奥州へ左遷されて死んだ歌人・藤原実方の怨念が雀となり、宮中へ入って米を食い荒らしたという怪異。

鳥山石燕 「今昔画図続百鬼 入内雀」 1779年 / パブリックドメイン 出典
入内雀とはどんな妖怪か
入内雀は、恨みが雀になったものです。
もとは人でした。平安の歌人藤原実方。一条天皇の勘気に触れ、「歌枕を見てまいれ」と命じられて陸奥守に落とされます。
任地の名取で落馬して死に、その恨みが雀となって都へ戻りました。宮中の台盤所(御所の台所)に入り込み、米を食い荒らしたといいます。
内裏に入る雀。 それが「入内雀」という名です。
柳田国男も『地名の研究』でこの話に触れています。
藤原実方が歌枕を見て参れと奥州へやられた事実は非常に悲しむべき不幸と考えられた。(中略)実方はそのために恨み死をして雀になったのである。
鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』に、松の下で空を見上げる公家と、飛び去る雀の群れを描きました。
入内雀の漢字表記と読み方
「にゅうないすずめ」と読みます。
「入内」は内裏に入るという意味です。宮中へ入り込んで米を食う雀、という名がそのまま怪異の名になりました。
この名は、実在の鳥にも付いています。ニュウナイスズメは北日本の山地で繁殖するスズメ科の鳥で、頬に黒い斑がないことで普通のスズメと見分けます。群れで田に降り、稲を食べます。
怪異の名が、そのまま鳥の和名になった。 稲を荒らす鳥の群れに、実方の恨みが重ねられた と考えると、名の付き方がつながります。
入内雀(にゅうないすずめ)
もっとも一般的な表記。内裏に入る雀の意。
入内雀(にうないすずめ)
歴史的仮名遣いによる読み。
実方雀(さねかたすずめ)
藤原実方の名を冠した言い方。
ニュウナイスズメ(にゅうないすずめ)
実在の鳥の和名。この怪異に由来するとされる。
入内雀の姿と特徴
入内雀の姿は、ただの雀です。
石燕の絵に描かれているのも、群れをなして飛ぶ小鳥にすぎません。角も牙も炎もありません。異形の要素が一つもない のが、この妖怪の特徴です。
代わりに描かれているのが、人のほうです。松の下に、公家の装束をまとった男が身を横たえ、空を仰いでいます。飛び去る雀を見送る姿とも、これから雀になる姿とも読めます。
賛には、こう記されています。
入内雀 藤原實方 奥州へ左遷
恐ろしいのは鳥ではなく、その来歴です。 姿ではなく、誰であったかで恐れられた妖怪 でした。
入内雀の伝承物語
歌枕を見てまいれ ─ 左遷される
藤原実方は、中古三十六歌仙に数えられる歌人です。花山天皇・一条天皇に仕えました。
小倉百人一首の五十一番、「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」の作者でもあります。
その実方が、宮中で藤原行成と争いを起こしました。名取市歴史民俗資料館の説明では、一条天皇はこう命じたとあります。
歌枕を見てまいれ
(歌枕=和歌に詠まれてきた土地の名)
歌人に、歌の土地を見てこいと言う。 体裁は雅な命令ですが、実際は陸奥守への左遷 でした。
柳田国男は、この命令が当時どう受け取られたかを書いています。
歌枕を見て来るとは、和歌に用いられる地学上の用語を実物と比較して研究することであって、今日の学問から言えばむしろ名誉なる事業である
いまの目で見れば名誉な仕事だ、と柳田は言います。 しかし当時は、都を離れること自体が不幸でした。
笠島の道祖神の前で落馬する
実方は、任地で死にました。
名取市歴史民俗資料館の説明はこうです。
佐具叡神社で落馬により命を落としてしまいました
土地に伝わる形では、もう少し具体的です。笠島の道祖神の前を、馬に乗ったまま通り過ぎようとした。神前で下馬しなかったため神罰が下り、馬が倒れて下敷きになった、と語られます。
長徳四年(998年)のこととされます。
都を追われ、任地で神に咎められて死ぬ。 恨みが残る条件が、これ以上ないほど揃っています。
墓は、いまも名取市愛島塩手にあります。
雀になって内裏へ戻る
実方の恨みは、都へ帰りました。
雀の姿でです。宮中の台盤所に入り込み、供御の米を食い荒らしたと語られます。
柳田国男の書き方は、あっさりしています。
実方はそのために恨み死をして雀になったのである。
説明も理由も付けません。 恨み死にした、だから雀になった。当時それだけで通る話でした。
なぜ雀なのか。米を食うからです。都を追われた者が都へ帰る手立てとして、宮中の飯を食い荒らすより直接的なものはありません。
