江戸末期の阿波で起きたという狸たちの大戦争の伝説。金長と六右衛門が相討ちになった。

Reggaeman 「金長神社 一の鳥居(徳島県小松島市)」 2010年 / CC BY-SA 3.0 出典
阿波狸合戦とはどんな妖怪か
阿波狸合戦はひとことで言えば、狸たちの大戦争の伝説です。
江戸時代末期、阿波国、後の徳島県で起きたとされます。「阿波の狸合戦」「金長狸合戦」ともいいます。
四国に数ある狸の話のなかでも特によく知られ、徳島の狸の話としてはもっとも名高いものとされます。
天保年間、小松島の日開野で染物屋を営む茂右衛門が、いじめられそうになっていた狸を助けたところから話は始まります。
助けられた狸は金長といい、店の万吉に憑いて病を治したり吉凶を占ったりして評判になりました。
やがて金長は、津田の狸の総大将六右衛門のもとへ修行に出ます。そこで起きた行き違いから、両者は正面から戦うことになりました。
戦いの末、二匹はともに命を落としました。
阿波狸合戦の漢字表記と読み方
読みは「あわたぬきがっせん」です。
かつては「阿波の狸合戦」「阿州狸合戦」など、呼び方が定まっていませんでした。
現在の「阿波狸合戦」という形にほぼ統一されたのは、一九三九年に公開された同名の映画の題によるところが大きいとみられています。
主役の狸は「金長」と書いて「きんちょう」と読みます。相手方の総大将は「六右衛門」で「ろくえもん」です。
助けた人間の名は「茂右衛門」、読みは「もえもん」です。
なお茂右衛門は実在した人物であり、その子孫の家に口承が伝わっています。
阿波狸合戦(あわたぬきがっせん)
現在もっとも一般的な呼び方。
阿波の狸合戦(あわのたぬきがっせん)
古くから用いられた呼び方。
金長狸合戦(きんちょうたぬきがっせん)
主役の名を取った呼び方。
阿波狸合戦の姿と特徴
阿波狸合戦は、一体の妖怪ではなく出来事の名です。
登場する狸たちの姿は、次のように語られます。
金長 … 日開野に住む狸。二百六歳で、付近の頭株とされた。
六右衛門 … 津田の狸の総大将。多くの家来を従える。
藤ノ木寺の鷹 … 金長とともに戦い、討ち死にした狸。
狸そのものの姿かたちは、ほとんど描かれません。 語られるのは、位、家来の数、そして義理と恨みです。
つまりこの伝説では、狸は人と同じ社会を持つものとして扱われます。修行に出て位を得ようとし、婿養子の話が持ち上がり、恩義を理由に断る。すべて人の世の話の形です。
合戦の場面では、勝浦川を挟んで両軍がおよそ六百匹ずつ対峙し、三日三晩の死闘に及んだと語られます。
阿波狸合戦の伝承物語
染物屋に助けられた狸
天保年間、小松島の日開野、後の小松島市神田瀬町でのことです。
大和屋という染物屋を営む茂右衛門という者が、人々にいじめられそうになっていた狸を助けました。
間もなく、大和屋の商売はどんどん繁盛しはじめます。
やがて店に勤める万吉という者に狸が憑き、素性を語りはじめました。
自分は「金長」といい、二百六歳になる付近の頭株である、と。
万吉に憑いた金長は、店を訪れる人々の病を治したり、易を見たりして大活躍し、大評判となりました。
しばらくして、金長はまだ狸としての位を持たないことを気にし、津田にいる狸の総大将六右衛門のもとへ修行に出ます。
金長は修行で抜群の成績を収め、望んでいた正一位を得る寸前まで至りました。
ここまでは、恩返しの話です。
助けられた狸が人に尽くし、自らも位を目指す。争いの気配はまだありません。
義理を選んだ結果としての戦い
六右衛門は、抜きん出た力を持つ金長を手放すのを惜しみました。
そこで、娘の婿養子として手元に留めようとします。
しかし金長はこれを断りました。
理由は二つと伝えられます。一つは、自分を助けてくれた茂右衛門への義理。もう一つは、六右衛門の残虐な性格を嫌ったことです。
これを不服とした六右衛門は、金長がいずれ自分の敵になると考え、家来を率いて夜襲をかけました。
