青森県田子町の旧上郷村で語られた、狐・座敷童子・風の三郎・山の神・十和田湖のハチノタロウなどの話。1977年の民俗調査が書き留めた47件の記録。
田子町上郷の怪異のあらまし
田子町上郷の怪異は、青森県田子町の旧上郷村で語られてきた話の数々です。狐、座敷童子(ザシキワラシ)、風の三郎、山の神、十和田湖のハチノタロウなどが出てきます。
東洋大学民俗研究会がこの土地で聞き取りをして、1977年3月に報告書『上郷の民俗―青森県三戸郡田子町旧上郷村―』にまとめました。国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースには、この報告から47件が採られていて、その多くに語った人の名が残っています。
話には、1910年ごろに原集落で子どもがいなくなった出来事から、1950年ごろに岩手の炭焼き場で見た狐火まで、明治の終わりから戦後にかけてのことが含まれます。いちばん多いのは狐の話で、座敷童子の出る家、風の強い日に現れる子ども、山の神と山の化け物の話が続きます。
田子町上郷の怪異の漢字表記と読み方
読みは「たっこまちかみごうのかいい」です。町の名の「田子」は「たっこ」と読みます。
話には土地の言葉がそのまま残っています。狐が化けた女は「ババオグルカ(送ろうか)」と声をかけ、座敷童子は奥座敷を「ノッタラクッタラ」と歩いたといいます。
上郷(かみごう)
旧村の名です。国立国会図書館の書誌は、報告書の題を「カミゴウ ノ ミンゾク」と読んでいます。
田子(たっこ)
町の名です。田子町は「田子」と書いて「たっこ」と読みます。
ハチノタロウ(はちのたろう)
十和田湖と八郎潟の伝説の主人公の名を、上郷の話はこう呼んでいます。
クセッコ(くせっこ)
上郷の話で、狸を指して使われている呼び名です。
田子町上郷の怪異の記録
- 道前から茂市の坂で
- 小狐を連れ帰った家
- 夜道の呼び声とシラノ坂の大男
- 化かされないための心得
- 狐が憑いた人
- 狐火と、松の下の霊
- 災いを呼ぶ座敷童子
- 槍を返すと止んだ足音
- 堀川家の上段の間
- 風の三郎にさらわれた子
- 屋根の上で袖を振る子ども
- 木の上の山の神
- 石穴の化け物としら尾坂の雪男
- 十和田湖を飲み干したハチノタロウ
- 川に引く河童
- 稲荷とオシラサマ
- 地蔵と金毘羅様と「魂が来た」
道前から茂市の坂で
上郷でいちばん多く語られたのは、狐に化かされる話です。
西野タミによれば、昔は道前から茂市までの坂で必ず狐が出て、行商人がよくだまされ、風呂敷を広げて座り込んでいたりしたといいます。
滝上源吉は1935年ごろ、闘牛の帰りの小雨の夕方7時ごろ、沢で狐を見たあと、雑草を刈ったつもりで大事な栗の木を伐っていました。藤村八千代は、酒に酔った人が風呂のつもりで川に入れられたり、田の中を歩かされたり、道路を家と思わされて寝かされたりした話を語っています。
小狐を連れ帰った家
柳田正雄の祖母は、狐の子をめぐる話を二つ語っています。
ある人が新田のホンリン山で小狐を3匹見つけて連れ帰ると、その家の子ども3人が帰ってこなくなりました。探しに出た人も化かされて道が分からなくなり、狐の子を返すと、子どもたちも帰ってきたといいます。
夜道を歩いていた産婆さんには、頬被りした女に化けた狐が「ババオグルカ(送ろうか)」と声をかけました。「オグッテクレ」と答えてついていくと、ホリョウ沢まで来たところで女は消え、そこには狐の巣があったそうです。
夜道の呼び声とシラノ坂の大男
川原いねによれば、夜道を一人で行くと、「ホイホイ」と呼ぶ声や「ホフゲーホフゲー」という赤子の泣き声、「コッチャコー」と招く声がすることがあり、振り返ると道に迷わされるといいます。これも狐の仕業です。
佐藤仁助は、近所へ遊びに行ったお婆さんの帰りが遅いので家の者が噂をしていると、狐が「帰ったぞ」と言って驚かせた話を語っています。
中村三郎によれば、ある人がシラノ坂で無言の大男に出会って恐ろしくなり、餅を供えると出なくなりました。狐か狸の化けたものだったのだろう、とされています。
化かされないための心得
化かされたときの心得も残っています。藤村勝二の妻によれば、狐に憑かれたら「南無阿弥陀仏」と唱えると狐は逃げる。その場に座り込んでじっとしているのもよく、歩くととんでもない所へ行ってしまうといいます。節分の豆を身に着けていれば化かされない、ともいわれました。
中山茂樹の妻は、狐と狸を比べて、狐に化かされても山を歩かされるだけだが、クセッコ(狸)に化かされると命をとられると語っています。
古郡武雄宅の嫁によれば、日が照っているのに雨が降るときは、狐の嫁入りがあるのだといいます。
狐が憑いた人
狐は人に憑くものでもありました。
