山形県飯豊町で、掘った者が病になったという、戦死者を供養した塚。

千人塚とはどんな妖怪か
千人塚はひとことで言えば、掘った者が病を得た供養の塚です。山形県南置賜郡飯豊町の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、國學院大學民俗学研究会「山形県南置賜郡中津川村」(『民俗採訪』昭和二十九年度号、1955年、66頁)を典拠に、千人塚は天保年間の9年続いた戦の戦死者を供養したものという。そこを掘ったらそのうちの一人が睾丸炎になった。睾丸一つとった祟りだというと記します。
掘ったことと、体の病が結び付けられています。
塚は供養のためのものでした。 それを掘る行いが、戒められています。
千人塚の漢字表記と読み方
読みは「せんにんづか」です。
「千人」は多くの死者を表す言い方です。 各地に同じ名の塚があります。
この塚は天保年間の9年続いた戦の戦死者を供養したものと記されます。
この図鑑には戦死塚の怪(愛知)も収めています。そちらも戦死者の塚です。
千人塚(せんにんづか)
日文研データベースが示す表記。
供養塚(くようづか)
戦死者を供養したものと記されます。
千人塚の姿と特徴
千人塚に姿はありません。記録にあるのは、掘った後のことです。
塚の由来 … 天保年間の9年続いた戦の戦死者を供養したもの。
したこと … そこを掘った。
起きたこと … 掘った者のうちの一人が睾丸炎になった。
説明 … 睾丸一つとった祟り。
姿や声についての記述はありません。
千人塚の伝承記録
戦死者を供養する
千人塚は、天保年間の9年続いた戦の戦死者を供養したものといいます。
天保年間は江戸時代の後期にあたります。
どの戦かは書かれていません。
掘った者の病
そこを掘ったら、そのうちの一人が睾丸炎になりました。
睾丸一つとった祟りだといいます。
罰の当たり方が、体の一部として語られています。
掘らないという戒め
千人塚の伝承地域
公的データベースの地域欄は山形県南置賜郡飯豊町を示します。記録の表記は南置賜郡中津川村です。
中津川は、現在の飯豊町の一部にあたります。
千人塚の正体と考えられているもの
千人塚は、掘った者が病を得た供養の塚です。
祟りの形は体の病でした。 睾丸一つとった祟り、と語られます。
この図鑑には戦死塚の怪(愛知)と石棺(島根)も収めています。
土の下のものに手を付けない——各地に共通する戒めです。
千人塚が登場する作品
千人塚を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは大学の調査報告です。
千人塚の名は各地にあり、戦や飢饉の死者を葬った塚とされます。この図鑑には戦死塚の怪(愛知)も収めています。
千人塚が登場する調査報告
民俗採訪
國學院大學民俗学研究会の報告集です。昭和二十九年度号に中津川村の調査が載ります。
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千人塚についてよくある質問
千人塚とは何ですか。
山形県飯豊町中津川に伝わる塚で、天保年間の戦の戦死者を供養したものとされます。
掘るとどうなりますか。
掘った者のうちの一人が睾丸炎になったと記録されています。
なぜ病になったのですか。
睾丸一つとった祟りだと語られました。
同じ名の塚は他にありますか。
千人塚の名は各地にあり、戦や飢饉の死者を葬った塚とされます。
千人塚と併せて覚えたい言葉・用語
天保(てんぽう)
江戸時代後期の年号。1830年からの時期にあたります。
供養(くよう)
死者のために祈ること。塚を築く例があります。
中津川村(なかつがわむら)
山形県の旧村名。現在の飯豊町の一部です。
千人塚の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。