山梨県甲府市で、六人の子を連れた侍の行き倒れを祀った地蔵。置いていくと弟が病気になった。
七人地蔵とはどんな妖怪か
七人地蔵はひとことで言えば、置いていかれて知らせた地蔵です。山梨県甲府市中道町の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、東洋大学民俗研究会『右左口の民俗―山梨県東八代郡中道町右左口地区―』(1984年、168頁)の「口承文芸」を典拠に、次のように記します。
6人の子どもをつれた侍が山の上で行き倒れたのを祀ったのが七人地蔵。社宅が山の上から麓に引っ越すときに七人地蔵を置いてきたら、弟が病気になった。モノシリの人に聞いて「神様を置いてこなかったか」といわれて気づき、山から降ろして庭に迎えた。
七人は、侍と六人の子どもを合わせた数です。
モノシリは、物知り、占いや見立てをする人を指します。
置いてきたことが、病の原因とされました。
七人地蔵の漢字表記と読み方
読みは「しちにんじぞう」です。
七人は、行き倒れた侍と六人の子どもを指します。
七人の名を持つ怪異や祀りは各地にあります。香川のヒチニンドウジ、四国の七人ミサキ。この地蔵は、具体的な行き倒れの記憶から祀られました。
七人地蔵(しちにんじぞう)
日文研データベースが示す漢字表記。
シチニンジゾウ(しちにんじぞう)
同データベースの呼称読み。
七人地蔵の姿と特徴
七人地蔵は、地蔵です。
由来 … 六人の子どもをつれた侍が山の上で行き倒れた。
祀り … その七人を祀ったのが七人地蔵。
出来事 … 引っ越しのとき置いてきたら、弟が病気になった。
見立て … モノシリの人が「神様を置いてこなかったか」と言った。
対処 … 山から降ろして庭に迎えた。
地蔵が動いた、声を出したという記述はありません。
七人地蔵の伝承記録
六人の子を連れた侍
山の上で、六人の子どもをつれた侍が行き倒れました。
理由も、時代も書かれていません。
村人は、その七人を祀りました。 それが七人地蔵です。
行き倒れた者を祀るという形は各地にあります。徳島のイクスさんは平家の落人を祀ったものでした。
置いてきたら、弟が病んだ
社宅が、山の上から麓へ引っ越しました。
そのとき、七人地蔵を置いてきました。
弟が病気になりました。
モノシリの人に聞くと、「神様を置いてこなかったか」と言われます。
気づいた家族は、山から降ろして庭に迎えました。 連れて行くことで、収まったことになります。
七人地蔵の伝承地域
公的データベースの地域欄は山梨県甲府市中道町を示します。報告は右左口地区の調査です。
地蔵は個人の庭に迎えられたと記録されているため、訪ねる先としては扱えません。
右左口周辺(うばぐちしゅうへん)
日文研データベースが示す伝承地域
右左口周辺の所在地:山梨県甲府市中道町
報告は旧・東八代郡中道町右左口地区の調査によります。
地蔵は個人の庭に迎えられたと記録されています。
七人地蔵の正体と考えられているもの
七人地蔵は、行き倒れた七人を祀った地蔵です。
怪異にあたるのは、置いていかれたときに病が出たという一点です。
モノシリの見立てによって原因が分かり、迎えることで収まりました。
祀ったものは、動かすときにも連れて行く——この形は各地に共通します。山梨の位牌山では、逆に祠を作って祀りました。
残ったのは、七人という数と、庭に迎えられた地蔵です。
七人地蔵が記録された資料
七人地蔵を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは大学の調査報告書です。
七人の名を持つ祀りや怪異は各地にあります。この図鑑には、香川のヒチニンドウジも収めています。
七人地蔵が記録された民俗資料
右左口の民俗―山梨県東八代郡中道町右左口地区―
東洋大学民俗研究会が1984年にまとめた調査報告です。
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七人地蔵についてよくある質問
七人地蔵とは何ですか。
山梨県甲府市で、六人の子を連れた侍が山の上で行き倒れたのを祀った地蔵です。
なぜ病気になったのですか。
引っ越しのとき地蔵を置いてきたためだと、モノシリの人の見立てで分かったと記録されています。
どうやって収まったのですか。
山から降ろして庭に迎えたと記録されています。
モノシリとは何ですか。
物知り。占いや見立てをする人を指します。
七人地蔵と併せて覚えたい言葉・用語
モノシリ(ものしり)
占いや見立てをする人。原因を言い当てました。
行き倒れ(ゆきだおれ)
道中で力尽きて死ぬこと。七人地蔵の由来です。
イクスさん(いくすさん)
徳島県の祀り。落人を祀り、動かしてはならないとされます。
七人地蔵の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。