金長は、ともに来ていた「藤ノ木寺の鷹」と応戦しますが、鷹は討ち死にし、金長だけが日開野へ逃れました。
金長は鷹の仇討ちのため同志を募り、六右衛門との戦いに臨みます。
戦いは金長軍が勝り、六右衛門は金長に食い殺されました。
しかし金長もまた傷を負い、まもなく命を落とします。
茂右衛門は、正一位を得る前に死んだ金長を憐れみ、自ら京都の吉田神祇管領所へ出向いて正一位を授かってきたと伝えられます。
この話はどこから生まれたのか
阿波狸合戦の成り立ちには、いくつもの説があります。
動物報恩譚がもとだとする説があります。天保年間に、大和屋に助けられた狸が恩返しをしたという話が実際にありました。その後のある年、勝浦川の河川敷に多数の狸の死体があったという出来事が加わり、二大勢力の激突の話が生まれたとされます。
人間社会の出来事を狸に置き換えたとする説もあります。争い、悲恋、葛藤は人の世でも珍しくありません。
修験道の争いとする説は具体的です。徳島の霊山では別派どうしの争いがあり、太竜寺山の勢力と剣山の勢力の衝突が狸の話に仕立てられたのではないかというものです。
砂と漁場 ─ 争いの中身
藍染めの砂を巡る争いとする説があります。
徳島では藍染めが盛んで、その工程に砂を用います。津田浦で採れる砂は藍染めに最適でした。 勝浦川の両岸で砂を巡る争いが起きたのが題材だ、というのです。
漁業権の争いとする説もあります。津田寺の住職も、この説を支持しています。
どの説を取るにせよ、狸たちの争いの背後には人の争いがあるという点は共通しています。
なお、茂右衛門は実在の人物です。万吉に狸が憑いた出来事も、合戦とは別に実際に起きたこととされます。
講談と映画が広めた
この伝説を全国に広めたのは、講談です。
明治時代の後期、大阪で活躍していた講談師神田伯龍が舞台で披露したことで、土地の言い伝えは都会の芸能になりました。
一九一〇年、速記によって講談本が三冊刊行されます。
講談は、大筋こそ口承と変わりませんが、狸を滑稽な動物としてではなく、人と同じ心を持つ軍人として描いた点に特徴があります。
伝説には無い場面も多く加えられました。二代目どうしの戦いなどは、軍記物を得意とする講談師による創作と考えられています。
次に広めたのは映画です。一九三九年の映画『阿波狸合戦』は大ヒットし、倒産寸前だった制作会社を救いました。
一九九四年には、この狸合戦を題材の一部に取り込んだアニメーション映画が公開され、四国の長老狸として金長、太三郎狸、隠神刑部が登場しました。
土地の言い伝えが、講談で全国へ、映画で次の世代へと渡っていったことになります。
阿波狸合戦の伝承地域
阿波狸合戦にゆかりの地は、徳島県小松島市と徳島市津田地区に分かれます。
金長側では、小松島市中田町の金長神社が代表です。日峰山中には別に金長神社本宮があり、小松島に金長神社が二つあることはあまり知られていません。
六右衛門側では、徳島市津田西町の津田寺に穴観音と六右衛門大明神の祠があります。
合戦の主戦場とされるのは勝浦川の北側、新浜本町二丁目付近で、ここには古戦場の跡と高坊主大明神の祠があります。
大原町千代が丸には、討ち死にした鷹を祀る大鷹大明神と萬狸大明神の祠があります。
金長神社(きんちょうじんじゃ)
金長を祀る社
金長神社の所在地:徳島県小松島市中田町
一九五七年に建立された社です。
もとは茂右衛門の末裔である梅山家の庭にあった屋敷神を、小松島市が中田町へ勧請したものです。
恩義ある茂右衛門に尽くした金長の徳の高さから「報徳狸」の名で崇められ、招福・開運や商売繁盛にご利益があるといわれます。
地元では親しみを込めて「金長さん」と呼ばれています。
日峰山中には、これとは別に一九三九年建立の金長神社本宮があります。
津田寺(つだじ)
六右衛門側の史跡
津田寺の所在地:徳島県徳島市津田西町
六右衛門側にゆかりの寺です。
墓地には、六右衛門側が砦としていたといわれる穴観音という洞窟があります。
