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佐賀県

神社姫(じんじゃひめ)とはどんな妖怪か|姿と伝承

神社姫  / ジンジャヒメ

予言獣水の妖怪 各地の伝説

文政年間に肥前の浜辺に現れ、病の流行を予言したという人魚に類するもの。

神社姫の姿を描いた図

加藤曳尾庵 「我衣 神社姫」 1804〜1817年 / パブリックドメイン 出典

神社姫とはどんな妖怪か

神社姫はひとことで言えば、病の流行を予言した人魚です。

加藤曳尾庵の『我衣』に記されています。

文政二年四月十八日、肥前国のある浜辺に、全長二丈あまりの、二本の角と人の顔を持つ魚のようなものが現れました。腹は紅のように赤かったといいます。

肥前国は、現在の佐賀県および長崎県にあたります。

目撃者は八兵衛という漁師でした。

その者に向かって「我は龍宮よりの使者・神社姫である。向こう七年は豊作だが、その後にコロリという病が流行る。しかし我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう」と語ったと伝えられます。

尾びれが三つに分かれた剣の形をしていることが特徴です。

神社姫の漢字表記と読み方

読みは「じんじゃひめ」です。

なぜ「神社」の字が当てられているのかは、はっきりしていません。

龍宮からの使者を名乗っていることから、水にまつわる社と結び付けられた可能性が考えられますが、確かめられませんでした。

これによく似たものに「姫魚」があります。読みは「ひめうお」で、文政二年の卯月十五日に肥前平戸に現れたとされる龍神の使者です。

静岡県沼津には「神池姫」が伝わります。

新潟県では、嘉永年間に「大神社姫」と称するものが浜に出現したという摺物が出回りました。

名を少しずつ変えながら、同じ形の話が各地に広まっていったことがわかります。

神社姫(じんじゃひめ)

もっとも一般的な書き方。

姫魚(ひめうお)

姿かたちの酷似した、平戸に現れたとされるもの。

大神社姫(だいじんじゃひめ)

嘉永年間に新潟の浜に出現したとされる摺物での名。

神社姫の姿と特徴

神社姫の姿は、絵とともに伝えられています。

全長 … 二丈あまり、およそ六メートル。
… 二本。
… 人の顔。
… 魚のよう。腹は紅のように赤い。
尾びれ … 三つに分かれた剣の形。

三つに分かれた剣のような尾びれが、この系統の絵に共通する特徴です。

よく似た「姫魚」の彩色画も現存しています。長さは一丈三尺、黄金色で、背に宝珠が三つあると端書されています。その詞のとおり金色に彩られ、赤い実の枝を口にくわえ、尾びれは三つに分かれた剣の形をしています。

別の記録では、姫魚の全長を一丈五、六尺としています。

人魚の一種と解説されることが多いものです。

もっとも、一般に思い描かれる人魚とは違い、上半身も魚の形をとどめています。人の顔を持つ魚、という形です。

神社姫の伝承物語

  1. 写し絵を見れば難を逃れる
  2. 板行として刷られ売り歩かれる
  3. 姫魚と大神社姫
  4. 姫魚の絵を家宝として継ぐ家
  5. 予言する獣たち
  6. 件とクダベ

写し絵を見れば難を逃れる

神社姫の話の要は、写し絵にあります。

漁師の八兵衛に向かって、神社姫はこう語りました。

向こう七年は豊作だが、その後にコロリという病が流行る。しかし我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう、と。