1930年ごろ、狐に憑かれた人が出たという話があります。気が違ったようになり、ネズミの生皮やギャロを食べ、目つきがおかしくなってブルブル震え、腹痛を起こしてはすぐ治る。八卦置きともシントとも呼ばれる祈祷師を頼み、神棚に祈祷してもらうと、患者は震えていたものの、その後元に戻ったといいます。
佐藤仁助は、お産で実家に戻った奥さんがひどく苦しみ、イタコを連れていくと「人恐しい」と叫んだ話を、狐が憑いたのだろうと語っています。
狐火と、松の下の霊
狐火の話は二つあります。佐藤仁助は1950年ごろ、岩手へ炭焼きに行ったとき、夜になると雪の上や原野が燃えたように光るのを見ました。西野タミによれば、狐火は赤く丸い火が一つポッと出ると、バラバラバラと続いて出るもので、死んだ狐だとも、狐のよだれだともいわれました。
柳田専次郎は、旧道の松の木を切り倒したとき、下敷きになって死んだ人がいた話を語っています。その人の霊だか狐だか、夜な夜な「テラテラテラ」と出るようになり、3年ほどして出なくなったといいます。
災いを呼ぶ座敷童子
上郷には、座敷童子(ザシキワラシ)の出る家の話が5件あります。
山本亀次郎によれば、ザシキワラシは身長70センチくらいの、6〜7歳の男の子の姿で、暗くなると出てきて眠りを妨げます。1本の柱に4つの敷居がかかるような大きな家に出て、ザシキワラシが出るとその家には災いが続くといいます。
岩手県遠野の話を集めた柳田国男の『遠野物語』(1910年)は、第17話でこう書いています。
此神の宿りたまふ家は富貴自在なりと云ふことなり。
上郷の山本亀次郎の話は、それとは逆の言い方です。
槍を返すと止んだ足音
大坊清吉の家では、家に伝わっていた真田大幸ゆかりの槍を人にあげてしまうと、ザシキワラシが出るようになりました。毎夜、奥座敷を「ノッタラクッタラ」と歩く音がして、槍を返してもらうと出なくなったといいます。
細川家の以前の屋敷には、ザシキワラシが根元から出てくるといわれた大きな四方柱がありました。この柱を削って飲ませると、子どもの夜泣きに効くといわれていました。
堀川家の上段の間
堀川勝正の家では改築前、上段の間で祖父が寝ていると、揺り起こされたり、「オーイオーイ」と声をかけられたり、胸を押さえられて金縛りになったりしました。夜の1時から2時に起き、姿を見た人もいて、霊感のない人には足音くらいしか聞こえないそうです。家は三戸へ引っ越しましたが、そちらにも出るといわれています。
日沢利安も、いまは取り壊された堀川家の座敷にザシキワラシが出たことを語っています。昔その座敷で切腹した人がいて、板戸に血がついていたといい、上段の間で眠れない客が、夜中に泊めてくれと日沢家を訪ねてくることもあったそうです。
風の三郎にさらわれた子
上郷では、強い風の日に来る恐ろしいものを「風の三郎」と呼びました。鬼のように恐ろしいもので、子どもが言うことを聞かないときは「風のサブロウが来るぞ」と脅したといいます。
堰向ハルによれば、1910年ごろ、原集落で5、6歳の子どもがいなくなり、その後ある人が、夏坂の竜ヶ森の炭山で手ぬぐいを頬被りした子どもに出会いました。菊池そよによれば、秋の日露戦争慰霊祭の日の風の強い夕方、原集落で7、8歳の男の子がいなくなり、翌日、夏坂の山でキノコ狩りの人たちが、大きな切り株に座っているその子を見つけました。どちらも、風の三郎にさらわれたのだといわれました。
屋根の上で袖を振る子ども
子どもをさらう話を語った菊池そよは、自分の家の話もしています。菊池家では、風の強い日には、白い着物を着た5、6歳くらいの子どもの姿の神様が屋根の上に立ち、袖を振って家を火事から守っているといいます。
風とお産の話もあります。石井テツによれば、1915年ごろ、岩手の下斗米のミヤダマイで強い風が4日間吹き続きました。その夜、お産だった女がいつまでも産めないので、ハギリに水を入れてお産をさせると、蛙の卵をたくさん産んだといいます。
木の上の山の神
山の神の話は、中村幸右エ門の父と中村芳之助が、ほぼ同じ筋で語っています。
夫が山へ木を伐りに行ったまま帰らないので、妻が心配して見に行くと、美しい女の人が、木の上で作業する夫を支えていた。妻が声をかけると女は消え、夫は木から落ちて死んでしまった。その女は山の神だった、という話です。
山の神をめぐる言い伝えもあります。妊娠中の人には山の神にあげたものを食べさせない、山の神には12人の子がいて多産になるから、といいます。産火(お産の忌み)のある人は山の神に嫌われる、ともいわれました。
石穴の化け物としら尾坂の雪男
十和田湖を飲み干したハチノタロウ
柳田専次郎によれば、ハチノタロウは十和田様と喧嘩をして、十和田湖の水を飲み干し、そこに居着いてしまったといいます。佐藤善太郎の話では、ハチノタロウは木こりで、炊事当番のときに魚を一人で平らげ、ひどく喉が渇いて水を飲み続け、湖に入って神様になりました。そこへナンソウボウが来て戦いになり、ハチノタロウは八郎潟へ逃げて住み着いたといいます。
