長野県鬼無里で掘ったら角のある頭骨が出たという塚。地名の由来ともされる。

鬼塚とはどんな妖怪か
鬼塚はひとことで言えば、角の生えた骨が出た塚です。長野県長野市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、天野政徳『天野政徳随筆』(『日本随筆大成第三期』8巻、1977年、35頁)を典拠に、信州水内郡鬼無里村の鬼塚という塚を掘ったら、骨が出てきた。頭骨に角が2本あり、あごから角の先までは3尺(約90センチ)、手足の骨らしきものもあった。地元では、平惟茂が戸隠山の鬼を討って埋めたのだという。また鬼を退治した故に、鬼無里という地名がついたともいうと記します。
三尺は約90センチメートルです。あごから角の先までの長さです。
「平惟茂」は平安時代の武将で、戸隠の鬼女紅葉を討ったと伝えられます。
この図鑑には紅葉も収めています。
鬼塚の漢字表記と読み方
読みは「おにづか」です。
「鬼無里」は「きなさ」と読みます。鬼が無い里と書きます。
記録は、鬼を退治した故に、鬼無里という地名がついたという説を伝えます。
この図鑑には、戸隠の話として紅葉も収めています。
鬼塚(おにづか)
日文研データベースが示す表記。
鬼無里(きなさ)
塚のある村の名。鬼を退治したことに由来するとされます。
鬼塚の姿と特徴
この記録にあるのは、掘り出された骨です。
場所 … 信州水内郡鬼無里村の鬼塚。
出たもの … 骨。
頭骨 … 角が二本。
大きさ … あごから角の先まで三尺(約90センチ)。
ほか … 手足の骨らしきもの。
生きている姿を見た者がいたとは書かれていません。
鬼塚の伝承記録
角のある頭骨が出る
鬼塚という塚を掘ったら、骨が出てきました。
頭骨には、角が二本ありました。
あごから角の先までは三尺(約90センチ)です。
人の頭骨としては、大きすぎます。
手足の骨らしきものもあったと記されます。
平惟茂が埋めたという
地元では、こう言われました。
平惟茂が戸隠山の鬼を討って埋めたのだ。
「平惟茂」は平安時代の武将です。 戸隠の鬼女紅葉を討ったと伝えられます。
また、鬼を退治した故に、鬼無里という地名がついたともいいます。
この図鑑には紅葉も収めています。
鬼塚の伝承地域
公的データベースの地域欄は長野県長野市を示します。記録は旧水内郡鬼無里村と記します。
鬼無里は現在も長野市の地名として残っています。塚の位置は書かれていません。
鬼塚の正体と考えられているもの
この骨が何であったかは分かっていません。
角のある頭骨という記述だけが残ります。
地元の説では、平惟茂が討った戸隠山の鬼とされました。
地名の由来としても語られています。
この図鑑には、戸隠の話として紅葉を収めています。 そちらは、討たれた側の名を持つ話です。
鬼塚が登場する作品
この話は、『天野政徳随筆』で読めます。日本随筆大成第三期8巻に収められています。
戸隠の鬼女紅葉の伝説は能や歌舞伎にもなっており、平惟茂が討つ話として広く知られます。この図鑑には紅葉も収めています。
鬼塚が登場する古典籍
天野政徳随筆
天野政徳による江戸期の随筆。この記録を載せています。
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鬼塚についてよくある質問
鬼塚とは何ですか。
長野県鬼無里にある塚です。掘ると角のある頭骨が出たと記録されています。
どのくらいの大きさですか。
あごから角の先まで三尺、約90センチメートルと記録されています。
誰が埋めたとされますか。
平惟茂が戸隠山の鬼を討って埋めたのだと、地元では言われました。
鬼無里の地名の由来ですか。
鬼を退治した故に鬼無里という地名がついたともいうと記録されています。
鬼塚と併せて覚えたい言葉・用語
平惟茂(たいらのこれもち)
平安時代の武将。戸隠の鬼女紅葉を討ったと伝えられます。
鬼無里(きなさ)
長野市の地名。鬼が無い里と書きます。
三尺(さんじゃく)
約90センチメートル。頭骨の大きさとして記されます。
鬼塚の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。