蜃気楼を作り出す生物。竜の類とも、巨大なハマグリともいう。

鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 蜃気楼」 1781年 / パブリックドメイン 出典
蜃とはどんな妖怪か
蜃は、蜃気楼を作り出すといわれる生物です。
古代の中国と日本で伝承されており、竜の類とする説と、巨大なハマグリとする説があります。
「蜃気楼」という言葉そのものが、この生物から来ています。
蜃が「気」(吐き出す息)を吐いて、「楼」(高い建物)を出現させると考えられたことに由来します。
司馬遷『史記』天官書に、その記述があります。
蜃(瑞龍の類)の気によって楼が形づくられる。
そして、鳥山石燕はハマグリを採りました。
『今昔百鬼拾遺』(1781年)で、「蜃とは大蛤なり」と述べ、大ハマグリが気を吐いて楼閣を作り出す姿を描いています。
蜃の漢字表記と読み方
読みは「しん」です。みずちとも読みます。
字の成り立ちがわかっています。
漢字の「蜃」は、音を表す「辰」と意味を示す「虫」とを組み合わせた形声文字で、ハマグリを意味する単語を表記するために作られたものです。
もとは、ハマグリの字です。
そして、混同が起きました。
中国春秋の頃の『礼記』「月令」では、蜃に竜とハマグリの2通りの説があるのは、ハマグリの蜃が竜族の蜃と同名であるために両者が混同されたためと述べられています。
同じ名だったから、混ざりました。
蜃(しん)
もっとも一般的な表記。
蜃(みずち)
竜の類とする読み方。
蜃気楼(しんきろう)
蜃が気を吐いて楼を作るという意味の語。
車螯(わたりがい)
大型のハマグリ。別名を蜃ともいう。
蜃の姿と特徴
蜃の姿は、二つに分かれます。
竜の類として(『本草綱目』1578年)
ヘビに似たもので、角、赤いひげ・鬣をもち、腰下の下半身は逆鱗。 蛟竜(竜の一種)に属する。
ハマグリとして(『彙苑』1590年)
ハマグリの別名を蜃といい、春や夏に海中から気を吐いて楼台を作り出す。
石燕は、ハマグリを描きました。
絵では、波間に大きなハマグリが口を開け、そこから立ち上る気のなかに山と城郭のある町が浮かんでいます。
そして、面白い記述があります。
『本草綱目』には、蜃の脂を混ぜて作ったろうそくを灯しても、幻の楼閣が見られるとあります。
蜃の伝承物語
キジが海に入る
蜃の生まれ方には、変わった説があります。
『礼記』には、こうあります。
キジが大水の中に入ると蜃になる。
そして、この発想は日本にも伝わりました。
宋の百科辞典『埤雅』の著者・陸佃も同様に、蜃はヘビとキジの間に生まれるものと述べています。
発生の順序まで書かれています。
ヘビがキジと交わって卵を産み、それが地下数丈に入ってヘビとなり、さらに数百年後に天に昇って蜃になる。
数百年かかります。
ヘビ、キジ、地下、そして天。
鳥と蛇が交わり、地に潜り、空へ昇って、海の幻を吐く。 順序をたどるだけで、めまいがします。
竜か、ハマグリか
蜃をめぐる二つの説は、日本でも並びました。
竜とする説。
江戸時代の貝原益軒『大和本草』1709年に記述され、知識層に広がりました。
両方を並べた本もあります。
寺島良安『和漢三才図会』1712年には、竜類に属する蜃が蜃気楼を起こすという記述と、大型のハマグリである車螯(わたりがい)が蜃気楼を起こすという記述の2種類があります。
そして、車螯は別名を蜃ともいうが、竜類の蜃とは別種のものとしています。
きちんと分けています。
そして、石燕はハマグリを採りました。
『今昔百鬼拾遺』で「蜃とは大蛤なり」と述べ、絵に描いたことで、巨大なハマグリ説は、のちに絵図として庶民に伝わって楽しまれました。
蜃の腹の中
『後西遊記』には、蜃気楼に入り込んだ話があります。
大顛法師半偈の一行が、旅の途中で大変にぎやかな市街にさしかかりました。
ところが、それは蜃気楼でした。
