九州に伝わる河童のような妖怪。たいへん毛深く、ナスを好み、風呂に入りに来るという。

鳥山石燕 「画図百鬼夜行 ひやうすべ」 1776年 / パブリックドメイン 出典
ひょうすべとはどんな妖怪か
ひょうすべはひとことで言えば、毛深い河童です。
佐賀県や宮崎県をはじめ、九州地方に伝わります。
呼び方は土地によって違い、ヒョウスヘ、ヒョウズンボ、ヒョウスボ、ヒョースンボ、ヒョースボー、ヒョスボなどが用いられました。
佐賀県ではカッパやガワッパ、長崎県ではガアタロの別名ともされます。
河童が彼岸の時季に川と山とを移動するという言い伝えの多くは、ひょうすべたちに見られるものです。
このとき発せられるという「ヒョーヒョー」という鳥のような鳴き声が、呼び名の由来になったとも語られています。
ナスを好むといい、畑の初ナスをひょうすべに供える風習があります。
たいへん毛深いことが、姿の上での特徴です。
ひょうすべの漢字表記と読み方
読みは「ひょうすべ」です。
各地でヒョウスヘ、ヒョウズンボ、ヒョウスボ、ヒョースンボ、ヒョースボー、ヒョスボなど、さまざまに呼ばれてきました。
名の由来については、いくつもの説があります。
鳴き声からとする説。彼岸の時季に川と山とを移動する際に発するという「ヒョーヒョー」という鳥のような声に由来する、というものです。
兵部からとする説。『北肥戦誌』は、兵部大輔の任にあった橘島田丸が河童を鎮めたことから、「主は兵部」という意味で「兵主部」と呼ぶようになったと記します。
兵主神からとする説。古代中国の兵主神の「ひょうず」が語源とするものです。
いずれとも決まっておらず、近世以前の起源については不明な点が多いとされます。
ひょうすべ(ひょうすべ)
もっとも一般的な書き方。
兵主部(ひょうすべ)
『北肥戦誌』での書き方。
ヒョウスボ(ひょうすぼ)
各地での呼び方の一つ。ヒョウズンボなどともいう。
ひょうすべの姿と特徴
ひょうすべの姿は、毛深さで語られます。
体毛 … たいへん毛深い。ここが最大の特徴。
頭 … 禿頭として描かれる。
表情 … 絵巻ではユーモラスな表情。
好むもの … ナス。
鳴き声 … ヒョーヒョーという鳥のような声。
江戸時代に描かれた絵巻物では、毛深く禿頭で、ほぼ同じ表情とポーズで描かれています。
鳥山石燕も『画図百鬼夜行』に、同じポーズをとるひょうすべを描きました。
多田克己は、東南アジアに生息するテナガザルをもとにしたのではないかと考察しています。
毛深さにまつわる話も伝わります。
ひょうすべが民家に忍び込んで風呂に入ったところ、浸かった後の湯船には大量の体毛が浮かんでおり、その湯に触れた馬が死んでしまったといいます。
毛深さそのものが害をなすという、珍しい形の話です。
ひょうすべの伝承物語
風呂に入りに来る
ひょうすべの話でよく知られているのが、風呂にまつわるものです。
ひょうすべが民家に忍び込んで風呂に入ったところ、浸かった後の湯船には大量の体毛が浮かんでいました。
その湯に触れた馬が死んでしまったといいます。
似た話もあります。
ある薬湯屋で、毎晩のようにひょうすべが湯を浴びに来ていました。ひょうすべの浸かった後の湯には一面に毛が浮いて臭くなってしまいます。
そこで、わざと湯を抜いておいたところ、薬湯屋で飼っていた馬を殺されてしまったといいます。
九州に広がる、風呂を汚す河童
河童が人家の風呂に入って汚してしまう話は、九州地方に広く見られます。
そこにひょうすべ独特の毛深さが加わったのが、この一連の話です。
河童が馬を水に引き込もうとする話は各地にあり、河童と馬は結び付けて語られてきました。ひょうすべの話でも、報復の対象は人ではなく馬です。
なお、ひょうすべはナスを好むといい、畑の初ナスを供える風習があります。ナス畑を荒らすひょうすべを目撃した女性が、全身が紫色になる病気で死んでしまったという話も伝わります。
橘島田丸と水神信仰
ひょうすべという呼び方は、河童よりも古くから伝わっているともいわれます。
その由来として、『北肥戦誌』などに見える橘島田丸の伝説があります。
神護景雲二年、春日大社が三笠山に移された際のことです。
