「オッパショ」と声を出し、背負うと重くなったという徳島市の石。力士の墓石とされた。

オッパショ石とはどんな妖怪か
オッパショ石はひとことで言えば、声を出した石です。
徳島県徳島市に伝わります。もとは二軒屋町にあり、名のある力士の墓石とされていました。
墓ができてから二、三か月後、この石が「オッパショ」と声を出しはじめました。そこからこの名で呼ばれるようになります。
「オッパショ」とは「背負ってくれ」という意味の言葉です。
言われるままに背負うと、はじめは軽いのに、次第に重さを増していったといいます。
噂が広まって石のそばを通る者は少なくなりましたが、力自慢の男が試しに背負ったところ、やはり重くなりました。男は石を力任せに地面へ叩きつけ、石は真っ二つに割れます。
それ以来、石が声を出すことはなくなったと伝えられます。
オッパショ石の漢字表記と読み方
読みは「おっぱしょいし」です。
名は、石が発した声「オッパショ」からそのまま取られています。
「オッパショ」は「背負ってくれ」という意味の言葉です。「負う」に由来する言い方で、この土地の言葉づかいにあたります。
つまりこの石の名は、姿でも由来でもなく、聞こえた言葉そのものです。
背負ってくれと頼み、背負うと重くなる。この形は各地の妖怪に見られます。新潟県三条市のおばりよん、四国の子泣き爺などが同じ筋書きを持ちます。
「ばりよん」も「負われたい」を意味する土地の言葉であり、名の付き方までよく似ています。
オッパショ石(おっぱしょいし)
もっとも一般的な書き方。
おっぱしょ石(おっぱしょいし)
仮名で書かれることもある。
オッパショ(おっぱしょ)
石が発したとされる声そのもの。名の由来。
オッパショ石の姿と特徴
オッパショ石は、姿かたちを持たない妖怪です。
見た目 … ただの石。名のある力士の墓石とされた。
現れ方 … 「オッパショ」という声を発する。
背負ったときの変化 … はじめは軽く、次第に重さを増す。
終わり … 力自慢の男に叩きつけられて真っ二つに割れ、以後は声を出さなくなった。
恐ろしいのは形ではなく、石が口をきくという一点です。
石は動きません。誰かに化けもしません。ただ声を出し、背負われると重くなる。それだけです。
この石には何者かが取り憑いていると直感した男が力任せに割った、という結末は、正体が石そのものではなく憑いたものにあったことを示しています。
割れた石はいまも残っており、徳島市西二軒屋町と城南町の境にある焼香庵跡の墓地にあります。
姿ではなく、割れた石という物が残っていることが、この話の特徴です。
オッパショ石の伝承物語
力士の墓が声を出しはじめた
この石はもともと、徳島市二軒屋町にありました。
名のある力士の墓石とされていました。力士の名は伝わっていません。
墓ができてから二、三か月後、石が声を出しはじめます。
「オッパショ」。
背負ってくれ、という意味の言葉です。
墓石が背負ってくれと言い出したという、それだけの出来事から、この話は始まります。
言われるままに背負う者が現れました。持ち上げたときは軽いのですが、歩くにつれてどんどん重くなっていきます。
石が声を出すという噂が広まると、人々はこの石のそばを通らなくなりました。
恐ろしいのは、石が人へ話しかけることです。 石が意思を持ち、こちらに頼んでくるということです。
しかも頼みごとの内容は、背負ってくれというだけです。ただ「背負ってくれ」と言うだけです。
そのつつましさが、かえって不気味さを増しています。
力自慢の男が石を叩き割る
噂を聞きつけた力自慢の男が、この石のもとを訪れました。
確かめてみようというのです。
石はやはり「オッパショ」と声を上げました。男は言われたとおりに背負います。
はじめは軽い。しかし歩くうちに、石は次第に重くなりはじめました。
男は、この石には何者かが取り憑いていると直感します。
そして石を力任せに地面へ叩きつけました。
石は真っ二つに割れます。
その後、石が声を出すことは二度とありませんでした。
この結末は、妖怪の話としては珍しい形です。
多くの話では、妖怪は逃げ去るか、姿を消すか、正体を明かして終わります。オッパショ石の場合は、物そのものが壊されて終わります。
そして、割れた石は残りました。
怪異が終わった後の残骸が現存しているという点で、この話は他の妖怪譚と性格が異なります。
背負うと重くなるものたち
背負うことは引き受けること
背負うという行いは、引き受けるということです。重さは、引き受けたものの重さにあたります。
オッパショ石が力士の墓石であったことも、この文脈で読むことができます。生前に重いものを扱った者の墓が、背負われることを望んだ、と。
もっとも、これは一つの読み方にすぎません。なぜ石が声を出したのかは、伝えのなかで説明されていません。