一行は、蜃の腹の中にいたのです。
街に入ったつもりが、生き物の中でした。
蜃気楼は、遠くに見えるものです。
しかし、この話では中に入れてしまいます。
そして、出られたのかどうかは、ここには書かれていません。
蜃気楼は、実際には光の屈折で起こる現象です。
富山湾の蜃気楼は、いまも春先に見られます。 見えるのは、対岸の景色が伸びたり反転したりしたものです。
蜃の伝承地域
蜃には、訪ねられる伝承地がありません。
古代の中国と日本で伝承された生物であり、特定の土地に結びついたものではないためです。
蜃気楼そのものは、いまも各地で見られます。
とくに富山湾の蜃気楼は知られており、春先に対岸の景色が伸びたり反転したりして見えます。魚津市には蜃気楼を観測・展示する施設があります。
ただし、それは自然現象であって、蜃を伝える場所ではありません。
碑も祠も、この名では見つかっていません。
無い場所を、あるように書くことはしません。この欄は空のままにしてあります。
蜃の正体と考えられているもの
蜃の正体については、次のように整理できます。
一つめは、大ハマグリです。漢字の「蜃」はハマグリを意味する単語を表記するために作られた形声文字です。 石燕は「蜃とは大蛤なり」と述べ、絵に描きました。
二つめは、竜です。『本草綱目』(1578年)は、蛟竜(竜の一種)に属する蜃が気を吐いて蜃気楼を作るとし、ヘビに似て角、赤いひげ・鬣をもち、腰下は逆鱗とします。
三つめは、同名による混同です。『礼記』は、ハマグリの蜃が竜族の蜃と同名であるために両者が混同されたと、史記とほぼ同時期に述べています。
四つめは、キジとヘビです。キジが大水の中に入ると蜃になる、あるいはヘビとキジの間に生まれるとされました。
五つめは、光の屈折です。蜃気楼は、実際には大気中で光が曲がることで起こります。
蜃が何であったかは、わかっていません。 ただ、海の底に何かがいて息を吐いているという説明は、二千年以上使われました。
蜃をめぐる妖怪のつながり
蜃が登場する作品
蜃は、言葉そのものが残った生物です。
「蜃気楼」という語は、いまも日常で使われています。 その「蜃」が何であるかを知る人は多くありませんが、字は生きています。
資料は中国の史書・本草書と、日本の本草書・絵に分かれます。
蜃が登場する古典
史記
司馬遷。天官書に「蜃の気によって楼が形づくられる」とあります。
本草綱目
1578年。蛟竜に属する蜃が気を吐くとし、姿を詳しく記します。
蜃が登場する研究
蜃が登場する漫画・アニメ
妖怪をまとめて扱う作品
海の怪異として、蜃気楼と並べて取り上げられます。
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蜃についてよくある質問
蜃とは何ですか。
蜃気楼を作り出すといわれる伝説の生物です。竜の類とする説と、巨大なハマグリとする説があります。
「蜃気楼」という言葉の由来は何ですか。
蜃が「気」(吐き出す息)を吐いて、「楼」(高い建物)を出現させると考えられたことに由来します。司馬遷『史記』天官書にその記述があります。
なぜ二つの説があるのですか。
『礼記』は、ハマグリの蜃が竜族の蜃と同名であるために両者が混同されたためと述べています。漢字の「蜃」は、もともとハマグリを表記するために作られた形声文字です。
石燕はどちらを採ったのですか。
ハマグリです。 『今昔百鬼拾遺』の「蜃気楼」の解説文で「蜃とは大蛤なり」と述べ、大ハマグリが気を吐いて楼閣を作り出す姿を描きました。 これにより巨大なハマグリ説が庶民に広まりました。
蜃と併せて覚えたい言葉・用語
蜃気楼(しんきろう)
大気中の光の屈折で遠くの景色が伸びたり反転して見える現象。
車螯(わたりがい)
大型のハマグリ。別名を蜃ともいう。
蛟竜(こうりゅう)
竜の一種。『本草綱目』は蜃をこれに属するとした。