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沖縄県

イーガムィ(マンタ)とはどんな妖怪か|姿と伝承

イーガムィ  / イーガムィ

水の妖怪 各地の伝説

沖縄でマンタを指す名。大物がいて、背に停泊した軍艦が朝には沖へ流されていたという。

イーガムィとはどんな妖怪か

イーガムィはひとことで言えば、島と見まがう大魚です。沖縄県の話です。

国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、登山修サエワブンヨゥジ(徳元佐和分翁)の思い出」(『南島研究』41号、2000年、22頁)を典拠に、イーガムィはマンタの事で、大物がいる。海を遊泳しているが、その背中に停泊しようとした軍艦が、朝になると大海原の真中まで流されていたと記します。

マンタは、オニイトマキエイのことです実際に幅数メートルに達します。

しかし、軍艦が停泊できるほどという語りは、それを大きく超えています。

朝になると、沖の真ん中にいた。 動いたのは船ではなく、乗っていた側だったという形です。

イーガムィの漢字表記と読み方

読みは「いーがむぃ」です。

沖縄の言葉での呼び名で、マンタ(オニイトマキエイ)を指すと記録されています

海の大物を島と見まがうという話は、各地の海にあります。長崎の磯幽霊も、島の姿になりました。

イーガムィ(いーがむぃ)

日文研データベースが示す呼称。

マンタ(まんた)

記録が説明として挙げている生き物。

イーガムィの姿と特徴

イーガムィの姿は、マンタです。

大きさ … 大物がいる。軍艦が背に停泊しようとするほど。
動き … 海を遊泳している。
出来事 … 停泊した軍艦が、朝には大海原の真ん中まで流されていた。

色や模様は書かれていません。

害を加えたという記述もありません。

イーガムィの伝承記録

  1. 背中に停泊しようとした軍艦
  2. 朝には大海原の真ん中

背中に停泊しようとした軍艦

軍艦が、その背中に停泊しようとしました

島だと思ったことになります。

海に浮かぶ黒い影を、陸と見まがう。 大きさが、この話の芯です。

そして、朝になりました。

朝には大海原の真ん中

朝になると、軍艦は大海原の真中まで流されていました

碇を降ろしたはずが、動いています。

イーガムィが泳いだから——そう受け取られました。

害はありません。 沈められても、襲われてもいません。

ただ、乗っている場所が生きていたという一点だけが語られます。

イーガムィの伝承地域

公的データベースの地域欄は沖縄県を示します。

海域は書かれていないため、地図で指せるのは県の範囲までです。

沖縄県内の海(おきなわけんないのうみ)

日文研データベースが示す伝承地域

地図で開く

沖縄県内の海の所在地:沖縄県

『南島研究』41号の聞き書きによります。

海域は資料に書かれていません。

イーガムィの正体と考えられているもの

イーガムィは、記録ではマンタとされています。

オニイトマキエイは、実際に幅数メートルに達する大きな魚です

この話では、それが軍艦を乗せるほどに語られています。

海の大物を島と見まがう話は各地にあります。幽霊(長崎)は島に化け、イーガムィは島と間違えられました。

残ったのは、朝に沖まで流されていたという一点です。

イーガムィが記録された資料

イーガムィを単独で扱った本は見当たりません。読めるのは『南島研究』の記事です。

題のとおり、一人の翁の思い出を書き留めた記事です。この図鑑には、同誌から犬の幽霊イキロウの記録も収めています。

イーガムィが記録された民俗資料

サエワブンヨゥジ(徳元佐和分翁)の思い出

登山修が『南島研究』41号(2000年)に載せた中心資料です。

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イーガムィについてよくある質問

イーガムィとは何ですか。

沖縄でマンタを指す名です。大物がいて、背に停泊した軍艦が朝には沖へ流されていたと記録されています。

マンタとは何ですか。

オニイトマキエイのことです。実際に幅数メートルに達します。

船に害はありますか。

沈められたという記録はありません。流されていたとだけ伝えられています。

いつの話ですか。

年代は記録されていません。報告は2000年の聞き書きです。

イーガムィと併せて覚えたい言葉・用語

マンタ(まんた)

オニイトマキエイ。幅数メートルに達する大きな魚です。

磯幽霊(いそゆうれい)

長崎県五島の船幽霊。島の姿になるとされます。

南島研究(なんとうけんきゅう)

奄美・沖縄の民俗を扱う雑誌です。

イーガムィの参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 国際日本文化研究センター「イーガムィ」