六右衛門は六右衛門大明神として祠に祀られており、息子の千住太郎、娘の鹿の子の祠もあります。
祠を拝む人、掃除をする人も多いと伝えられます。
合戦で六右衛門側の大将として戦死したという権右衛門の石像もあります。
阿波狸合戦の正体と考えられているもの
阿波狸合戦の正体については、次のように考えられています。
恩返しの話が膨らんだとする見方があります。大和屋に助けられた狸の話が先にあり、勝浦川の河川敷で多数の狸の死体が見つかった出来事が加わって、合戦の話に育ったという順序です。
人の争いを狸に置き換えたとする見方は複数あります。修験道の別派どうしの争い、藍染めに用いる砂を巡る争い、津田と小松島のあいだの漁業権の争いなどが挙げられています。どこか憎めない狸たちの姿は、実は人の振る舞いの写しだということになります。
講談による創作を含むとする見方も重要です。二代目どうしの戦いなど、講談以前の書物に見えない場面があります。
一つに決めることはできません。 ただ、この伝説がいまも小松島と津田の両方で語られていることは確かです。二〇一四年には両者の交流宣言が行われ、対立していた狸どうしが和解したと報じられました。
阿波狸合戦をめぐる妖怪のつながり
阿波狸合戦が登場する作品
阿波狸合戦は、媒体を乗り換えながら生き延びてきた伝説です。
江戸後期の写本から、明治の講談へ。講談から昭和の映画へ。映画から平成のアニメーションへ。
そのたびに話は書き換えられ、地元の口承のほうが講談の影響を受けて変わったのではないかとさえ見られています。
現在の小松島市では、狸をかたどった像や壁の絵、菓子、太鼓、祭りなど、伝説が町の姿そのものになっています。
阿波狸合戦が登場する書物
近頃古狸珍説
江戸後期の写本。伝説を記した古い記録の一つです。
古狸金長義勇珍説
同じく江戸後期の写本。投石の場面が見えます。
阿波狸合戦が登場する講談
実説古狸合戦
一九一〇年刊。神田伯龍の講談を速記したものです。
古狸奇談津田浦大決戦
同じく講談本。合戦の場面を扱います。
阿波狸合戦が登場する映画
阿波狸合戦
一九三九年公開。大ヒットし、呼び名をこの形に統一させました。
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阿波狸合戦についてよくある質問
阿波狸合戦とは何ですか。
江戸時代末期に阿波国、後の徳島県で起きたという狸たちの大戦争の伝説です。小松島の日開野の金長と、津田の総大将である六右衛門が戦い、ともに命を落としたと伝えられます。
なぜ戦いになったのですか。
金長が修行に出た先の六右衛門が、金長を娘の婿養子として手元に留めようとしたところ、金長が茂右衛門への義理と六右衛門の性格を理由に断ったためです。六右衛門は不服として夜襲をかけました。
金長はいまどこで祀られていますか。
徳島県小松島市中田町の金長神社です。もとは茂右衛門の末裔の家の屋敷神で、一九五七年に市が勧請しました。日峰山中には別に金長神社本宮があります。
実際にあった出来事なのですか。
茂右衛門は実在の人物であり、万吉に狸が憑いた出来事も別に起きた事実とされます。ただし合戦そのものについては、修験道の争いや藍染めの砂を巡る争い、漁業権の争いなど、人の争いを置き換えたものとする説が複数あります。
太三郎狸との関係は何ですか。
金長と六右衛門の戦死後、双方の二代目による弔い合戦が起きようとしたところ、讃岐屋島の太三郎狸が仲裁に入って収まったと伝えられます。
阿波狸合戦と併せて覚えたい言葉・用語
金長(きんちょう)
日開野の狸。茂右衛門に助けられ、二百六歳の頭株と名乗った。
六右衛門(ろくえもん)
津田の狸の総大将。金長を婿にしようとして断られ、争いになった。
茂右衛門(もえもん)
日開野の染物屋大和屋の主。実在の人物で、狸を助けたとされる。
正一位(しょういちい)
位のうち最上のもの。金長が得ようとしていたとされる。