似た形の話として、徳島には「こそこそ岩」、各地には「囀り石」など、音や声を発する石の言い伝えがあります。
オッパショ石の伝承地域
オッパショ石の伝承地は、徳島県徳島市です。
もとは二軒屋町にあり、名のある力士の墓石とされていました。
割られた後の石は、現在西二軒屋町と城南町の境にある焼香庵跡墓地にあります。
妖怪の話でありながら、その物そのものが現存しているという珍しい例です。
ただし、もとの墓がどこにあったかを正確に示すものは確かめられませんでした。力士の名も伝わっていません。
焼香庵跡墓地(しょうこうあんあとぼち)
割れた石が現存する地
焼香庵跡墓地の所在地:徳島県徳島市西二軒屋町
徳島市の西二軒屋町と城南町の境にある墓地です。
力自慢の男に叩き割られたオッパショ石は、現在ここにあります。
もとあった二軒屋町から移されたものです。
妖怪の話でありながら、その物が現存している珍しい例にあたります。
墓地であり、静かに訪れる場所です。
二軒屋町(にけんやちょう)
もとの所在地
二軒屋町の所在地:徳島県徳島市二軒屋町
オッパショ石がもともとあったとされる場所です。
ここに名のある力士の墓が建てられ、その二、三か月後から石が声を出しはじめたと伝えられます。
力士の名は伝わっていません。
現在、石はこの町にはありません。
もとの正確な位置を示すものは確かめられませんでした。
オッパショ石の正体と考えられているもの
オッパショ石の正体については、次のように考えられています。
石に何かが取り憑いたとする見方が、伝えのなかにそのまま書かれています。力自慢の男は「この石には何者かが取り憑いている」と直感し、叩き割りました。石そのものではなく、憑いたものが怪異の主体という理解です。
力士の霊とする見方もあります。名のある力士の墓石であったこと、そして「背負ってくれ」という頼みが、力を扱う者の姿と重なります。ただし力士の名も、なぜ背負われたがったのかも、伝えは語っていません。
背負うと重くなる話の一つとする見方は有力です。おばりよん、子泣き爺、産女など、同じ筋書きの話が各地にあります。オッパショ石は、それが石という動かない物に結び付いた形です。
声を出す石の話とする見方もあります。徳島の「こそこそ岩」、各地の「囀り石」など、音や声を発する石の伝えは珍しくありません。
分かっていないことのほうが多い妖怪です。 割れた石だけが残り、なぜ声を出したのかは説明されないままです。
オッパショ石をめぐる妖怪のつながり
オッパショ石が登場する作品
オッパショ石は、姿が無いために絵になりにくい妖怪です。
石が声を出すという話であり、描くべき形がありません。江戸時代の絵師が描いた例は確かめられませんでした。
そのかわり、割られた石そのものが残っています。 絵として伝わらなかったものが、物として伝わりました。
近年は、徳島の怪異を紹介する書物や催しのなかで名を見ることが増えています。
オッパショ石が登場するそのほか
妖怪の事典類
声を出す石の代表として、囀り石などと並べて紹介されます。
オッパショ石が登場する伝え
徳島市の言い伝え
割れた石が焼香庵跡墓地に残っており、話とともに伝えられています。
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オッパショ石についてよくある質問
オッパショ石とは何ですか。
徳島県徳島市に伝わる、声を出したという石です。もとは二軒屋町にあり、名のある力士の墓石とされていました。「オッパショ」と声を出すことからこの名で呼ばれました。
「オッパショ」とはどういう意味ですか。
「背負ってくれ」という意味の言葉です。言われるままに背負うと、はじめは軽いのに次第に重さを増したと伝えられます。
この石はどうなりましたか。
噂を聞いた力自慢の男が背負ったところ重くなりはじめたため、何かが取り憑いていると直感して力任せに地面へ叩きつけました。石は真っ二つに割れ、以後は声を出さなくなったといいます。
いまはどこにありますか。
徳島県徳島市の西二軒屋町と城南町の境にある焼香庵跡墓地にあります。もとあった二軒屋町から移されたものです。
似た妖怪はいますか。
います。新潟県三条市のおばりよん、四国の子泣き爺など、背負うと重くなる話は各地にあります。声を出す石としては、徳島のこそこそ岩や囀り石が知られます。
オッパショ石と併せて覚えたい言葉・用語
オッパショ(おっぱしょ)
「背負ってくれ」を意味する言葉。石が発したとされ、そのまま名になった。
焼香庵跡墓地(しょうこうあんあとぼち)
徳島市西二軒屋町と城南町の境にある墓地。割れた石が現存する。
こそこそ岩(こそこそいわ)
音を発するとされる石の一つ。オッパショ石と並べて語られる。
囀り石(さえずりいし)
声を発するとされる石。各地に同じ形の言い伝えがある。