つまりこの妖怪は、災いを予言すると同時に、その避け方も告げています。

そして、避け方とは「自分の絵を見ること」です。

この話が広まった経緯も記録されています。

板行として刷られ売り歩かれる

神社姫の内容が「板行」として刷られ、売り歩かれました。加藤曳尾庵の『我衣』には、その絵と内容文が書き写されて残されています。

販売の前に、行商人が板行からこうしたと書かれています。

紙に写して人にもてはやしけり

実際に、多くの家で神社姫の写し絵が重宝されていたという記述もあります。

予言する、避け方を告げる、その絵が売られる。 この三つが揃っています。

科学的な治療法の確立していなかった時代、流行病は恐ろしいものでした。そうした人々の心につけ込み、異形の絵を病よけの札と称して売り歩く商売人もいたようです。

姫魚と大神社姫

神社姫によく似たものが、いくつも記録されています。

姫魚は、文政二年の卯月十五日に肥前平戸に現れたとされる龍神の使者です。詞つきの彩色画が現存しています。

長さは一丈三尺、黄金色で、背に宝珠が三つあると端書されています。赤い実の枝を口にくわえ、尾びれは三つに分かれた剣の形という、この系統に典型的な姿をしています。

別の記録では、当年四月八日に平戸に現れ、全長は一丈五、六尺としています。

いずれも、コロリの流行で多くの死者が出ることを予言し、自分の写し絵を家門に貼れば難を逃れられると指示しています。

姫魚の絵を家宝として継ぐ家

いまでも姫魚の絵を家宝として代々受け継ぐ家が見つかっています。

大神社姫は、嘉永年間に新潟の浜に出現したとされます。「竜宮よりの使なり」と称し、七年間の豊作に続いて悪病が蔓延し多数が死ぬと予言しました。

同じころ、越後福島潟に現れた人魚の話も売り歩かれています。柴田忠三郎という武士に目撃され、五年の豊作に続いて流行病で六割の人口が死ぬと予言したというものです。

この絵と添え文は『藤岡屋日記』に書き写されており、同書によれば、後に題を変えた版が出て、つごう十六の版が出たとされます。

静岡県沼津には「神池姫」が伝わります。

予言する獣たち

妖怪が病の流行を予言し、自分の写し絵を札とするよう告げる。この形の話は、少なくありません。

同じような絵と文で広まったものに、アマビコアマビエがあります。

これらも、妖怪が現れて当面の豊作と、自分の写し絵で流行病を逃れられることを告げたといい、同種のものとみられています。

人面の魚である神社姫と同じ年に、予言獣ではないものの、人面犬の板行も販売されていたと『我衣』に記されています。

件とクダベ

人面の牛の予言獣には「」があります。「クダベ」という異称もあり、越中国、現在の富山県に出現したとされます。

これについて、江戸後期の随筆『道徳塗説』は「近年流行の神社姫に似せた創作だろう」と述べています。

つまり、当時の人々のなかにも、これらが商売のために作られたものだと見抜いていた者がいたわけです。

神社姫の起源については、リュウグウノツカイをもとにするという説があります。ただし、そもそも人魚の伝説がリュウグウノツカイをもとにしたという仮説もあります。

どちらが先かは決まっていません。

神社姫の伝承地域

神社姫が現れたとされるのは、肥前国の浜辺です。肥前国は現在の佐賀県および長崎県にあたります。

ただし、どの浜辺であったかを示す記述は確かめられませんでした。 目撃者が八兵衛という漁師であったこと以外、場所を絞る手がかりはありません。

姿かたちの酷似した「姫魚」は、長崎県平戸市に現れたとされ、彩色画が現存しています。

同じ形の話は各地に広まりました。新潟県の浜には「大神社姫」、越後福島潟には人魚、静岡県沼津には「神池姫」が伝わります。

いずれも、絵が売り歩かれることで広まったものです。

肥前国(ひぜんのくに)

神社姫が現れたとされる旧国

地図で開く

肥前国の所在地:佐賀県

文政二年四月十八日、この国のある浜辺に神社姫が現れたと『我衣』は記します。

肥前国は、現在の佐賀県および長崎県にあたります。

ただし、どの浜辺であったかを示す記述は確かめられませんでした。

目撃者は八兵衛という漁師とされます。

浜辺の場所は特定できていません。

平戸(ひらど)

