牛馬を殺す妖怪。旧暦七月に盆小屋を焼いて封じ込めた。

牛打ち坊とはどんな妖怪か
牛打ち坊は、徳島県北部に伝わる妖怪です。
その名の通り、牛や馬を殺す妖怪といわれます。
呼び名がいくつもあります。
土地によっては「牛々入道」、「牛飼坊」、「疫癘鬼」などとも呼ばれます。
やることが具体的です。
寛政時代の徳島の古書『阿州奇事雑話』によれば、夜更けになると牛小屋などに入り込み、牛馬にわずかな傷をつけただけで死に至らしめたとあります。
わずかな傷です。
また、牛打ち坊に見入られただけでもその牛馬は病気になり、時にはそのまま死んでしまったといいます。
牛打ち坊の漢字表記と読み方
読みは「うしうちぼう」です。
牛を打つ坊主、という形の名です。
土地ごとに呼び名が変わります。
「牛々入道」「牛飼坊」「疫癘鬼」。
「疫癘鬼」は、病をもたらす鬼という意味です。
牛馬が病気になって死ぬことから、この名がついたのでしょう。
そして、囃し言葉にも名が出ます。
「ウシウシ坊を追いかけ、おかいこべったり味噌べったり」
盆小屋の材料を集める少年たちが唱えました。
牛打ち坊(うしうちぼう)
もっとも一般的な表記。
牛打坊(うしうちぼう)
送り仮名を省いた形。
牛々入道(うしうしにゅうどう)
土地による呼び名。
牛飼坊(うしかいぼう)
土地による呼び名。
疫癘鬼(えきれいき)
病をもたらすものとしての呼び名。
牛打ち坊の姿と特徴
牛打ち坊の姿は、はっきりしません。
正体をはっきりと見た者はいないといいます。
しかし、記述はあります。
『阿州奇事雑話』にはタヌキに似た黒い獣とあります。
黒い獣です。
そして、跡が残ります。
板野郡栄村(現・板野町)では、このように牛馬を死なせたことから、猛毒を持っているともいわれました。
また、牛馬に傷をつけて殺していくことから、血を吸うために傷をつけるともいわれます。
襲われた牛馬には血を吸った跡として、必ず2つの牙の跡が残されていたという話もあります。
牛打ち坊の伝承物語
盆小屋を焼いて封じる
牛打ち坊には、殺す行事がありました。
牛打ち坊が現れたといわれる徳島県北部の板野郡、名東郡、名西郡、海部郡などでの習わしです。
旧暦7月13日に竹や藁で盆小屋という小屋を作り、7月14日の未明、読経の後に焼き払っていました。
小屋を焼きます。
これは牛打ち坊を小屋の中に封じ込めて焼き殺すまじないとされます。
そして、準備があります。
前もって村の十代前半の少年たちが家々を回って小屋の材料や金銭を寄付してもらうのです。
子どもが集めます。
断れませんでした。
寄付を怠る家があると「ウシウシ坊を追いかけ、おかいこべったり味噌べったり」と囃し立て、小屋を焼き払う際に一緒に焼いたナスをその家へ投げ込みます。
ナスを投げ込まれる
寄付を惜しんだ家には、罰がありました。
小屋を焼き払う際に一緒に焼いたナスをその家へ投げ込むのです。
焼いたナスです。
すると、その家の牛馬は3日以内に死んでしまうと恐れられていました。
三日以内です。
そのため、寄付を惜しむ村人はいなかったといいます。
誰も断りませんでした。
この仕組みは、よくできています。
行事の費用を集める仕掛けが、妖怪の名で保証されているわけです。
牛は農家の財産です。
その牛が死ぬと言われれば、わずかな寄付は惜しくありません。
旅の僧が追い払う
佐那河内村には、民話が伝わります。
昔、牛打ち坊に牛を次々に殺されて困り果てる村人たちのもとへ、旅の僧が訪れました。
僧が申し出ます。
牛打ち坊を懲らしめると言いました。
そして、ある晩のことです。
村に現れた牛打ち坊を強い剣幕で脅し、二度と村に現れないようにと言って追い払いました。
脅して追い払いました。
そのため、他の地で牛打ち坊の怪異が続く中、佐那河内村だけは牛打ち坊に襲われることがなかったといいます。
この民話では、会話も交わされます。
姿は「変な格好の怪物」とのみ述べられ、僧に対して「わしは牛打ち坊じゃ」などと会話を交わしたといいます。
