傳通院で三年で浄土教を修めたという狐神。いまも蕎麦が供えられる。

逃亡者 「澤蔵司稲荷(東京都文京区小石川)」 2010年 / CC BY-SA 3.0 出典
澤蔵司とはどんな妖怪か
澤蔵司は、狐の神です。東京都文京区小石川の澤蔵司稲荷大明神として祀られています。
もとは、太田道灌が千代田城に勧請した稲荷でした。
元和4年(1618年)4月7日。傳通院の学寮主・極山和尚の夢に、一人の僧侶が現れます。
「某は澤蔵司というものなるが、浄土の修学大望なるが故に明日当寺に来る」
そう告げて、消えました。
翌日、澤蔵司と名乗る僧が訪ねてきます。
住職の廓山上人も、同じ夢を見ていました。
そして澤蔵司は、わずか三年余りで浄土教の奥義をすべて修得しました。
澤蔵司の漢字表記と読み方
読みは「たくぞうす」です。
「司」を「す」と読みます。 僧の名につく読み方です。
傳通院(でんづういん)は、徳川家康の生母於大の方の菩提所です。東京都文京区小石川にあります。
浄土宗の名刹で、学寮が置かれ、多くの僧が学びました。
澤蔵司は、そこで学んだことになっています。
そして、元和6年5月7日の夜、再び住職と学寮主の夢枕に立ちました。
そもそも余は太田道潅公が千代田城内に勧請せる稲荷大明神なるが、浄土の法味を受け多年の大望ここに達せり
正体を明かして、帰りました。
澤蔵司(たくぞうす)
もっとも一般的な表記。
沢蔵司(たくぞうす)
新字体を用いる表記。
澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)
祀られている稲荷神社の名。
澤蔵司の姿と特徴
澤蔵司の残したものは、次のとおりです。
十一面観音像 … 念持仏。
僧形の澤蔵司尊像 … 本尊となった。
『円頓止観』の書
「夏草の歌」
白狐の尾先
居室に、これらが残されていました。
白狐の尾先。それが、正体を告げています。
この十一面観音像を本地仏とし、澤蔵司尊像をご本尊として、澤蔵司稲荷が建立されました。
そして、この観音像には来歴があります。
もと太田道灌の念持仏と伝わり、千代田城の築城中に土中から出土したものです。
いまも、澤蔵司稲荷の神殿内の厨子に安置されています。
澤蔵司の伝承物語
三年で奥義を修める
澤蔵司の話は、入門から始まります。
元和4年(1618年)4月7日。傳通院の学寮主・極山和尚の夢に、一人の僧侶が現れました。
「某は澤蔵司というものなるが、浄土の修学大望なるが故に明日当寺に来る」
そして翌日、澤蔵司と名乗る僧が訪ねてきます。
その日は寮主が留守で、澤蔵司は言付けをして帰りました。
さらに翌々日、4月9日。
極山和尚は、夢のことと、その僧の容貌の非凡な様を見て、入門を許可します。
住職の廓山上人に報告すると、住職も同じ夢を見ていました。
そして澤蔵司は、大変に徳が高く才識絶倫優秀にして、わずか三年余りで浄土教の奥義をすべて修得しました。
もとの神に帰る
元和6年5月7日の夜。
澤蔵司は、住職の廓山上人と学寮主の極山和尚の夢枕に、再び立ちました。
「そもそも余は太田道潅公が千代田城内に勧請せる稲荷大明神なるが、浄土の法味を受け多年の大望ここに達せり。今より元の神に帰りて長く当山を守護して法澤の荷恩に報い長く有縁の衆生を救い、諸願必ず満足せしめん。速く一社を建立して稲荷大明神を祀るべし」
そう残して、暁の雲に隠れたと記されています。
居室には、十一面観音像、僧形の澤蔵司尊像、『円頓止観』の書、「夏草の歌」、そして白狐の尾先が残されていました。
白狐の尾先。
そして、傳通院一山の鎮守として、澤蔵司稲荷が建立されました。
四百年続く蕎麦
澤蔵司には、いまも続いている話があります。
蕎麦です。
澤蔵司が傳通院で修行中、門前に蕎麦を商う店がありました。 澤蔵司は大変そばを好み、よくこの店へ食べに行きました。
店の主人は、その徳を慕って常に供養していたとされます。
そして、もとの神に戻って澤蔵司稲荷尊として祀られてからは、毎日社前に蕎麦を奉納するようになりました。
江戸中期、後期の『澤蔵司縁起』にも「まだ蕎麦の奉納が続いている」と記されます。
明治や昭和初期の記録にも「いまだに奉納が続いている」とあります。
門前の蕎麦屋「稲荷蕎麦萬盛」は現在も営業を続けており、その日の初茹でのお蕎麦が朱塗りの箱に収められ、毎日奉納されています。
開創以来四百有余年、連綿と続いています。
雪の夜の夜回り
『澤蔵司縁起』には、奇瑞がいくつも伝えられます。
傳通院九世相閑のころ。仁右衛門という七十代の道心の深い者が、拝殿の側に住んでいました。
仁右衛門は傳通院山内の夜回りをしており、拍子木を打ちながら夜ごと歩いていました。
雪の夜や雨の晩。
そこへ澤蔵司が現れ出て、こう言いました。
「汝休め。予代らん」
お前は休め。私が代わろう。
そして、代わりに夜回りをしたといいます。
これは、道心の深い老人を澤蔵司が憐れんだものです。
この澤蔵司が夜回りする姿を見た者は、多くいたと伝わります。
霊窟おあな
