僧に化けて狐狩りをやめさせた白狐。狂言『釣狐』の題材。

竹原春泉 「絵本百物語 白蔵主」 1841年 / パブリックドメイン 出典
白蔵主とはどんな妖怪か
白蔵主は、日本の妖狐であり、稲荷神でもあります。狂言『釣狐』の題材となったとされます。伯蔵主・白蔵司とも書きます。
伝説は幾通りか知られ、和泉国(大阪府)の少林寺と、近江国(滋賀県)の勝楽寺を舞台とするものがあります。
少林寺の縁起によれば、当寺の耕雲庵という塔頭に「伯蔵司」が住んでいました。収入がなく極貧だったため七日七晩祈祷すると、社壇から三本足の白狐が躍り出て、三度鳴いてうずくまりました。 啓示と察してこれを養うと信仰が盛んになり、衣食に困らなくなったといいます。狐は勇士に変化して盗賊を撃退したともいいます。
そして物語の核心が狐狩りです。伯蔵司の甥に狐を狩る生業の者がいました。狐は僧侶の姿に変身して殺生の戒めを説きますが、男は敏く狐のしわざだと見抜き、あらゆる狩猟の手管をつくして狐を狩ろうとしたといいます。
白蔵主の漢字表記と読み方
読みは「はくぞうす」です。
名の由来について、妖怪研究家の多田克己が見解を述べています。
「白」は、妖狐の一種である白狐の「白」が由来とされます。
さらに、狐が化けたのが伯父であることも、「伯」が「人」と「白」の字の合成であることに暗示されている、というのです。
伯 = 人 + 白。
人に化けた白狐。字の作りがそのまま物語を示している、という読み方です。
狂言では『釣狐』という演目になっています。狐を釣る、つまり罠にかけて捕らえるという意味です。
葛の葉の物語も、狂言『釣狐』が結びついて成立したと考えられています。
白蔵主(はくぞうす)
もっとも一般的な表記。
伯蔵主(はくぞうす)
少林寺の縁起での表記。
白蔵司(はくぞうす)
同じく別の表記。
釣狐(つりぎつね)
狂言の演目名。白蔵主を題材とする。
白蔵主の姿と特徴
白蔵主の姿は、二重になっています。
狐としての姿 … 三本足の白狐です。少林寺の縁起では、社壇から躍り出て三度鳴いてうずくまったとされます。三本足という点が特徴的です。
化けた姿 … 老僧です。狐狩りをする甥のもとへ、伯父である僧の姿で現れます。
狂言『釣狐』では、白蔵主の面という専用の面が使われます。老僧の顔でありながら、どこか狐を思わせる作りになっています。
『釣狐』は狂言のなかでもっとも難しい演目のひとつとされます。一世一代の大曲と呼ばれ、狂言師が生涯に一度演じるものとされてきました。
前半は老僧の姿、後半は狐の姿で演じられます。
『堺鑑』などの異聞では、住職が三本足の野狐を森で拾って育てたものとされ、その子孫である三本足の狐が、その後も寺に住み着いていたといいます。
白蔵主の伝承物語
- 三本足の白狐 ─ 寺を救う
- 甥の狐狩り ─ 僧に化けて説く
- 釣狐 ─ 狂言最高の大曲
- 面を着けたまま演じ通す ─ 狂言の到達点
- コンコンチキチの囃子 ─ 狐に隠された者を探す
- 太郎かやせ子かやせ ─ 名を呼んで取り戻す
三本足の白狐 ─ 寺を救う
和泉国大萬山少林寺(大阪府堺市)は、文和元年(1352年)、稲荷大明神を奉り鎮守して開山したと縁起に記されています。
縁起によれば、当寺の耕雲庵という塔頭に「伯蔵司」が住んでいたのは天文年間(1526年〜1555年)のことでした。
収入がなく、極貧でした。
そこで七日七晩祈祷すると、社壇から三本足の白狐が躍り出て、三度鳴いてうずくまりました。
伯蔵司はこれを啓示と察し、狐を養います。すると信仰が盛んとなり、衣食に困らなくなりました。
さらに、この狐は勇士に変化して盗賊を撃退したともいいます。
寺を救った狐です。
ただし『狂言不審紙』(1827年)によれば、時期が違います。永徳年間(1381年〜)に、和泉国大鳥郡東樽屋町にある少林寺耕雲庵の住侶に白蔵主という僧がおり、稲荷大明神を常に信仰して毎日法施を怠らなかったところ、稲荷の思し召しで白狐を得たとあります。
大筋は同じです。
甥の狐狩り ─ 僧に化けて説く