柳田国男の『山の人生』(1926年)は、この主人公をこう呼んでいます。
十和田の湖水から南祖坊に逐はれて来て、秋田の八郎潟の主に為つて居ると云ふ八郎をとこ
柳田はこの八郎を、大蛇になる前はマタギの村の住民だったとしています。上郷の佐藤善太郎の話では、木こりです。
川に引く河童
川の話では、河童の話が二つあります。
岩間孫太によれば、子守が赤子を川原に置いて遊んでいると、赤子がいなくなり、下流で溺れ死んだ姿で上がりました。河童にさらわれたのだろうと、皆に言われたといいます。
西野タミによれば、河童は馬の腸が大好物です。ある人が川で馬を洗っていると、馬が興奮しはじめました。河童が馬を川の中へ引き込もうとしていたのですが、馬が暴れて手綱に絡まり、家まで引きずられていってしまったそうです。
稲荷とオシラサマ
飯原勇次によれば、白坂家の先祖が盛岡から帰るとき、白装束で迎えに出た稲荷を馬が驚いて撥ねてしまいました。怒った稲荷は田の稲を逆さにした。白坂家が人を頼んで植え直すと、実は稲は逆さに見せかけられていただけで、かえって手間をかけて稲を駄目にしてしまったといいます。
佐藤仁助の家のオシラサマは、親類の家が火事で全焼したとき、オシラサマだけが小川に入って焼け残ったものでした。拾って祀ると病人や死人が続いたので拝んでもらうと、火事のときに片目を失ったので、それを作ってもらいたくてそうしているのだ、と言われたそうです。
地蔵と金毘羅様と「魂が来た」
山美すげによれば、山美家の傍の地蔵様は岩を崩して作ったもので、粗末にしてはいけないといいます。信じずに足で踏んだ男は、足が動かなくなり、治らなかったそうです。
金毘羅様を祀る家ではタニシを食べてはいけない、という決まりもありました。
人が死ぬ直前には、その人の魂が近しい人や兄弟に会いに行くといわれ、それを「魂が来た」と言いました。
田子町上郷の怪異の伝承地域
田子町は青森県三戸郡の町です。町によれば、「田子」と書いて「たっこ」と読み、その由来はアイヌ語で「小高い丘」を意味する「タプコプ」から来ているという説がもっとも有力とされています。町の面積の約8割は山林で、山の話の多くに炭焼きや木伐りの暮らしが出てきます。
1977年の報告の題は「青森県三戸郡田子町旧上郷村」で、かつての上郷村の範囲を調べたものです。話には、原、夏坂(竜ヶ森の炭山)、道前、茂市、新田のホンリン山、ホリョウ沢、シラノ坂、しら尾坂、沼の沢といった土地の名が出てきます。岩手へ炭焼きに出た話や、岩手の下斗米での出来事も語られています。
旧上郷村(きゅうかみごうむら)
1977年の報告『上郷の民俗』の調査地
旧上郷村の所在地:青森県三戸郡田子町
話には、原・夏坂・道前・茂市などの集落の名が出てきます。
田子町は、町の面積の約8割を山林が占めています。
田子町上郷の怪異についてよくある質問
田子町上郷ではどんな怪異が語られてきましたか。
狐に化かされる話がいちばん多く、座敷童子が出る家、風の強い日に子どもをさらう風の三郎、木の上で木こりを支える山の神、十和田湖の水を飲み干したハチノタロウなどの話が残っています。
話はどこから来ていますか。
東洋大学民俗研究会が1977年にまとめた報告書『上郷の民俗』です。国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースに、この報告から47件が採られています。
上郷の座敷童子は幸運を運ぶのですか。
上郷の山本亀次郎は、座敷童子が出るとその家には災いが続くと語っています。『遠野物語』の、座敷童子の宿る家は富み栄えるという話とは逆です。
風の三郎とは何ですか。
風が強いときに来る、鬼のように恐ろしいものとされました。子どもが言うことを聞かないと「風のサブロウが来るぞ」と脅し、原集落で子どもがいなくなると、風の三郎にさらわれたといわれました。
上郷はいまのどこですか。
青森県三戸郡田子町です。報告書の題は「田子町旧上郷村」で、かつての上郷村の範囲にあたり、話には原・夏坂・道前・茂市などの集落の名が出てきます。
田子町上郷の怪異と併せて覚えたい言葉・用語
イタコ(いたこ)
東北地方で、死者の言葉を伝える口寄せなどをする女性の巫者です。
オシラサマ(おしらさま)
東北地方の家々で祀られてきた、木で作った一対の神像です。
炭焼き(すみやき)
木を窯で蒸し焼きにして、木炭をつくる仕事です。
金縛り(かなしばり)
眠っているときなどに、意識はあるのに体が動かなくなることです。
田子町上郷の怪異の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。