このとき牛打ち坊は「二度と佐那河内に来ない」と証文を書きました。
牛打ち坊の伝承地域
牛打ち坊は、徳島県北部に伝わります。
板野郡、名東郡、名西郡、海部郡などで、旧暦7月13日に竹や藁で盆小屋という小屋を作り、7月14日の未明、読経の後に焼き払う行事がありました。
板野郡栄村(現・板野町)では、猛毒を持っているともいわれました。
佐那河内村には、旅の僧の民話が伝わります。
牛打ち坊が書いた「二度と佐那河内に来ない」という証文を、大宮八幡神社の僧が神社の裏の大宮山に埋めたため、その山は「状が丸」、後に「上が丸」と呼ばれたといいます。
参拝の際は、社の案内に従ってください。
大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう)
牛打ち坊の証文を裏山へ埋めたと伝わる社
大宮八幡宮の所在地:徳島県名東郡佐那河内村下 高樋
佐那河内村の高樋地区にある、村の総氏神です。
和銅3年(710年)、豊前国の宇佐八幡宮から分祠したと伝わります。
証文を埋めた裏山は「状が丸」、のちに「上が丸」と呼ばれたといいます。
牛打ち坊の正体と考えられているもの
牛打ち坊については、次のように整理できます。
一つめは、牛馬を殺すものです。夜更けになると牛小屋などに入り込み、牛馬にわずかな傷をつけただけで死に至らしめたとあり、見入られただけでもその牛馬は病気になり、時にはそのまま死んでしまったといいます。
二つめは、牙の跡です。血を吸うために傷をつけるともいわれ、襲われた牛馬には血を吸った跡として、必ず2つの牙の跡が残されていたという話もあります。
三つめは、盆小屋です。旧暦7月13日に竹や藁で盆小屋を作り、7月14日の未明、読経の後に焼き払うのは、牛打ち坊を小屋の中に封じ込めて焼き殺すまじないとされました。
四つめは、寄付の仕掛けです。寄付を怠る家には焼いたナスを投げ込み、その家の牛馬は3日以内に死ぬと恐れられたため、寄付を惜しむ村人はいなかったといいます。
五つめは、証文です。佐那河内村では旅の僧が追い払い、牛打ち坊は「二度と佐那河内に来ない」と証文を書いたといいます。
この妖怪は、牛馬の急死を説明する名です。 牙の跡が二つという点は、獣に襲われた跡とも読めます。
牛打ち坊をめぐる妖怪のつながり
牛打ち坊が登場する作品
牛打ち坊は、行事を伴う妖怪です。
盆小屋を焼いて封じ込めるという習わしが、徳島県北部に残っていました。
資料は徳島の古書と、民俗の記録に分かれます。
牛打ち坊が登場する古典
阿州奇事雑話
寛政時代の徳島の古書。牛打ち坊をタヌキに似た黒い獣と記します。
牛打ち坊が登場する研究
牛打ち坊が登場する漫画・アニメ
妖怪をまとめて扱う作品
家畜を殺す妖怪として、頽馬やシイと並べて取り上げられます。
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牛打ち坊についてよくある質問
牛打ち坊とは何ですか。
徳島県北部に伝わる、牛や馬を殺す妖怪です。「牛々入道」「牛飼坊」「疫癘鬼」などとも呼ばれます。
どうやって牛馬を殺すのですか。
夜更けになると牛小屋などに入り込み、牛馬にわずかな傷をつけただけで死に至らしめたといいます。見入られただけでもその牛馬は病気になり、時にはそのまま死んでしまったともいいます。
盆小屋とは何ですか。
旧暦7月13日に竹や藁で作り、7月14日の未明、読経の後に焼き払う小屋です。牛打ち坊を小屋の中に封じ込めて焼き殺すまじないとされました。
寄付しないとどうなりますか。
小屋を焼き払う際に一緒に焼いたナスをその家へ投げ込むと、その家の牛馬は3日以内に死んでしまうと恐れられていたため、寄付を惜しむ村人はいなかったといいます。
牛打ち坊と併せて覚えたい言葉・用語
盆小屋(ぼんごや)
旧暦7月に竹や藁で作り、焼き払う小屋。
阿州奇事雑話(あしゅうきじざつわ)
寛政時代の徳島の古書。
疫癘鬼(えきれいき)
病をもたらす鬼の意。牛打ち坊の呼び名の一つ。