物語の核心は、ここからです。
伯蔵司の甥に、狐を狩る生業の者がいました。
狐にとっては、命に関わることです。そこで狐は僧侶の姿に変身し、甥のもとを訪ねて殺生の戒めを説きました。
伯父である僧が来て、殺生をやめよと説く。断りにくい相手です。
ところが、男は敏く狐のしわざだと見抜きました。
そして、あらゆる狩猟の手管をつくして狐を狩ろうとしたといいます。
この構図が、狂言『釣狐』になりました。
狐は、命がけで人を説得しようとします。人は、それを見抜いて罠にかけようとします。どちらも必死です。
狂言では、老僧に化けた狐が甥を説得して帰る道すがら、罠に仕掛けられた餌の匂いに耐えきれず、狐の姿に戻って餌に近づいてしまいます。
説得は成功したのに、自分の欲で捕まる。 これが『釣狐』の眼目です。
釣狐 ─ 狂言最高の大曲
狂言『釣狐』は、この伝説を題材として作られたとされます。『少林寺縁起』にも『狂言不審紙』にも、そう記載されています。
この演目は、狂言のなかでもっとも難しい曲のひとつとされます。
一世一代の大曲。 狂言師が生涯に一度だけ演じるものとされてきました。 これを演じることが、一人前の証とされます。
難しさの理由はいくつもあります。
面を着けたまま演じ通す ─ 狂言の到達点
面を着けたまま長時間演じる。
前半は老僧、後半は狐と、まったく違う体の使い方が要る。
後半は四つ足の姿勢で、狐の動きを表現し続ける。
装束が重く、視界も限られる。
狐が餌に近づく場面の緊張が、この曲の山です。理性では近づいてはいけないとわかっているのに、体が動いてしまう。
伝説の狐は、寺を救い、甥を説得しました。 それでも、最後は自分の欲に負けます。
この話は、江戸時代の地誌『堺鑑』『難波丸』『泉州志』『和泉名所図会』や、随筆『和語連珠』、類書『和漢三才図会』などに掲載されています。
コンコンチキチの囃子 ─ 狐に隠された者を探す
狂言『釣狐』の名は、芝居の外にも出ていきました。
柳田国男は、神隠しにあった者を村総出で探す場面を書きとめています。
単に迷子と名づけた場合でも、やはり鉦太鼓の叩き方は、コンコンチキチコンチキチの囃子で、芝居で「釣狐」などというものの外には出でなかった。
鉦と太鼓の叩き方が、狂言の囃子と同じだった。 北大和では、多人数で鉦と太鼓を叩きながら「太郎かやせ子かやせ」と唱えて歩きました。
狐に隠された者を呼び戻す作法に、狐を釣る芝居の囃子が使われている。 白蔵主の物語は、舞台の上だけで完結していません。
太郎かやせ子かやせ ─ 名を呼んで取り戻す
柳田国男が書きとめた探索の作法には、続きがあります。
北大和の低地部では狐にだまされて姿を隠した者を捜索するには、多人数で鉦と太鼓を叩きながら、太郎かやせ子かやせ、または次郎太郎かやせと合唱した。
(かやせ=返せ)
「太郎」「次郎」は、隠された子の実名ではありません。 誰が消えても、この名で呼びました。個人の名ではなく、子供という役目そのものを呼び返している のです。
狐を釣る狂言の囃子で、狐に取られた子を呼び戻す。白蔵主の物語は、舞台と村の作法の両方に足をかけています。
白蔵主の伝承地域
白蔵主の伝承地は、大阪府堺市の少林寺です。『堺鑑』に「釣狐寺」の名で記され、狂言『釣狐』の題材となった寺として伝わります。
もう一つの舞台とされるのが、近江国の勝楽寺(滋賀県犬上郡甲良町)です。ここには白蔵主が住み、村の藪のなかに釣り人の兄弟がいたという話が伝わります。ただし現在の伝承の残り方を確かめられなかったため、ここには挙げていません。
このほか、翻案の『百物語』版では甲斐国(山梨県)に舞台が設定されています。
なお、少林寺は現在も寺として営まれています。 拝観の可否や公開の範囲は、寺の定めによります。怪異を目当てに立ち入る場所ではないことを、書き添えます。
少林寺(しょうりんじ)
白蔵主の伝説が伝わる寺
少林寺の所在地:大阪府堺市堺区少林寺町
和泉国大萬山少林寺は、文和元年(1352年)に稲荷大明神を奉り鎮守して開山したと縁起に記されます。