姫魚が現れたとされる地

地図で開く

平戸の所在地:長崎県平戸市

神社姫に姿かたちの酷似した「姫魚」が現れたとされる土地です。

文政二年の卯月十五日、あるいは同年四月八日とされます。

長さは一丈三尺、黄金色で背に宝珠が三つあると端書された彩色画が現存しています。

いまでも姫魚の絵を家宝として代々受け継ぐ家が見つかっています。

旧肥前国にあたり、神社姫と同じ圏内です。

神社姫の正体と考えられているもの

神社姫の正体については、次のように考えられています。

予言獣の一つとする見方が中心です。豊作を告げ、その後の流行病を予言し、自分の写し絵を札とするよう指示する。アマビコやアマビエと同じ形をしています。

商売のために作られたとする見方も有力です。科学的な治療法の確立していなかった時代、異形の絵を病よけの札と称して売り歩く商売人もいたようです。 実際に神社姫の内容は板行として刷られ、売り歩かれました。

当時から創作と見抜かれていた面もあります。江戸後期の随筆『道徳塗説』は、人面の牛の予言獣である件について「近年流行の神社姫に似せた創作だろう」と述べています。

リュウグウノツカイをもとにするとする見方もあります。ただし、そもそも人魚の伝説がリュウグウノツカイをもとにしたという仮説もあり、どちらが先かは決まっていません。

人魚に類するものとされます。 ただし上半身が人の形をしているわけではなく、人の顔を持つ魚という形です。

神社姫をめぐる妖怪のつながり

神社姫が登場する作品

神社姫は、絵として売られることを前提に作られた妖怪です。

自分の写し絵を見れば病を逃れられる、という予言そのものが、絵の需要を作り出しています。

実際に板行が刷られて売り歩かれ、多くの家で写し絵が重宝されたと記録されています。

同じ年には人面犬の板行も販売されており、この種の商売が広く行われていたことがわかります。近い時代に注目されたアマビエも、同じ系統に属します。

神社姫が登場する書物

我衣

加藤曳尾庵の筆記。神社姫の絵と内容文が書き写されています。

以文会随筆

水野皓山の著。姫魚が平戸に現れたことを記します。

藤岡屋日記

越後福島潟の人魚の絵と添え文の書き写しを収めます。

神社姫が登場する絵

姫魚の彩色画

国立歴史民俗博物館の所蔵。金色に彩られ、剣型の尾びれを持ちます。

神社姫の板行

刷られて売り歩かれ、多くの家で写し絵が重宝されました。

神社姫が登場するそのほか

予言獣を扱う各種の作品

アマビエや件と並べて紹介されることが多いものです。

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神社姫についてよくある質問

神社姫とは何ですか。

加藤曳尾庵の『我衣』に記された妖怪です。文政二年四月十八日、肥前国のある浜辺に、全長二丈あまりで二本の角と人の顔を持つ魚のようなものが現れ、病の流行を予言したとされます。

何を予言したのですか。

「向こう七年は豊作だが、その後にコロリという病が流行る。しかし我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう」と語ったと伝えられます。

どこに現れたのですか。

肥前国、現在の佐賀県および長崎県にあたる地域の浜辺です。ただし、どの浜辺であったかを示す記述は確かめられませんでした。目撃者は八兵衛という漁師とされます。

姫魚とは何ですか。

神社姫に姿かたちの酷似した龍神の使者で、文政二年に肥前平戸に現れたとされます。詞つきの彩色画が現存し、長さ一丈三尺、黄金色で背に宝珠が三つあると端書されています。

アマビエと関係がありますか。

同種のものとみられています。妖怪が現れて当面の豊作と、自分の写し絵で流行病を逃れられることを告げるという、同じ形の話です。アマビコも同じ系統に属します。

神社姫と併せて覚えたい言葉・用語

我衣(わがころも)

加藤曳尾庵の筆記。神社姫の絵と内容文を書き写して残す。

板行(はんこう)

版に刷ったもの。神社姫の絵と文が刷られ、売り歩かれた。

姫魚(ひめうお)

肥前平戸に現れたとされる龍神の使者。神社姫と姿が酷似する。

コロリ(ころり)

江戸時代に恐れられた流行病。神社姫はその流行を予言した。