内匠頭が秘法を用いて人形に命を与え、社殿を建てるための働き手としました。しかし完成後に不要となった人形を川に捨てたところ、人形が河童に化けて人々に害をなしたといいます。
称徳天皇の命により、兵部大輔の任にあった橘島田丸がそれを鎮めました。
主は兵部 ─ 呼び名の由来
そこから、その河童たちを「主は兵部」という意味で「兵主部」と呼ぶようになったと『北肥戦誌』は記します。
嘉禎三年、島田丸の子孫である武将橘公業が伊予国から佐賀県武雄市に移り、潮見神社の背後の山頂に潮見城を築きました。
その際、橘氏の眷属であった兵主部も、ともに潮見川へ移り住んだといわれます。
島田丸が水神を祀る渋江氏の祖先であることなどから、九州における渋江氏を通じた水神信仰が、ひょうすべという名の広まりに影響したとも考えられています。
現在も潮見神社では、橘氏の先祖たちとともに兵主部が眷属として祀られています。
約束を忘れるなという唱えごと
潮見神社の宮司である毛利家には、水難や河童除けの唱えごとが伝わっています。
ひょうすべよ約束せしを忘るなよ川立おのがあとはすがわら
「兵主部たちよ、約束を忘れてはいないな。水泳の上手な男は菅原道真公の子孫であるぞ」という意味の言葉だとされます。
この形の呪文は、近世以降に類似のものが数多く記録・伝承されてきました。
もとになっているのは、九州の大宰府へ左遷された菅原道真が河童を助け、その礼に河童たちが道真の一族には害を与えないと約束を交わしたという伝えです。
諫早の兵揃 ─ 地名に残る
肥前国の諫早には「兵揃」という地があり、そこで天満宮をあずかっていた渋江久太夫が河童除けの札を出していたという記述が、『和漢三才図会』や近世の随筆にしばしば見られます。
ただし、柳田國男が指摘するように、兵揃村という村名は確認されていません。
一方、昭和以降の妖怪図鑑などでは、石燕の絵をもとに「見ると病気になる」「笑うのにつられて自分も笑うと死んでしまう」といった解説が数多く見られます。
これらのうち、笑いにまつわる解説は創作であろうと指摘されています。民間の伝承とは無関係のものです。
兵主部という村の名 ─ 山人の系譜
ひょうすべの名は、兵主部と書かれます。折口信夫は、この語を山に住む人々の集団名として説明しました。
大和では、山人の村が、あちこちにありました。穴師山では、穴師部又は、兵主部といふのが其です。此神及び神人が、三輪山の上高く居て、其神の暴威を牽制して居たのです。
(神人=じにん。社に仕えて働く者)
兵主部は、もともと人の集団の名でした。 大和の穴師山に住み、三輪山の神の荒ぶりを抑える役を負っていたといいます。
折口はさらに、こうした村が自らの由緒をどう語ったかも書いています。
寺の夜叉神の役であり、社の神の服従者なるおにの子孫であると言ふ考へ方から、村の先祖を妖怪としてゐます。
先祖を妖怪だと名乗る村があった。 九州のひょうすべが河童と重ねられていく背景に、この人と妖怪の入れ替わりがあります。
ひょうすべの伝承地域
ひょうすべの伝承地は、佐賀県や宮崎県をはじめとする九州地方です。
もっとも確かなゆかりの地は、佐賀県武雄市の潮見神社です。橘氏の先祖たちとともに兵主部が眷属として祀られており、宮司の毛利家には水難・河童除けの唱えごとが伝わっています。
もう一つ、長崎県諫早市には河童除けの札を出していたという渋江久太夫の記述が残ります。
ただし、その地とされる「兵揃村」という村名は確認されておらず、正式な村名であったかは不明です。
九州各地に広く分布する妖怪であり、一つの土地に絞ることはできません。
潮見神社(しおみじんじゃ)
兵主部を眷属として祀る社
潮見神社の所在地:佐賀県武雄市
橘公業が伊予国から移り住み、背後の山頂に潮見城を築いたと伝えられる地の社です。
現在も、橘諸兄をはじめとした橘氏の先祖たちとともに、兵主部が眷属として祀られています。
その際、橘氏の眷属であった兵主部もともに潮見川へ移り住んだといわれます。
宮司の毛利家には、水難・河童除けの唱えごとが伝わっています。
ひょうすべの名が信仰の場に残っている数少ない例です。
諫早(いさはや)
河童除けの札が出されたと伝わる地
諫早の所在地:長崎県諫早市
肥前国の諫早には「兵揃」という地があったとされます。
