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山形県

千人塚(せんにんづか)とはどんな妖怪か|姿と伝承

千人塚  / センニンヅカ

そのほか 各地の伝説

山形県飯豊町で、掘った者が病になったという、戦死者を供養した塚。

千人塚の姿を描いた図

飯豊町観光協会 「白川湖(山形県飯豊町)」 2014年 / CC BY-SA 出典

千人塚とはどんな妖怪か

千人塚はひとことで言えば、掘った者が病を得た供養の塚です。山形県南置賜郡飯豊町の話です。

国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、國學院大學民俗学研究会山形県南置賜郡中津川村」(『民俗採訪』昭和二十九年度号、1955年、66頁)を典拠に、千人塚は天保年間の9年続いた戦の戦死者を供養したものという。そこを掘ったらそのうちの一人が睾丸炎になった。睾丸一つとった祟りだというと記します。

掘ったことと、体の病が結び付けられています。

塚は供養のためのものでした。 それを掘る行いが、戒められています。

千人塚の漢字表記と読み方

読みは「せんにんづか」です。

「千人」は多くの死者を表す言い方です。 各地に同じ名の塚があります。

この塚は天保年間の9年続いた戦の戦死者を供養したものと記されます。

この図鑑には戦死塚の怪(愛知)も収めています。そちらも戦死者の塚です。

千人塚(せんにんづか)

日文研データベースが示す表記。

供養塚(くようづか)

戦死者を供養したものと記されます。

千人塚の姿と特徴

千人塚に姿はありません。記録にあるのは、掘った後のことです。

塚の由来 … 天保年間の9年続いた戦の戦死者を供養したもの。
したこと … そこを掘った。
起きたこと … 掘った者のうちの一人が睾丸炎になった。
説明 … 睾丸一つとった祟り。

姿や声についての記述はありません。

千人塚の伝承記録

  1. 戦死者を供養する
  2. 掘った者の病
  3. 掘らないという戒め

戦死者を供養する

千人塚は、天保年間の9年続いた戦の戦死者を供養したものといいます。

天保年間は江戸時代の後期にあたります。

どの戦かは書かれていません。

掘った者の病

そこを掘ったら、そのうちの一人が睾丸炎になりました。

睾丸一つとった祟りだといいます。

罰の当たり方が、体の一部として語られています。

掘らないという戒め

供養の塚を掘れば、祟る——それがこの話の伝えるところです。

祓い方は書かれていません。 残っているのは、掘るなという教えです。

この図鑑には石棺(島根)も収めています。そちらは掘ったら雷鳴が続きました。

千人塚の伝承地域

公的データベースの地域欄は山形県南置賜郡飯豊町を示します。記録の表記は南置賜郡中津川村です。

中津川は、現在の飯豊町の一部にあたります。

中津川(なかつがわ)

日文研データベースが示す伝承地域

地図で開く

中津川の所在地:山形県西置賜郡飯豊町中津川

記録では南置賜郡中津川村と記されます。

塚の正確な位置は資料に書かれていません。

千人塚の正体と考えられているもの

千人塚は、掘った者が病を得た供養の塚です

祟りの形は体の病でした。 睾丸一つとった祟り、と語られます。

この図鑑には戦死塚の怪(愛知)と石棺(島根)も収めています。

土の下のものに手を付けない——各地に共通する戒めです。

千人塚が登場する作品

千人塚を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは大学の調査報告です。

千人塚の名は各地にあり、戦や飢饉の死者を葬った塚とされます。この図鑑には戦死塚の怪(愛知)も収めています。

千人塚が登場する調査報告

民俗採訪

國學院大學民俗学研究会の報告集です。昭和二十九年度号に中津川村の調査が載ります。

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千人塚についてよくある質問

千人塚とは何ですか。

山形県飯豊町中津川に伝わる塚で、天保年間の戦の戦死者を供養したものとされます。

掘るとどうなりますか。

掘った者のうちの一人が睾丸炎になったと記録されています。

なぜ病になったのですか。

睾丸一つとった祟りだと語られました。

同じ名の塚は他にありますか。

千人塚の名は各地にあり、戦や飢饉の死者を葬った塚とされます。

千人塚と併せて覚えたい言葉・用語

天保(てんぽう)

江戸時代後期の年号。1830年からの時期にあたります。

供養(くよう)

死者のために祈ること。塚を築く例があります。

中津川村(なかつがわむら)

山形県の旧村名。現在の飯豊町の一部です。

千人塚の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 国際日本文化研究センター「千人塚」