説』は評判を呼びました。閲覧を求める者が毎日のように家へ押しかけたため、木版に起こして配ったといいます。
医学の対象にもなった
この一件は『甲子夜話』や『視聴草』といった随筆にも取り上げられました。
文政十一年には、平田篤胤の婿養子である平田銕胤の日記に、上総国で聞いた人面瘡の話が記されています。腫物の口に食べ物を与えると痛みが収まる、というものです。
明治に入ってからも記事があります。明治十五年八月の京都滋賀新報は、三重県南牟婁郡で農夫の股に人の顔のような腫物ができ、飯を一升ほど平らげたと報じました。
怪異として語られながら、同時に医学の対象として扱われていたところに、この話の独特さがあります。
人面瘡の伝承地域
人面瘡は、書物から書物へ移った話です。 中国から伝わった話の型が、日本各地の地名を借りて語られたものです。
それでも、話が地名を伴って記録されている例はいくつかあります。
『伽婢子』は山城国小椋、いまの京都府宇治市小倉町を舞台とします。『諸国百物語』は下総国臼井、いまの千葉県佐倉市臼井の話です。明治の新聞記事は三重県南牟婁郡の出来事として報じています。
いずれも物語や記事のなかの地名にとどまり、碑や祠は残っていません。
会いに行ける場所はありません。
小倉町(おぐらちょう)
伽婢子の話の舞台
小倉町の所在地:京都府宇治市
浅井了意の『伽婢子』九巻「人面瘡」の舞台とされる山城国小椋にあたります。
左足に人面瘡ができた農夫が、田畑をすべて売り払って旅の修行者に治療を頼んだ、という話です。
怪異にゆかりの碑や祠は確かめられませんでした。 物語のなかの地名であり、実際にそこで起きたと証する記録はありません。
訪ねて確かめられるものは残っていません。
臼井(うすい)
諸国百物語の話の舞台
臼井の所在地:千葉県佐倉市
延宝年間の怪談集『諸国百物語』に載る、下総国臼井藩の話の舞台です。
下女を殺したことの報いとして、両肩に人面瘡ができた男の話が伝えられます。
現地に伝承を示すものは確かめられませんでした。
怪談集のなかの地名であり、碑などは見つかっていません。
人面瘡の正体と考えられているもの
人面瘡の正体については、次のような見方があります。
腫物の見え方によるとする見方が、江戸時代からありました。随筆『筆のすさび』に引かれた桂川甫賢の分析がそれです。傷口の開いた姿が口のように見え、皺の寄った窪みや傷穴が目鼻に見え、ひくひく動く患部が呼吸しているように見える。怪異ではなく、顔によく似た腫物にすぎない、というものです。
実在の病気とする見方もあります。象皮病のこととする説が挙げられています。
中国から渡った話の型とする見方は、記録の順序から支持されます。『酉陽雑俎』の一話がほぼそのまま日本に移され、地名だけが差し替えられていきました。貝母で治るという細部まで共通します。
罪の報いを説く話とする見方もあります。人を殺めた者に、殺された相手の顔が生えるという型は、病というより戒めの物語です。
どれか一つに決めることはできません。 ただ、江戸時代の医師自身が「怪異ではない」と書き残していることは、注目に値します。
人面瘡をめぐる妖怪のつながり
人面瘡が登場する作品
人面瘡は、怪談と医学の両方に足を置いた珍しい題材です。
同じ話が、怪異小説にも、医師の記録にも、新聞記事にも現れます。
幕府の医師が診察し、その図が木版で配られたという事実は、この題材が単なる作り話として扱われていなかったことを示しています。
体のなかにもう一つの意思がいるという着想は、いつの時代にも人の関心を引きます。
人面瘡が登場する書物
新累解脱物語
曲亭馬琴の作。累の怨霊がなった人面瘡が毒気を吹き出します。
人面瘡が登場する絵
人面瘡図説
桂川甫賢が作った記録。閲覧を求める者が多く、木版に起こして配られました。
人面瘡が登場する小説
人面瘡
横溝正史の作。『怪霊雑記』の話が原案とされます。
人面瘡が登場するそのほか
こぶ弁慶
上方落語。こぶが人の顔になるという筋で、人面瘡と並べて語られます。
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人面瘡についてよくある質問
人面瘡とは何ですか。
体にできた傷や腫物が人の顔のような形になり、口をきいたり物を食べたりするとされたものです。「人面疽」とも書きます。唐の『酉陽雑俎』を初見とし、日本でも『伽婢子』や『諸国百物語』などに話が伝わります。
どうすれば治るとされましたか。
貝母という薬草を飲ませると治るとされました。あらゆる薬を試しても飲みこんでしまうのに、貝母だけは嫌がって口を閉じる。そこで無理に流しこむと治る、という筋が繰り返し語られます。
なぜ罪の報いとして語られるのですか。
人を殺めた者や道に背いた者の体に、その相手の顔が生えるという型があるためです。『諸国百物語』の話では、下女を殺した家の主人の両肩に腫物ができ、経を唱えると蛇が現れたとされます。
実際に診察された記録はありますか。
あります。文政年間、幕府の御用蘭方医の桂川甫賢が仙台の商人を診察し、奥医師の栗本丹州が写生をしました。甫賢が作った『人面瘡図説』は評判を呼び、木版に起こして配られたといいます。
正体は何だと考えられていますか。
江戸時代の桂川甫賢自身が、傷口が口に見え、窪みが目鼻に見えるだけで怪異ではないと分析しています。実在の病気である象皮病とする説もあります。
人面瘡と併せて覚えたい言葉・用語
貝母(ばいも)
薬草の名。人面瘡がこれだけを嫌がり、飲ませると治るとされた。
酉陽雑俎(ゆうようざっそ)
唐の段成式が編んだ書物。人面瘡の初見とされる話を収める。
伽婢子(おとぎぼうこ)
浅井了意の怪異小説集。「人面瘡」の一篇がある。
応声虫(おうせいちゅう)
腹の中から人の声に応えるという怪異。人面瘡と並べて語られる。
人面瘡の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。