狐の霊に取り憑かれたとされた状態。明治以降、医学によって別の説明が与えられた。

法橋玉山 「狐憑き」 江戸時代 / パブリックドメイン 出典
狐憑きとはどんな妖怪か
狐憑きの漢字表記と読み方
読みは「きつねつき」です。
「憑く」は、霊がのりうつることです。
地方ごとの呼び名が並びます。
管狐(中部)、飯綱(信濃)、オサキ(上州・秩父)、人狐(出雲)、トウビョウ(中国地方)、ゲドウ、犬神(四国)。
同じことを、別の名で呼びます。
そして、医学の言葉も生まれました。
明治以降、医学者の間で狐憑きは「瘋癲(ふうてん)人」と呼ばれるようになり、1902年には門脇眞枝が「狐憑病新論」で狐憑統計表を示しました。
狐憑き(きつねつき)
もっとも一般的な表記。
狐憑(きつねつき)
送り仮名を省いた形。
狐憑症(こひょうしょう)
明治期に呉秀三が記述した医学上の呼び名。
狐憑きの姿と特徴
狐憑きには、姿がありません。
憑かれたとされる人の様子によって語られます。
古い記録が多く残っています。
『日本霊異記』上巻第二縁「狐を妻として子を生ましめし縁」が日本史上最古の狐憑き伝説とされます。
同著中巻第四縁、下巻第二縁にも狐憑きが登場します。
その後も、記録は続きます。
藤原実資は『小右記』長元4年8月(1031年)の条に狐憑きについて記し、
建長年間の『古今著聞集』、応永年間の『中原康冨記』にも記述があります。
江戸時代は、狐憑きに関する記述が豊富でした。
狐憑きの伝承物語
座敷牢に閉じ込められた
狐憑きとされた人の扱いは、重いものでした。
当事者は少なくない数で座敷牢に閉じ込められ、ときに拘束具で拘束・折檻されたとされます。
ただし、記録は限られます。
1918年の「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」以前の記録は残されていません。
それより前のことは、わかりません。
そして、書物は多く残りました。
天明6年、出雲国神門郡中野村の庄屋・山根与右衛門源祐時が、全国に先駆けて学術書に近い『出雲国内人狐物語』を発行しました。
文政元年には伯耆国の医者・陶山簸南が『人狐弁惑談』を出版しています。
天保・嘉永にも、記述のある本が続きます。
狐狸人の身につくものにあらず
江戸時代に、否定する説が出ました。
文化年間、鳥取藩の医家・陶山大禄が初めて、狐憑きの妄誕無稽であることを論じました。
『人狐弁惑』での言葉です。
狐憑は狂癇の変証にして所謂卒狂これなり、決して狐狸人の身につくものにあらず
狐が人につくのではない、と言い切っています。
狐が霊獣ではない例証、狐憑きが馬憑きに変わる例を挙げ、こう結論しました。
畢竟これ皆精神錯乱の致すところなり
1807年には、分類が示されます。
香川修徳は「一本堂行余医言」巻五で、従前「狐憑き」と総称されていたものを驚・癲・驚癲・狂・痴鵔・不食の6つに分割し、「狐憑き」の概念を否定しました。
しかし、民間ではなお迷信を払拭できませんでした。
ベルツの報告と、官報
明治維新により、西洋医学が導入されました。
加藤裕一の『文明開化』や増山守正の『旧習一新』などの啓蒙書によって、旧来的な風習として批判的に取り上げられました。
そして、医師が診ます。
1885年、内科医ベルツにより「狐憑き」とされる女を診断・治療し、狐憑きは脳障害に起因するヒステリーが原因であるとされる「狐憑病説」の論文が国内で発表されました。
ベルツは学問的報告を政府に行ない、政府は官報で、狐憑きの俗見の払拭に努めました。
国が動きました。
研究も続きます。
井上円了は『妖怪講義』で狐憑きを研究対象として学術体系に組み込み、
1893年に榊俶が精神病的に観察・報告し、呉秀三は初めて狐憑症として記述しました。
狐憑きの伝承地域
狐憑きは、日本各地に伝わりました。
地方により管狐、飯綱、オサキ、人狐、トウビョウ、ゲドウ、犬神などと呼ばれます。
出雲、伯耆、上州、秩父、信濃、四国。
書物の出た土地も各地にわたります。 出雲国神門郡中野村(『出雲国内人狐物語』)、伯耆国五千石村(『人狐弁惑談』)、鳥取藩(『人狐弁惑』)。
1892年(明治25年)、島村俊一は明治政府の命により島根県で狐憑きを渉猟し、その結果を報告しています。
これは人の心身に関わる事柄です。特定の家や人を挙げることはしません。この欄は空のままにしてあります。
狐憑きの正体と考えられているもの
狐憑きについては、次のように整理できます。
一つめは、信仰です。狐の霊に取り憑かれたと言われる人の精神の錯乱した状態であり、そのような事が起こり得ると信じる信仰、迷信もいいます。
二つめは、各地の呼び名です。管狐、飯綱、オサキ、人狐、トウビョウ、ゲドウ、犬神。 同じことが、土地ごとに別の名で呼ばれました。
三つめは、江戸の否定説です。陶山大禄は『人狐弁惑』で「決して狐狸人の身につくものにあらず」とし、香川修徳は6つの症状に分割して概念を否定しました。
四つめは、明治の医学です。1885年、ベルツが「狐憑病説」の論文を発表し、政府は官報で、狐憑きの俗見の払拭に努めました。
五つめは、閉じ込めです。当事者は少なくない数で座敷牢に閉じ込められ、ときに拘束具で拘束・折檻されたとされます。
この項は、妖怪であると同時に、人の扱われ方の記録でもあります。 否定するための本が、江戸から明治にかけて何冊も書かれました。
狐憑きをめぐる妖怪のつながり
狐憑きが登場する作品
狐憑きは、否定の歴史がそのまま資料になっている題材です。
江戸の医家が「狐狸人の身につくものにあらず」と書き、明治には政府が官報で払拭に努めました。
資料は古代の説話集から、江戸の医書、明治の医学論文まで幅があります。
狐憑きが登場する古典
日本霊異記
上巻第二縁「狐を妻として子を生ましめし縁」が、日本史上最古の狐憑き伝説とされます。
狐憑きが登場する研究
狐憑きが登場する漫画・アニメ
妖怪をまとめて扱う作品
憑き物の代表として、管狐やオサキと並べて取り上げられます。
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狐憑きについてよくある質問
狐憑きとは何ですか。
狐の霊に取り憑かれたと言われる人の精神の錯乱した状態であり、そのような精神状態にある人、そのような事が起こり得ると信じる信仰、迷信もいいます。
ほかにどんな呼び名がありますか。
地方により管狐、飯綱、オサキ、人狐、トウビョウ、ゲドウ、犬神などとも言います。
いちばん古い記録は何ですか。
『日本霊異記』上巻第二縁「狐を妻として子を生ましめし縁」が、日本史上最古の狐憑き伝説とされます。
いつ否定されたのですか。
文化年間、鳥取藩の医家・陶山大禄が『人狐弁惑』で「決して狐狸人の身につくものにあらず」と論じました。1885年にはベルツが「狐憑病説」を発表し、政府は官報で俗見の払拭に努めました。
狐憑きと併せて覚えたい言葉・用語
日本霊異記(にほんりょういき)
平安初期の説話集。最古の狐憑き伝説を載せる。
人狐弁惑(ひとぎつねべんわく)
陶山大禄の書。狐憑きを精神錯乱と論じた。
ベルツ(べるつ)
明治期に来日した内科医。狐憑病説の論文を発表した。