延宝8年、盛岡で生まれたとされる双子。猿のような子と、手が七本足が四十三本の子と記された。

異形の双子とはどんな妖怪か
異形の双子はひとことで言えば、数まで書き留められた異常出産の記録です。岩手県盛岡市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、神谷養勇軒『新著聞集』(『日本随筆大成第二期』5巻、1974年、359頁)を典拠に、奥州南部の盛岡に住む百姓の妻が、延宝8年夏に片手が長く毛に覆われた猿のような子と、目鼻が無くて手が7本と足が43本ある双子を産んだという。しかし5日ほどして死んだと記します。
手が七本、足が四十三本。 数字がここまで細かい記録は多くありません。
五日ほどで死んだと、その後まで書かれています。
京都の異形の子(享保17年)と同じく、江戸期に各地から集められた噂の一つです。
異形の双子の漢字表記と読み方
読みは「いぎょうのふたご」です。
「異形」は普通と違う姿を指します。双子であることも、当時は特別に語られました。
奥州南部は、いまの岩手県北部から青森県東部にあたる地域です。盛岡はその中心でした。
異形の双子(いぎょうのふたご)
日文研データベースが示す表記。
イギョウノフタゴ(いぎょうのふたご)
同データベースの呼称読み。
異形の双子の姿と特徴
記録された姿は、二人分あります。
一人め … 片手が長い。毛に覆われている。猿のよう。
二人め … 目鼻が無い。手が七本。足が四十三本。
その後 … 五日ほどして死んだ。
大きさ、泣き声、名前は書かれていません。
生まれた季節は「延宝8年夏」と記録されています。
異形の双子の伝承記録
手が七本、足が四十三本
記録の書き方は、数を挙げる形です。
手が七本、足が四十三本。 四十三という半端な数まで書かれています。
目鼻が無いとも記されます。姿を思い描こうとすると、人の形から遠く離れます。
もう一人は、片手が長く、毛に覆われた猿のようでした。
二人はまったく違う姿として書き分けられています。
異形の双子の伝承地域
記録は奥州南部の盛岡と記します。公的データベースの地域欄は岩手県盛岡市です。
家の場所は書かれていないため、地図で指せるのは市の範囲までです。
異形の双子の正体と考えられているもの
この記録が伝えるのは、異常な姿で生まれたとされる双子の噂です。
実際に何があったかは分かりません。 医学の言葉で説明することもできますが、資料はそこに触れていません。
江戸期には、同じ形の記録が各地から集められました。 京都の異形の子もその一つです。
残ったのは、年と、数と、五日という命の長さです。
異形の双子が登場する作品
異形の双子を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは『新著聞集』です。
日本随筆大成に収められています。同じ本には安宅丸や生魂の話もあり、当時の見聞の集め方が分かります。
異形の双子が登場する古典籍
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
異形の双子についてよくある質問
異形の双子とは何ですか。
延宝8年に盛岡で生まれたと記録された双子です。猿のような子と、手が七本足が四十三本の子と記されています。
いつの記録ですか。
延宝8年(1680年)夏の出来事として記録されています。
その後どうなったのですか。
五日ほどして死んだと記録されています。
同じような記録はありますか。
あります。京都府福知山の異形の子(享保17年)も同じ形で記録されています。
異形の双子と併せて覚えたい言葉・用語
奥州南部(おうしゅうなんぶ)
岩手県北部から青森県東部にあたる地域。盛岡が中心です。
新著聞集(しんちょもんじゅう)
神谷養勇軒による江戸期の説話集です。
異形の子(いぎょうのこ)
京都府福知山の記録。同じ形で書き留められています。
異形の双子の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。