石燕はこの話に絵を付け、『今昔画図続百鬼』に収めました。
西行と芭蕉が墓を訪ねる
実方の墓には、歌人が訪れました。
名取市歴史民俗資料館は、こう記しています。
実方の悲運の死を哀悼し、西行法師や松尾芭蕉などの歌人が名取の地を訪れています
西行は、朽ちた墓に薄が茂るのを見て歌を詠んだと伝えられます。
松尾芭蕉は『おくのほそ道』の旅で、この地を目指しました。芭蕉の記述には、実方が花かつみを菖蒲の代わりに葺けと言ったという故事も引かれています。
怨霊の話と、歌人の巡礼が同じ墓に重なっています。 妖怪としての入内雀を恐れる人がいる一方で、歌人としての実方を悼む人が、同じ場所を訪ねてきました。
恨んだ側が、悼まれる側でもある。 入内雀は、その二重さを名の中に持っています。
入内雀の伝承地域
入内雀そのものの伝承地はありません。内裏に入った雀の話なので、京都の宮中が舞台です。
訪ねられるのは、藤原実方の墓です。名取市愛島塩手にあり、市の歴史民俗資料館が史跡として案内しています。
近くには笠島の道祖神もあります。実方が下馬せずに通り、神罰を受けたと伝わる場所です。
藤原実方の墓(ふじわらのさねかたのはか)
入内雀となった歌人の墓
藤原実方の墓の所在地:宮城県名取市愛島塩手字北野42
平安の歌人藤原実方の墓と伝わります。陸奥守として赴任中に落馬して亡くなった地とされ、名取市歴史民俗資料館が史跡として紹介しています。
西行と松尾芭蕉が、実方の死を悼んで訪れたと伝えられる場所です。田畑に囲まれた小高い一角に、塚と石碑が残ります。
JR名取駅から車。周囲は住宅と田畑で、駐車場は限られる。
入内雀の正体と考えられているもの
入内雀の正体は、田を荒らす鳥の群れです。
ニュウナイスズメという鳥が実在します。北日本の山地で繁殖し、秋になると群れで田に降りて稲を食べます。普通のスズメより群れが大きく、被害も目立ちます。
その群れに名を与えるとき、都を追われて死んだ歌人の名が選ばれました。
なぜ実方だったのか。 三つの条件が揃っています。
一つめ、都を追われた。恨む理由があります。
二つめ、任地で不慮の死を遂げた。恨みが晴れていません。
三つめ、歌人として名が知られていた。名前を出せば、誰もが話を思い出せます。
原因の分からない稲の被害に、誰かの名を与える。 実盛虫がウンカに斎藤実盛の名を当てたのと、まったく同じ形です。
農村の害は、いつも誰かの恨みとして説明されました。
入内雀をめぐる妖怪のつながり
入内雀が登場する作品
入内雀は、歌人の一生がそのまま怪異になった例です。
左遷、落馬、そして雀。 一つの死が、説話集では人の話として、石燕の画集では妖怪として、家集と紀行では墓を訪ねる歌として書き継がれました。
同じ人物を、四通りの本が別々の顔で扱っています。 どの本で読むかによって、実方は罪人にも、歌人にも、妖怪にもなります。
入内雀が登場する説話
入内雀が登場する妖怪画
入内雀が登場する和歌・紀行
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入内雀についてよくある質問
入内雀とはどんな妖怪ですか。
平安の歌人・藤原実方の怨念が雀になったものです。奥州へ左遷されて死んだ実方の恨みが都へ戻り、宮中の台盤所の米を食い荒らしたと語られました。
なぜ「入内」というのですか。
内裏に入る雀という意味です。宮中へ入り込んで米を食う雀、という名がそのまま怪異の名になりました。
藤原実方はなぜ左遷されたのですか。
宮中で藤原行成と争いを起こし、一条天皇に「歌枕を見てまいれ」と命じられて陸奥守にされました。名取市の説明では、任地で落馬して亡くなっています。
ニュウナイスズメという鳥はいますか。
います。北日本の山地で繁殖するスズメ科の鳥で、頬に黒い斑がないことで普通のスズメと見分けます。群れで田に降り、稲を食べます。
入内雀に会える場所はありますか。
宮城県名取市愛島塩手に藤原実方の墓があります。西行と松尾芭蕉が訪れたと伝えられる場所です。
入内雀と併せて覚えたい言葉・用語
歌枕(うたまくら)
和歌に詠まれてきた土地の名。実方はこれを見てこいと命じられた。
台盤所(だいばんどころ)
宮中の台所。入内雀が米を食い荒らしたとされる場所。
中古三十六歌仙(ちゅうこさんじゅうろっかせん)
平安中期の代表的な歌人三十六人。藤原実方はその一人。
道祖神(どうそじん)
村境や辻に立つ神。実方は笠島の道祖神前で下馬せず、神罰を受けたと伝わる。
入内雀の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。