そこで天満宮をあずかっていた渋江久太夫が河童除けの札を出していたという記述が、『和漢三才図会』や近世の随筆に見られます。
ただし柳田國男が指摘するように、兵揃村という村名は確認されておらず、正式な村名であったかどうかは不明です。
佐賀県外ですが、旧肥前国として同じ圏内にあたります。
ひょうすべの正体と考えられているもの
ひょうすべの正体については、次のように考えられています。
河童の地方名とする見方が広く行われています。佐賀県ではカッパやガワッパ、長崎県ではガアタロの別名ともされます。ただし多田克己は、ひょうすべが河童の仲間とされたのは江戸時代からで、それ以前は別の存在だったと述べています。
水神信仰から広まったとする見方も有力です。橘島田丸が水神を祀る渋江氏の祖先であることから、九州における渋江氏を通じた水神信仰が「ひょうすべ」という名の伝播に影響したと考えられています。
兵主神に由来するとする見方もあります。古代中国の兵主神は渡来の人々が伝えたとされ、本来は武の神ですが、日本では食料の神として信仰されました。
鳴き声に由来するとする見方も語られます。「ヒョーヒョー」という鳥のような声からという説です。
テナガザルをもとにしたとする見方もあります。多田克己は、絵巻に描かれた毛深い姿から、東南アジアに生息するテナガザルを想定しています。
近世以前の起源については不明な点が多いとされます。
ひょうすべをめぐる妖怪のつながり
ひょうすべが登場する作品
ひょうすべは、絵と伝承が食い違ったまま広まった妖怪です。
江戸時代の絵巻や石燕の絵は、毛深く禿頭のユーモラスな姿を伝えました。
しかし昭和以降の妖怪図鑑では、その絵をもとに「見ると病気になる」「笑うのにつられて自分も笑うと死んでしまう」といった解説が数多く加えられました。
このうち笑いにまつわる解説は創作であろうと指摘されており、民間の伝承にはありません。
読むときには、絵に付けられた後世の説明と、九州各地の言い伝えとを分けて考える必要があります。
ひょうすべが登場する絵
江戸時代の絵巻物
毛深く禿頭のユーモラスな姿で、ほぼ同一の表情とポーズで描かれます。
ひょうすべが登場するそのほか
昭和以降の妖怪図鑑
石燕の絵をもとに、伝承とは無関係の解説が加えられた例があります。
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ひょうすべについてよくある質問
ひょうすべとは何ですか。
佐賀県や宮崎県をはじめとする九州地方に伝わる妖怪です。河童のような存在とされ、たいへん毛深いことが姿の特徴です。ヒョウスボ、ヒョウズンボなど、土地によって呼び方が違います。
名前の由来は何ですか。
諸説あります。彼岸の時季に川と山を移動する際の「ヒョーヒョー」という鳴き声からとする説、『北肥戦誌』にある橘島田丸が兵部大輔であったことから「主は兵部」とする説、古代中国の兵主神からとする説などがあり、決まっていません。
風呂の話とは何ですか。
ひょうすべが民家に忍び込んで風呂に入ったところ、浸かった後の湯船に大量の体毛が浮かんでおり、その湯に触れた馬が死んでしまったという話です。薬湯屋がわざと湯を抜いたところ、飼っていた馬を殺されたという話もあります。
ゆかりの場所はありますか。
佐賀県武雄市の潮見神社です。橘諸兄をはじめとした橘氏の先祖たちとともに、兵主部が眷属として祀られています。宮司の毛利家には水難・河童除けの唱えごとが伝わっています。
笑うと死ぬというのは本当ですか。
後世の文献に見える説です。昭和以降の妖怪図鑑に見られる解説で、創作であろうと指摘されています。石燕の絵をもとに、伝承とは無関係の説明が加えられたものです。
ひょうすべと併せて覚えたい言葉・用語
兵主部(ひょうすべ)
『北肥戦誌』での書き方。「主は兵部」という意味とされる。
橘島田丸(たちばなのしまだまろ)
兵部大輔の任にあり、河童を鎮めたとされる人物。渋江氏の祖先。
潮見神社(しおみじんじゃ)
佐賀県武雄市の社。兵主部を眷属として祀る。
ガワッパ(がわっぱ)
九州での河童の呼び方。佐賀県ではひょうすべの別名ともされる。
ひょうすべの参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。