当寺の耕雲庵という塔頭に、伯蔵司が住んでいたと伝わります。極貧のなか七日七晩祈祷し、三本足の白狐を得たという話がここのものです。
『堺鑑』では「釣狐寺」の名で記されています。狂言『釣狐』の題材となった寺として知られてきました。
堺の市街地にあります。
堺の旧市街にある。周辺には古い寺が集まる。
白蔵主の正体と考えられているもの
白蔵主の正体は、物語のなかでは明快です。三本足の白狐であり、稲荷神の使いです。
そのうえで、この伝説がなぜ生まれたかを考えることができます。
一つめは、寺と稲荷信仰の結びつきです。少林寺は稲荷大明神を鎮守として開山したと縁起にあります。寺が稲荷を祀り、その使いである狐を大切にする。 これは実際に広く行われていたことです。
二つめは、狐を守るための話です。この物語の核心は狐狩りをやめさせることにあります。殺生の戒めを説くという筋立ては、寺の教えそのものです。寺の近くで狐を狩るなという、実際的な意味があったかもしれません。
三つめは、三本足の狐です。『堺鑑』の異聞では、住職が三本足の野狐を森で拾って育て、その子孫である三本足の狐がその後も寺に住み着いていたとされます。足を傷めた狐が実際にいて、寺で養われていた可能性があります。
四つめは、狂言のための題材です。『釣狐』という優れた演目が作られたことで、この伝説は残りました。演目が伝説を保存したという面があります。
五つめは、名前の作りです。多田克己は「伯」が「人」と「白」の合成であることに、人に化けた白狐が暗示されていると見ます。
白蔵主が実在の何かを指すのかは、わかっていません。
白蔵主をめぐる妖怪のつながり
白蔵主が登場する作品
白蔵主は、狂言によって残った妖怪です。『釣狐』が狂言最高の大曲とされ続けたことで、伝説も生き延びました。
演目の難しさが、そのまま知名度を支えているという珍しい例です。狂言を知る人にとって、白蔵主は特別な名前です。
妖怪としての知名度は、玉藻前や葛の葉に比べれば高くありません。
白蔵主が登場する狂言
白蔵主が登場する古典・地誌
少林寺縁起
三本足の白狐を得た話が記されます。
狂言不審紙
1827年。少林寺と勝楽寺、二つの伝説の梗概が述べられています。
堺鑑
江戸時代の地誌です。少林寺を「釣狐寺」の名で記します。
白蔵主が登場する漫画・アニメ・ゲーム
狐を題材とする作品
人に化けて説く狐という型は、繰り返し取り上げられます。
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白蔵主についてよくある質問
白蔵主とは何ですか。
日本の妖狐であり稲荷神でもあります。狂言『釣狐』の題材となったとされ、和泉国の少林寺と近江国の勝楽寺を舞台とする伝説が伝わります。
どんな話ですか。
極貧の僧が祈祷すると三本足の白狐が現れ、養うと寺が栄えました。その僧の甥が狐狩りを生業としていたため、狐は僧侶の姿に化けて殺生の戒めを説いたとされます。
狂言『釣狐』とはどんな演目ですか。
狂言のなかでもっとも難しい曲のひとつとされ、一世一代の大曲と呼ばれます。前半は老僧、後半は狐の姿で演じられ、狐が罠の餌に近づく場面が山になります。
なぜ「白蔵主」という名前なのですか。
多田克己によれば、「白」は妖狐の一種である白狐に由来します。また「伯」が「人」と「白」の合成であることに、人に化けた白狐が暗示されているといいます。
白蔵主に会える場所はありますか。
大阪府堺市の少林寺に伝説が伝わります。『堺鑑』では「釣狐寺」の名で記されています。
白蔵主と併せて覚えたい言葉・用語
釣狐(つりぎつね)
白蔵主を題材とした狂言。一世一代の大曲とされる。
耕雲庵(こううんあん)
少林寺の塔頭。伯蔵司が住んでいたとされる。
白狐(びゃっこ)
妖狐の一種。白蔵主の名の由来とされる。
塔頭(たっちゅう)
大きな寺の敷地内にある小さな寺。
白蔵主の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。