澤蔵司稲荷には、訪ねられる場所があります。
霊窟「おあな」です。
本堂の東側の崖地にある霊場で、古来より霊狐の棲む霊場として知られ、「おあな」さまとして親しまれています。
石階段を下ると、朱塗りの鳥居に囲まれた祠があります。
『江戸名所図会』や『無量山境内大絵図』にも描かれており、いまも江戸時代よりの面影を色濃く留めています。
そして、この木々が街を守りました。
昭和20年5月25日の空襲で、傳通院方面から類焼してきた火災が、これらの木々によって止まりました。 澤蔵司稲荷境内の建物の一部や、隣接する住宅には燃え広がらずにすみました。
坂を少し上がった所には、御神木の椋の木があります。
平成25年に、文京区天然記念物第一号に認定されました。
澤蔵司の伝承地域
澤蔵司は、東京都文京区小石川3丁目17番地12号の澤蔵司稲荷に祀られています。
徳川家康の生母・於大の方の菩提所である傳通院の鎮守で、元和6年の創建。令和2年に開創400年を迎えました。
別当寺は浄土宗の慈眼院です。
境内には、霊窟「おあな」(古来より霊狐の棲む霊場とされ、『江戸名所図会』にも描かれる)と、坂を上がった所に御神木の椋の木(平成25年に文京区天然記念物第一号に認定)があります。
門前の蕎麦屋「稲荷蕎麦萬盛」は現在も営業し、開創以来四百有余年、毎日その日の初茹での蕎麦が奉納されています。
年中行事としては、初午祭(2月上旬)、春季例大祭(4月上旬、澤蔵司尊像ご開帳)、ムクノキ祭り(6月上旬)、秋季例大祭(9月上旬)などがあります。
慈眼院 澤蔵司稲荷(じげんいん たくぞうすいなり)
澤蔵司を祀る伝通院の塔頭
慈眼院 澤蔵司稲荷の所在地:東京都文京区小石川3-17-12
伝通院の学寮にいた澤蔵司を祀ります。
元和6年、伝通院中興第一世正譽廓山上人が澤蔵司十一面観世音を勧請したのに始まるとされます。
都営三田線・大江戸線の春日駅から歩けます。
澤蔵司の正体と考えられているもの
澤蔵司については、次のように整理できます。
一つめは、千代田城の稲荷です。澤蔵司自身が「余は太田道潅公が千代田城内に勧請せる稲荷大明神なるが」と名乗りました。 道灌が築城中に土中から十一面観音像を掘り出し、その場に稲荷社を建てたと伝わります。
二つめは、白狐です。居室に残されたものの中に、白狐の尾先がありました。 それが正体を告げています。
三つめは、学ぶ者です。わずか三年余りで浄土教の奥義をすべて修得しました。化かすためではなく、学ぶために来た狐です。
四つめは、守護神です。もとの神に帰るにあたり、「長く当山を守護して法澤の荷恩に報い、長く有縁の衆生を救い」と告げました。傳通院一山の鎮守となっています。
澤蔵司は、いまも祀られています。 そして、四百年以上、毎日蕎麦が供えられ続けています。
寺のために働いた狐には、宗旦狐もあります。千宗旦に化けて茶席に現れ、後に相国寺の僧堂の守護神として祀られました。
澤蔵司をめぐる妖怪のつながり
澤蔵司が登場する作品
澤蔵司は、いまも祀られている神です。
縁起が伝わり、社があり、蕎麦の奉納が四百年以上続いています。 妖怪の話でありながら、生きた信仰の場を持っています。
資料は『澤蔵司縁起』と、江戸の地誌に分かれます。
澤蔵司が登場する古典
澤蔵司縁起
澤蔵司稲荷に伝わる縁起。入門から神に帰るまで、奇瑞の数々を記します。
江戸名所図会
霊窟「おあな」や御神木の椋の木が描かれています。
澤蔵司が登場する研究
澤蔵司が登場する漫画・アニメ
妖怪をまとめて扱う作品
狐にまつわる話として、稲荷の狐と並べて取り上げられます。
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澤蔵司についてよくある質問
澤蔵司とは何ですか。
狐神です。太田道灌によって千代田城に勧請され、その後元和年間に傳通院で仏法や学問を学んだとされます。 現在は東京都文京区小石川に澤蔵司稲荷大明神として祀られています。
どうやって正体がわかったのですか。
もとの神に帰ると告げて姿を消した後、居室に白狐の尾先が残されていました。 ほかに十一面観音像、僧形の澤蔵司尊像、『円頓止観』の書、「夏草の歌」も残されました。
蕎麦の話とは何ですか。
澤蔵司は大変そばを好み、門前の蕎麦屋によく通いました。 神に戻ってからは毎日社前に蕎麦が奉納されるようになり、門前の「稲荷蕎麦萬盛」は現在も営業し、開創以来四百有余年、毎日その日の初茹でが奉納されています。
いまも行けますか。
行けます。 東京都文京区小石川3丁目17番地12号です。境内には霊窟「おあな」があり、坂を上がった所には文京区天然記念物第一号の御神木の椋の木があります。
澤蔵司と併せて覚えたい言葉・用語
傳通院(でんづういん)
東京都文京区小石川の浄土宗の寺。徳川家康の生母・於大の方の菩提所。
太田道灌(おおたどうかん)
室町時代の武将。江戸城の前身である千代田城を築いた。
おあな(おあな)
澤蔵司稲荷の霊窟。古来より霊狐の棲む霊場とされる。