三重県四日市市で、七彩の光を放って浜に寄った神像。祀ると豊漁が戻った。

蛭子神像とはどんな妖怪か
蛭子神像はひとことで言えば、網にかかった神です。三重県四日市市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、伊藤蝠堂「三重・岐阜・滋賀の伝説をもつ玩具」(『旅と伝説』8巻8号・通巻92号、1935年、37頁)を典拠に、天平14年のある日大漁につぐ大漁で、富田浜は賑わったが、それもつかの間、小魚さえも網にかからない日が2、3日続いた。その次の日、波に乗って7彩の光を放って浜辺に近づくものがあった。大漁襲来の前兆と歓喜して網を下ろし、7彩の光を引き上げたが、それは魚ではなく一体の蛭子神像だった。この神像をご本尊として祠を建て祭事を行うと霊験現れて再び豊漁で賑わったと記します。
天平十四年は742年です。
「蛭子」はえびすとも読み、漁の神として祀られます。
この図鑑には弥勒菩薩の漂着(愛媛)も収めています。
蛭子神像の漢字表記と読み方
読みは「えびすしんぞう」です。
「蛭子」はえびすとも、ひることも読みます。海から寄り来る神として、漁の神に結び付けられました。==
「七彩」は七つの色——虹のような光を指します。
この図鑑には弥勒菩薩の漂着(愛媛)、薬師の面(島根)も収めています。
蛭子神像(えびすしんぞう)
日文研データベースが示す表記。
蛭子(えびす)
「ひるこ」とも読みます。漁の神として祀られます。
蛭子神像の姿と特徴
この記録にあるのは、光と神像です。
先立つ出来事 … 大漁が続いた後、小魚さえかからない日が二、三日続いた。
近づいたもの … 波に乗って七彩の光を放つもの。
漁師の受け取り方 … 大漁襲来の前兆と歓喜した。
引き上げたもの … 一体の蛭子神像。
その後 … 祠を建て祭事を行うと、再び豊漁で賑わった。
神像の大きさや姿は書かれていません。
蛭子神像の伝承記録
魚が止まる
天平十四年(742年)のある日、大漁につぐ大漁で富田浜は賑わいました。
それもつかの間、小魚さえも網にかからない日が二、三日続きます。
漁師にとっては、暮らしが止まることです。
その次の日、波に乗って七彩の光を放って浜辺に近づくものがありました。
大漁襲来の前兆と歓喜して、網を下ろします。
引き上げたのは神像
七彩の光を引き上げましたが、それは魚ではなく一体の蛭子神像でした。
期待は外れました。
この神像をご本尊として祠を建て、祭事を行います。
すると霊験現れて、再び豊漁で賑わいました。
この図鑑には弥勒菩薩の漂着(愛媛)も収めています。
蛭子神像の伝承地域
公的データベースの地域欄は三重県四日市市冨田町を示します。記録は鳥出神社内の末社蛭子神社と記します。
もとは富田浜に鎮座していたと記されます。 参拝の時間は社の案内をご確認ください。
蛭子神像の正体と考えられているもの
この記録に妖怪は出てきません。語られているのは、社の由来です。
海から寄り来るものを神として祀る——寄り神の考え方です。
「蛭子」は海から流れ着いた神として、漁の神に結び付けられました。
この図鑑には弥勒菩薩の漂着(愛媛)、薬師の面(島根)も収めています。
どれも、海から来たものを祀って話が終わります。
蛭子神像が記録された資料
この話を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは『旅と伝説』の記事です。
題のとおり、伝説を持つ郷土玩具を集めた記事です。寄り神の話は各地の海辺にあります。
蛭子神像が記録された民俗資料
三重・岐阜・滋賀の伝説をもつ玩具
伊藤蝠堂が『旅と伝説』通巻92号(1935年)に載せた中心資料です。
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蛭子神像についてよくある質問
蛭子神像とは何ですか。
三重県四日市市で、七彩の光を放って浜に寄り、網にかかったとされる神像です。
いつの話ですか。
天平十四年(742年)と記録されています。
祀るとどうなりましたか。
祠を建て祭事を行うと霊験現れて、再び豊漁で賑わったとされます。
今はどこにありますか。
鳥出神社内の末社蛭子神社にまつわる話と記録されています。
蛭子神像と併せて覚えたい言葉・用語
蛭子(えびす)
「ひるこ」とも読みます。海から寄り来る神で、漁の神とされます。
七彩(しちさい)
七つの色。虹のような光を指します。
寄り神(よりがみ)
海から流れ着いたものを神として祀る考え方です。
蛭子神像の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。